お盆に長いお休みをいただいて二日目か三日目の朝だったか、K嬢の「冨士夫が亡くなった」の報せで目を醒ました。
彼の生き方を考えると、寧ろ生きているのが不思議なくらいだ、と日々思っていたので「やっぱりか」という思いはよぎったものの、近々彼のステージを観に行こう、と心に決めていたから「しまった」とも思った。
彼の長年のカラフル過ぎる旅の疲れや持病が直接の原因では無く、事件というか事故のような怪我が原因(彼が健康であったなら亡くならなかったかもしれないけれど)である事が判ってきて、やり切れない思いになった。
GSやニューロックと一番疎遠だった時期に、彼の著書を立読みで読破したことが僅かなつながりであった事がある。機会があったら買って読み直そうと、密林の欲しいものリストに入れていたのだけれど、直ぐに読みたくなって、電車に乗って大型書店で購入。どこか、静かな喫茶店で読みたいな、と思ったけれど、個人経営の店はどこも盆休み、大手チェーンの雰囲気では絶対に読めない、どうしようかな、と歩いている内に、家に帰って来てしまった。
彼のロックンロールに対する意識の純度は高過ぎて、それはそれはもう果てどなく果てどなく、彼の水晶のような瞳の輝きのようなもので、下界とは折り合いがうまくつかずに、人生のまさに殆どを伝説の人物として過ごさざるを得なかった事はギリシャ神話の悲劇かもしれないし、美しいお伽話にも思えるのだ。
GSと60年代のリズム&ブルースを分け隔て無く好きな人にとっては彼がダイナマイツ時代に弾いたルーファス・トーマスのウォーキン・ザ・ドッグは懐刀か宝物のような大切な曲だし(少なくともオレはそうだ)、人によってはシャブ中のストーンズカヴァーにしか見えないかもしれないバンド、村八分も日本の原風景をロックンロールに乗せる事に成功した他に類をみない最高のグループだと思っている。はっぴいえんどの「ゆでめん」は同じ原風景を違う立ち位置から観ていたんだろうと考えると、とても興奮する。村八分もはっぴいえんども、日本語に真っ向勝負を挑んだ猛者である。村八分は、当時、ロックンロールを弾かせたら最高のギタリストの一人だった山口冨士夫のキレッキレのギターの合間を、チャー坊の吐き出す江戸時代の漫画のようなキュートな、それでいて呪い、或いは祭文のような言葉が這って行き、それを素人のリズム隊が支える、という凄いシステムだった。しかも彼らは夕焼けの時間帯にこだわって出演していたらしい。完璧ではないか。彼らが目指した世界の建設は彼らが飲んだカラフルなカプセルから出てきた、総天然色の弥勒菩薩の一方的な命令では無くむしろ共同作業だったのであろう。誰にでも出来る事では無い。つまらない奴は何ガロン静脈注射したってあすこには辿り着かないだろう。ただ彼らは知覚の扉の向こうに行ったっきり扉が壊れてしまい、帰って来られなくなったのかも知れぬ。
現在聴く事の出来る、村八分の遺された音源なんてお話にならないくらい格好良いステージをやっていたらしい。観たかった。
晩年はいよいよ脚を切り落とさなければならないくらい大変な状態だった事は噂に聞いていた。羽根が生えて楽になったろうから、あの世でチャー坊と特上のブツでもキメて仲良くやって下さい。憧れの山口冨士夫さん。ありがとう、さようなら。

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