ある土曜日。
高円寺グリーンアップルにてライヴ。高知からパルタイをお迎えして。
7月の狂ったように暑かった日に、大阪で初めて彼女達のステージを観た。
いつも、トランプの対バンのステージを観ていて「これは…!」と思った時には、ベースのSちゃんと無言で顔を見合わせて、演奏者の方を指差し暗黙の賛辞を送る事が習慣のようになっている。パルタイを初めて観た時も、大変な雰囲気を持った者が現れた、どうしよう、ってな感じでお互い何とも言えない表情でその儀式を行ったのである。リーダーYっさんも同じ事を思っていたようで、是非とも東京の空の下、演奏しに来て欲しい…となり、今回、晴れてその運びとなった。
パルタイは結成してまだ日も浅く、技術的には粗削りなところもある。オレは今までにいろんなグループを観てきて、世の中には技術だけあって他に何も無いようなグループが星の数程いる事を痛感している。そんな奴らは、それこそ、反吐が出る程、いる。しかし彼女達は、一番大事な、そして努力したってどうにもならない類の「佇まい」をすでに備えている。過ぎ去りし昭和の知覚の扉の向こうからおいでおいで、をしているかのような。甘い考えで迎合してくる野暮な輩を突っぱねるような。つかまえようとしても指の間をすり抜けて散ってしまう紫の煙のような。自分がその瞬間、一緒にステージに立っていない事がもどかしいような悔しいような気さえする。…決してオベッカではありませんからね。最初に観た瞬間にそういう電波が発せられて、オレの決して多くはない脳味噌がそのように受信してしまったものですから。でも、今回パルタイ体験をした、和モノ期ザ・ヘヤの病に冒された事のある患者仲間達は概ね同じような形容し難いサムシングをキャッチしたようで。アンタも好きネ。
リハーサルの時に、ボーカルのM嬢に、普段はボーカルエフェクトをどうしてるか、をたずねたら、いつもPAにお任せです、との事で、出過ぎた真似とは思いつつも、PAを担当するEさんと話し合ってエコーの調整をしたら、見事にハマって興奮してEさんとスゲースゲー言いました。昔、渚ようこさんのステージを初めて観た時に、エコーの演出とエコー乗りの良い声に感激したのを思い出す。
我々の第一部のステージ。英語曲、R&Bを中心に30分。最近は各々忙しく、練習時間が不足していたが、丁寧に弾く事を心掛けた。最近読んだ冨士夫ちゃん追悼本の中で、シーナと鮎川誠が、冨士夫ちゃんはああいうキャラだけど、最後の一音まで大切に丁寧に弾いて、ソロパートをボーカルに戻すギタリストだ、と言っていたのを読んで、自分には欠けているなぁ、と思ったのだ。そんなこと急には出来ないけど、出来ないなりに意識した。
さて、パルタイのステージ。とにかく嬉しい、楽しい。よく動くベースライン(ベースの方はキャリアが長くバンドをうまくまとめていた)にパタパタとしたドラム…ダイナミズムのゴリ押しのようなドラムは、時として昭和グルーヴの邪魔になる。その点、パルタイのドラムは音像も含めてGSと親和性が高い。ヤマハのセミアコ、エーストーンのファズ、出口はエルクのアンプでギターは完璧だ。ボーカルは先述の通りの雰囲気である。3人の紡ぎ出す音像は、45年前の新宿ACBそのままなのではないか、と妄想した。たぶん、遠くない。オレはGSの何が好きか、って言ったら、まずその音像だから、そんなサウンドを目の前に、ただただキャッキャッとなった。K嬢は90年代いわゆる和モノシーン全盛を体験しているのだが、ポツリと「ホンモノだね」と言った。「でしょ?」と思った。あっという間に彼女達のステージは終わってしまった。思い出のシェリー発売記念の如く、一日中演って欲しかったけど、トランプも、もう1ステージ残っているので、準備をする。
…と、ここまで書いたところで、昨年末同様、バンド的・年末進行に突入し、書き進める機を失い、薄れ行く当日の記憶と格闘するも霞となりて、一旦、指を置く(スマホだから筆じゃない)事にする。年末進行とは大晦日の演奏準備の事である。
日本のロック音楽史に燦然と煌くグループのリサイタルを体験したのだけれど、それはまた日を改めて。おわり!


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