昨日。午前中に新宿に行く用事があったから、少し早起きしてテレビをつけたら、公営放送にて、夏休みの子供向けであろう、ヤマネズミの親子が故郷の川を目指して冒険する、まんが映画をやっていた。絵柄は現代っぽくはあったが、すごくよく出来ている感じで、チラ観のつもりが観入ってしまった。他の動物に出会い、助けられ、助け、困難を乗り越えてゆく様に、ただでさえ動物の擬人化好きのオレは、涙がチョチョ切れた。しかし、用事があるので最後まで観られなかった。一瞬、予定をキャンセルすることが頭を過ったが、それはあんまりなので、泣く泣く出掛けた。ちなみに後で調べたら「川の光」というまんが映画らしい。いつか、ちゃんと観よう。さて、新宿で用事を済ませ、小田急の前の喫煙スペースで一服。父親の一服を待っている汚いガキが、「イーオー、イーオー、ロッキュウ!」と歌っていた。たぶん「ウィー・ウィル・ロック・ユー」のつもりなのだろう。そして歌い終わるや否や「ぼく、野球選手なりたい!」と早口で言った。ガキは、思ったことをすぐ声に出す
。・・・、あ、オレもだ。「〜になりたい!」という言葉を発すると、なりたい対象が実際にはなれないようなものであればあるほど、結構楽しい気分になれるものである。なれない、という事実より、なった想像の気持ち良さのほうが上回る。人間が思っているより、現実と夢の境目は曖昧である。それに、たとえば仮に、野球選手になれた、としよう。その瞬間に、スターなりのシビアな現実がのしかかってくるだろう。体調管理、二年後にはゼロになるかもしれない収入、そして実力。なりたい、と想像する瞬間のきらめきにはどんな現実だって、叶わないだろう。なりたい、嗚呼、キラキラ、という瞬間を繋ぎ続けて一生を終えられたら、おそらく最高である。物理的にはありえないかもしれないが、変なネコが喋ったりする世界を考えつづけたら、ありえない、という事実を上回ることも可能かもしれない。さっきレジをうったドトールの新人ちゃんは、そこのところを、まだ理解していないようだ。レシートをオレに渡し忘れそうになったのだ。あ、なんだかオカルティックなセミナー
みたいになってきた。危ない。んで、新宿から勤め先へ行き、仕事。残されて、終業は22時。さすがに立ち眩み、ではなく座り眩みがした。夜中。テレビで格闘技を観る。バッカバッカ殴られてフラフラのブラジル人が、気を確かに持ち続けて、一瞬の隙を狙って相手の腕を捻り上げて勝った。立派だ。今日。仕事。気付いたら7連勤。夏の風物詩である。いま休憩。おわり。


0