少し前の事となったが錦川に計画されている平瀬ダムの検証を行うために立ち上げられた「錦川川づくり検討委員会」が9月30日に行われた。
前回の委員会でダムに対する懸念が噴出し会が紛糾したため、継続審査の形となった委員会である。
僕も前回に引き続き傍聴に出掛けた。
県側のほうは今回をどうしても最後の委員会にしたいという雰囲気は満々で会場も重々しい雰囲気に包まれていた。
県が県民に広く意見を聞くために行ったパブリックコメントも多く寄せられそのほとんどがダム反対だったという意見であり、参加されている委員の方の想いも複雑であったことだろう。
冒頭から活発な意見交換がなされた。
岩国の錦帯橋伝統建築協同組合の理事の方からは「錦帯橋は過去の洪水から学び洪水と共存する建築を生み出した。近年の異常気象によりダムでの治水効果が疑われる中、自然を破壊してまで作るダムよりも錦帯橋から学ぶような先人の知恵を生かし、自然と共存して生きる方法を模索するべきた。」という意見がでた。
錦川の清掃活動を長年続けられてきた方からは昔の錦川の美しさが伝えられ、本当に僕も過去にさかのぼってその川が見たいような衝動に駆られたが、最終的にはダムが必要だという意見で締めくくられた。
平成17年の台風14号で甚大な被害を受けた南桑地区の自治会会長(岩国市議)からは会場に響き渡るまるで選挙演説のような様相のダム必要論が繰り広げられた。
ダム直下にあたる地域の婦人会の代表の方からは「パブリックコメントで多くの勉強をさせていただいた。ダム以外にも治水方法があるのではないか」という意見が出された。
いわば僕たちと一緒の目線から川をみているカヌー協会の方からも「議論がまだ未熟。この会議で決定するのは時期尚早ではないか」という意見が出された。
錦川河口で操業する漁協の組合長からは「ダムができると海が死ぬ」という意見が出された。
ダム懐疑論に関しては一つ一つ県のダム班の人や会場前列にならぶ大学教授らの専門家から意見が述べられていく。いわばダムは必要だと論破していくわけだ。
今回も意見は紛糾し会議は先送りになるだろうと傍聴しながら思っていたのだが県はどうしても今回で結論を見出したかったのだろう。委員会としての意見をまとめたいといい始め票決を取りたいといい始めた。会はそのあたりから騒然となった。「環境委員会の設立を!」「時間がない早く決めろ!我々に詳しいことはわからんのだ。専門家がまとめろ!」(これはひどい)などと意見がだされたが結局委員会会長権限で採決がとられ賛成多数(ダム反対は25名のうち3名)で委員会での意見が決定した。
傍聴するのは体に毒だ。言いたいことも言えずに黙って座っていなければならない。
出た意見はともかく、はっきり言って委員会の進め方は高校生の生徒会以下だ。ダム建設を進めたい県のダム班はともかくダムの検討検証をするべき専門家がいわばダム推進の立場をとる河川村の人々。すくなくとも数人はダムに懐疑的な意見を持つ論者がいなければ中立が保てない。
ダムはいらないという人に「それなら代案をいますぐ出せ」と言ってのける県のダム班や何を言っても難しい言葉を並べてダム必要論を説き、進行司会をする委員会会長の名誉教授。
会の終了後検討資料の不備を指摘するとこの会長は「もっと勉強しろ!」と声を荒げたという。勉強しているからこそ出た意見にだ。これが大人のするまともな会議だろうか?
ダムを進めたい人に気持ちもわかる。しかし検討委員会と銘打った会議ならもっと意見を戦わせるべきた。反対をする人の意見を数と力と権力で押しつぶし諦めさせることは民主主義ではないのではないか。そこで生まれるのは対立しかない。そして苦しむのはいつもそこに生きる地元の民だ。県はまた原発で進めてきた過ちと同じ轍を踏んでいくのか。
お互いが冷静に議論をつくし導き出す手法こそが将来に遺恨を残さない手法だと僕は思う。
委員会後、久しぶりに錦川の河原にキャンプを張り翌日カヌーで川を下った。僕の知っている川はまだそこにあった。川はキラキラと輝き川底の白い砂まではっきり見える美しい水。東京からきた友人は興奮して冷たい川に飛び込んでしまった。
かつては週末になると多くのカヌーイストやカヤッカーが錦川を下っている姿が見られた。
その火付け役でもある作家の野田知佑さんは臆することなく全国のダムや河口堰の建設に反対し文章を書き続けた。それに賛同した多くのカヌーイストが各地で活躍した。
これから日本の自然を守っていくべき人種は僕たちのようなのアウトドアズマンに必然的になっていくはずだ。僕たちは美しい自然を知っている。ただ自然を享受するだけではなく、その自然に恩返しすること。その自然を奪う行為に対してNOといえること。そんなアウトドア民度の高い人たちが今後増えていくことを祈る。

13