前回モーツアルトを論じた中で私は加齢と共にシンプルなものを好むようになったと述べた。確かにモーツアルトの音楽はブラームスに較べてシンプルだがそれでいて奥が深いと思う。但し多作だから金のために作った作品の中には駄作も混じる。ブラームスは第一交響曲を完成するのに20年を要したがモーツアルトは数日しかかからない。ブラームスは寡作だが煉りに煉られて作った労作だけに何を聴いても重厚で素晴らしい傑作ばかりである。若い頃は情熱でぎらぎらしていたからブラームスの重厚、難解さに惹かれたが、老人になると食べ物と同じで脂っこいものよりさっぱりしたものが好みになる。
シンプルとは手抜きでもなければ軽薄でも単調でもない。純粋と言ったほうが良いのかもしれない。シンプルに徹することは最も難しいことでモーツアルトやバッハのような真の天才にしか出来ない事だと思う。つまり天才たちの素晴らしい肉体は裸のままで鑑賞に堪えるが自称天才の貧弱な肉体はあらゆる衣装や意匠で覆い隠さなければ鑑賞に堪えられないと言うことだろう。新鮮で上等な魚は生で刺身で食べるのが一番うまいのとおなじである。現代美術や音楽はごたごたと思想で厚着をしているから見苦しくて好きになれない。
老人になると生活の様式やリズムもシンプルさを好むようになる。余計なことを考え、余分なことをするとリズムが乱れて体調を崩す。全てに事を省く省事を実践するのが重要である。私も最近吉田兼好や鴨長明、松尾芭蕉、良寛和尚、宮本武蔵の生き方に憧れるようになった。彼らの思想と行動は何れもシンプルそのものである。日本の偉人と言えば信長、秀吉、家康であるが彼らは所詮権力志向の戦国武士であり歴史上は華々しいが人間的
に感銘を受けたことはない。それに較べて立身出世に背を向けて底辺でひっそりと生き「徒然草」、「方丈記」、「奥の細道」、「かくれんぼ」、「五輪書」を書き残して後世の人に多大の影響を与え続ける方が立派な生き様であると思う。これからもシンプルライフをモットーに生きる覚悟である。

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