安部内閣のキャッチフレーズが美しい国日本である。キャッチフレーズ自体は美しいから誰も文句は無い。問題は如何にして実現するかである。美しい国と言っても景色が美しいのと社会が美しいのとでは大違いである。醜い日本人が住んでいるのでは美しい日本とは言えないから、先ず日本人が美しくなければならない。これまた外見と内面に分かれる。
豊かな日本人の外見は確かに美しくなった。服装も小奇麗だし、スタイルも良くなったから外見は問題ない。一部の若者のだらしないファッションだけを改めれば良いが、ファッションを強制する訳にはいかないから本人の自覚の問題であり、時間がかかる。
内面を美しくするのは一朝一夕にはいかない。やはり根本的には教育と躾の問題であり今から手を付けても5歳から成人まで15年はかかる。教育基本法の改正は長い眼で見れば重要ではあるがそんな悠長な事は言っていられない。今の成人に美しくなってもらわなければ何にも成らない。然し成人を教育する訳には行かないから、成人に自発的に良い社会人になって貰うよう誘導するしかない。先ず誰もが夢と希望と安心が持てるような社会にする為のビジョンを提示する事が必要である。その前に何故殺伐たる世相を呈しているのかを分析する必要がある。それは誰もが自分さえ良ければいいというエゴに陥っているからであり、それは万事にゆとりが無い事と他人への無関心から生じると思う。加えて至る所で社会悪がのさばっている事から生じる白けの所為だと思う。魚は頭から腐るものである。民衆が美しくなるには先ずリーダーたる政治家や役人に美しくなって貰わねばならない。贈収賄、裏金、天下り、税金無駄使い、暴力団の跋扈、不法外人犯罪、などの巨悪を放置したままでは国民が白けるのも無理も無い。加えて年金、医療、介護に将来不安がある限り自分の行く末が心配で他人の事など慮る余裕は無い。こんな状態で美しい日本人になれと言うのは八百屋に魚を求めるようなものである。従って教育改革を進めると同時に政治改革、行政改革を加速する必要がある。
青少年や成人の心がけが悪いのを自発的に直させるのは難しいから、法の強制力が必要である。望ましい事ではないが軽犯罪法や迷惑条例を拡大適用して厳しく罰するのが一番手っ取り早い。ニューヨークの破れ窓理論のように、小さな犯罪を徹底的に取り締まる事で社会の治安は飛躍的に良くなった。地下鉄の落書きも窓ガラスの破損も姿を消した。日本では暴走族も暴力団も麻薬売人も不法駐在外人も自転車泥棒も、万引き少年も、援助交際少女も大手を振って歩いている。これを放置して美しい国になる訳が無い。
光景が美しくなる事も大変重要である。美しい日本人は美しい日本の風土から生まれる。
先ずやるべき事は電柱を撤去して地下に埋設する事である。電柱ほど日本の光景を醜くしているものは無い。セメント、コンクリート業界や電力業界が抵抗していると聞いたが怪しからぬ話である。下手な公共事業に無駄金を使うより、こちらに回すべきである。
都市景観を守るためにはデザインの統一規制も重要である。海外の有名都市は大昔から厳密に実施している。その差は誰が見ても歴然としている。
河川の堤防や海岸の護岸もコンクリートやテトラポットばかりで実に醜悪である。役人のセンスの無さにはつくづく呆れる。阿部内閣では看板に偽りが無いように美しい国日本を目指してやれるところから一歩一歩進めて欲しいものである。

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