昨日、今日と茨城県大洋村にあるゴルフリゾート、ザ。ロイヤルオーシャンに行ったのでブログを休んだ。ゴルフ練習場の仲間、男16名女4名の計20名集まった。このリゾートはバブルの最盛期に作られた接待用のゴルフ場だから正に豪華絢爛の設備で、付属のホテルも立派だった。然し何しろ遠いから閑散としていた。経営はカバヤ製菓だが何れ外資に買収されると思われる。以前は高い料金で有名だったが今は格安でプレー出きる。
夜は大宴会となり、ダンスとカラオケに興じたが、63歳から75歳のジジババばかりだから余りさまにならない。間もなく50回目のコンペ開催となるので記念式典をやりたいが何か讃歌の替え歌を作って欲しいと幹事から頼まれていたので、私が指導して歌を覚えてもらう事にした。曲は長淵 剛が金婚式の為に作った曲で「金色に輝け50年」と言う作品である。仲間に今年金婚式を迎えるご夫婦が2組居るので、50回記念とも兼ねて選んだものである。演歌専門の皆さんには覚えるのが大変のようで、まだ暫く時間がかかりそうなので、後ほどテープを作って配る事にした。以下に歌詞だけを披露したい。
「ピピ名球会50回記念讃歌」
1 あれは4年前の冬でした、初めて名球会を創る事を思い立ったのは、
練習場仲間がいい奴ばかりで、技能の高さと人柄が気に入った、
月に2回のコンペ開催は、少し大変だが遣り甲斐も一入だった、
何より私はゴルフなる遊びに、余生の全てを賭ける覚悟だった、
あれから50回を重ね、懸命に私は企画係と世話役に徹した、
そんな私を支える妻と、鴨にして集る仲間が居た、
有り難う有り難うピピよ、金色に輝け50回記念、
有り難う有り難う仲間よ、金色に輝け50回記念。
2 あれは3年前の秋でした、初めて名球会のコンペに参加したのは、
楽しい仲間に恵まれた歓びと、皆のレベルの高さが眩しかった、
懸命にピピで練習に打ち込んだ、それは何所までも続く泥濘だった、
糞爺の技に自信を失くして、鬼婆の上手さに面子を潰された、
あれから50回を重ね、懸命に私は番付上位を目指した、
だけど未だに褌担ぎで、お仕置き部屋に入りっ放しだった、
有り難う有り難う幹事よ、金色に輝け50回記念、
有り難う有り難う仲間よ、金色に輝け50回記念、
3 あれは2年前の春でした、初めて名球会に入る様誘われたのは、
幹事さん達の笑顔に騙されて、参加したのが運の尽きで夢中になった、
家事を手抜きしてピピに通いつめた、爺に勝つ事が何より生き甲斐だった、
然しそれより仲間との交流が、一番大事と思ってわざと手抜きした、
あれから50回を重ね、懸命に私は飛距離アップに取り組んだ、
けれどその分方向がぶれて、お仕置き部屋の住民に負けそうになった、
有り難う有り難う幹事よ、金色に輝け50回記念、
有り難う有り難う仲間よ、金色に輝け50回記念
いや実に楽しい2日間だったが、成績は悪かったから言わない事にする。

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