彼岸も過ぎ秋風が吹き始めるとそこはかとなく寂寥感が漂ってくる。5年ほど前まではこれ程でもなかったから老化に伴う心象風景だろうと思う。特に愛犬マリに死なれた今年の寂しさは尋常ではない。マリの墓参りに行って語りかけているが寂しさは消えない。今はまだ特に体に不自由を感じないしゴルフや旅行や勉強と言う生き甲斐があるが、その内体力も気力も衰えれば外出さえママならなくなることは必定である。
その時一体何が生き甲斐になるのかと考えると心もとない。仲の良い老人夫婦はお互いの存在が生き甲斐になるのかも知れないが私には残念ながら当て嵌まりそうも無い。
偕老同穴を誓う仲の良いご夫婦は羨ましいと思うが飽く迄少数派だと思う。仲間に聞いても大抵の老人夫婦は老いるにつれて益々お互いの存在がストレスの原因になりこそすれ、癒しの対象や生き甲斐とは程遠い関係が多いように思う。
老人夫婦の種々相は勿論千差万別であり、大抵の場合因果応報である。つまり仲が良いのも悪いのも全て平素の精進と長い日常の積み重ねの結果で誰にも 文句は言えない。
どちらか一方が良いのでも悪いのでもなくお互いの共同責任だと思う。特に私の年代で田舎で育った男は男権論者の亭主関白が多い。このタイプは現役時代から女房には仕事や会社の話はせず、風呂、飯、寝るだけで済ませてきた連中である。女房の井戸端会議の話も相槌だけ打ってろくろく聞いてこなかった。つまり女房とのコミュニケーションの基礎がが出来ていない。定年後それを取り戻そうとしても殆どの場合無理である。
私のような独裁型亭主関白は夫婦喧嘩の際に悪口雑言を浴びせて言葉の暴力で女房の恨みを買っている場合が多い。おまけに口が腐ってもお世辞や感謝の念を言葉で表すのが照れ臭くて出来ない。心の中では過ぎた女房だと思っていても口で言ってやったことがない。男は黙ってやるのを美学としているから、勝手な独り善がりで伴侶としてはどうしようもないタイプである。根は口ほど悪くないのに女房には思い遣りがないと愛想をつかされている。今更女房の誤解を解くのは不可能だと諦めているし弁解する気もない。万一女房に介護される羽目になれば虐待されるだろうと恐れている。
今まではこんな脆弱な夫婦関係でも子供とペットが鎹になって辛うじて維持してきた。
最早子供はかすがいにならずペットを亡くした今は正に夫婦の危機である。我が家には20年間愛犬クリとマリが居たから私にとって最良の伴侶で生き甲斐でもあった。私は女房子供よりももっと深く愛犬を愛していたと誰憚ることなく断言できるほどペットを愛してきた。何故なら犬は人間に比べて純粋で無邪気で忠実で真に愛すべき存在だと思うからである。喩え顰蹙を買っても真実は真実である。愛犬と一緒に暮らすほど癒される事は絶対に他にない。老人になると段々人から嫌われ疎まれる様になるが、愛犬だけは決して主人を裏切らず頼りにしてくれる。他に役に立たなくても愛犬からは頼りにされるから間違いなく生き甲斐になる。私は老後を愛犬と過ごす事を人生設計に組み込んでいた。それが女房の強硬な反対にあって犬を飼えないならば別居するしかない。
実はペットロス症候群からやっと立ち直ったつもりでいたが駄目だとわかり、ここ2ヶ月間別居用マンションを物色していた。他人が聞けば信じられないと思うがどうにも止まらない。私は昔からこうと決めたら梃子でも動かないタイプである。今日マンションを購入する手続きを済ませてきた。詳しくは明日書くことにする。

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