女房との別居騒動に因んで女房が自分の裏面を理解していないとか色々ぐちゃぐちゃとぼやいて来たがどうもすっきりしない。これは明らかに言い訳であり男の美学に程遠い。40年以上も連れ添ってまだ自分を理解させていないのは己の不徳の致す所であり努力不足でもある。40年も実生活を共にすれば相手の本質は解る筈であり裏も表もない。表裏一体と言うではないか。従って女房は誤解しているのではなく正解しているのかも知れない。それを誤解と言うならば女房に誤解されて愛想を尽かされた原因を探って反省しなければ何事も始まらない。然し思い当たる事が多過ぎて的を絞れない。
先ず私は亭主関白どころか暴君だった。私の年代なら亭主関白は珍しくないが暴君は滅多に居ない。暴力こそ振るった事はないが言葉と態度の暴力は自認せざるを得ない。全てを独断専行で決め女房の意向など一顧だにしなかった。家計だけは女房に任せたが資産形成や運用、子供の教育、自分の転職等の重要な事も全部自分の一存でやった。これは明らかに女房に対する驕りと甘えに由来する。高校で3年間同級生だった縁で級友から寄って集ってくっ付けられた仲である。私はスターだったから女房に惚れられた者という驕りがあり私の言う事を聞くのが当たり前だと思い込んでいた。
然しいつの間にか時代は大きく変わった。周知の通り日本の女性特に主婦は世界一強くなった。今や家庭の実権は殆ど女房が握っている。財布の紐も子供の支配権もテレビのチャンネル権も耐久消費財の購入決定権も主婦が握っているのが実態である。亭主が現役で働いている間でもそうだから、まして況や定年になると亭主の存在など粗大ゴミに過ぎない。私のような亭主関白など最早天然記念物であり時代遅れも甚だしい。
女房も遅まきながら世間一般と我が家の違いに気が付いて定年を機に反撃に転じた模様である。どうも仲間に聞くと自分の亭主はのさばりすぎていると思ったのだろう。従順な女房から一変して自己主張を始めた。私は女房も成長したとばかり余裕を見せていたが、段々諍いが多くなるにつれて飼い犬に手を嚙まれた様な気がして何様の心算だと腹が立ってきた。その諍いの頂点にペット問題があった。犬を飼う事には女房は確かに最初反対した。然し暴君亭主を止められないから20年間我慢してきた。やっと死に別れたのに又飼うのは絶対に否だと言い張った。飼うなら別居すると脅したのは女房の方だった。女房も意地になって自己主張を通したかったのだと思う。何時までも亭主の言いなりになって堪るかと猛然と抵抗したに違いない。敵ながら天晴れで強くなった。
もう一つ女房に誤解されているのは私の勝手な信条と美学である。今のテーマが「美しく老いて潔く死ぬ」と言う事からも解るように、私は兎角いい格好をし勝ちであった。
若い頃から孔子や老子の思想に影響され、ドストエフスキーや小林秀雄に心酔し、新渡戸の「武士道」に憧れ、世阿弥の「秘すれば花」とか本居の「もののあわれ」とかに共感してきたから意思疎通も[以心伝心」を善しとして来た。言葉でなくても心で以って心に伝えるのが最高の手段だと信じていたがそれは昔の話であって、情報通信が極度に発
達した現代に通じる訳がない。ちゃんと言葉ではっきり相手に伝えなければ自分を理解させる事はできない。愛を口に出すのが恥ずかしいと照れるのも勝手な独り善がりであって単なる言葉の出し惜しみである。今の若者からは馬鹿じゃないのと言われそうである。相手が喜ぶならば多少のお世辞や嘘も方便である。何より世渡りに必須の生活の知恵でもある。兎に角私の信条や美学は時代遅れであると認めざるを得ない。
ともあれ既にサイは投げられた。覆水盆に還らずで別居は避けられない。お互いこの機会を活かして自省するのに丁度良い。
裏表三部作を読み返してみると少し恥ずかしくなった。私はこのブログで常に本音を語ってきたがここまで家庭の恥を晒す必要があるのかと疑問に思った。老い先短くなると露出癖と暴露癖が強くなるようだと笑って頂ければ幸いである。

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