今朝のサンデープロジェクトで4人の論客が日本の拠り所を何処に置くかで論じていた。私が大好きな櫻井よしこさん、中谷 巌さんは各々武士道と日本人の美意識を挙げた。中谷氏はもう一点社会の一体感を挙げた。姜 尚中氏は地域と言ったが趣旨が良くわからないし西部 邁氏は嫌いだから何を挙げたかもう忘れた。
武士道だとか美意識だとか古色蒼然で時代遅れの概念に拠り所を求めるのは懐古趣味だという批判もコメンテーターからあったが、この批判はピンボケである。日本は戦後物質的な豊かさを遮二無二追求して来たが、物が豊かになるに反比例して心が貧しくなってきた様に思う。毎日の新聞の三面記事を観る度に日本人の心がここまで荒廃したのかと慄然とする。振り込め詐欺やマルチ商法、尊属殺人や通り魔殺人は日常茶飯事になった。金が全てだ、自分さえ良ければよい、自分の不幸は社会や他人の所為だ、公の為に私を犠牲にする気は全くない、などの価値観が蔓延る社会に一体感や連帯感が生じる筈がない。世相とは個々人の心の反映であり、殺伐たる社会は殺伐たる個人の心の表れに過ぎない。今世界恐慌で心の豊かさを犠牲にして手に入れた物の豊かさまで失おうとしている。これを契機に昔の古き良き時代に回帰して拠り所を見詰めなおす事はノスタルジーではなく原点回帰である。
武士道や日本人の美意識とははっきりした形のあるものではない。新渡戸や世阿弥が書き残したものだけではなく、連綿たる日本の歴史の中で培われてきたものである。武士は封建社会の特権階級だったからノブレスオブリッジは心得ていた。武士道の基本は恥を知る事だった。次に私より公を優先する事だった。忠君愛卿は勿論、祖先と親に孝養を尽くし、目上と老人を敬い、相互扶助、大義名分を重んじ、誇りと名誉と矜持を大切にして痩せ我慢を張った。武士の生き方が町民にも影響して日本の社会は巧まずして高度な倫理、道徳を体現していた。江戸から明治時代に掛けて来日した外人は例外なく貧しい日本社会と日本人の素晴らしさに感嘆している。社会の一体感の賜物だろうと思う。今の日本は分断社会になってそれらの全てを喪失した。社会に一体感や連帯感が無いから皆ばらばらで閉塞感が漂っている。
日本人の美意識も確たるものはない。浮世絵や能や茶道、華道ばかりが美意識ではない。昔から秘すれば花とか、花の美しさと言うものは無く、美しい花があるだけであると言う意識は日本人特有のものである。日本人のものづくりは見えないところまで気を使う。だからこそメイドインジャパンの品質は世界一と言われるようになった。中谷氏の主張するように美意識に拠り所を置く考え方は理解出来る。
GHQは軍国日本の再生を恐れ平和憲法を押し付けて戦争を放棄させ、教育から歴史と地理と修身を外した。その結果歴史は自虐史観となり、日本の事しか知らない愚鈍な若者が増え、基本的道徳を知らない国民ばかりになった。アメリカのポチにさせられ、市場経済至上主義に陥って拝金思想を定着させた。
日本もそろそろアメリカから離れ、自主憲法を制定し、教育基本法も改定し、修身を復活させ、自由と権利よりも責任と義務を重んじる社会へと変身を図る時期に来た。私も
拠り所とすべきは武士道だと思う。西洋社会の精神的背骨はキリスト教であるが、日本のそれは神道でも渡来仏教でもなく武士道だが最適である。武士道は多分に道教、儒教、朱子学の影響を受けてきたが日本は外来文化を上手く消化して日本独自のものに止揚して来た。それを広めたのは家庭の躾けであり、寺子屋の教育であった。私はこのブログで度々儒教への回帰と寺子屋の復活を唱えてきた。同時に亭主関白と雷親父の大切さを強調してきた。今時のウーマンリブの闘士にとっては呆れ果てた爺さんに映るだろう。然し時代が如何あれ良い物はよい。新しいものが良いとは限らない。古きを訪ねて新しきを知る温故知新こそ進歩の基本である。歴史に学ぶとはこの事である。

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