ブログのテーマに困った時は時事ネタを離れて抽象的テーマに取り組む事にしている。今日は科学技術と大きく出た。20世紀はサイエンスとテクノロージーが急速に発展した時代だったし21世紀もその延長線上にあるだろう。実際我々の生活は科学技術の恩恵によってより早く、遠く、高く、深くそして快適で便利になった。反面20世紀は戦争の世紀と言われるほどに科学技術が齎した大量破壊兵器による惨劇を多く見て来た。
又文明の進化が物を溢れさせて人心を唯物的価値観に導き、その為に唯心的価値観が遠くへ追いやられた結果先進国の社会は世知辛なって荒廃したと言えよう。
生半可な科学的知識が人類古来の形而上学を迷信だと否定し人々は目に見えるものしか信じなくなって益々物質主義に傾いた。つまり科学技術の発達は功罪相反と言える。
然し我々が思考する時サイエンスとテクノロジーを抜きにしては正しい結論に到達出来ないのも事実である。キリストや釈迦のような聖人、ソクラテス、プラトンのような賢人は科学技術が未発達な時代でも正しい判断が出来たが、我々凡人はそうは行かない。
科学には自然科学のほかに人文科学と社会科学があるが通常サイエンスと言う場合は理科系の自然科学のことである。テクノロジーも工学、理学、化学、医学、薬学等の理系の技術の事を指す。つまり科学技術は主として理科系である。私のような文科系は一般的に科学技術の知識に乏しい。私は高校で物理も取らなかった事を今猶後悔している。
偶々物理の先生が嫌いだったからである。従ってエネルギー不滅の法則もエントロピー増大の法則も50歳まで知らなかった。況や相対論や量子論も定年後の勉強でやっと知った程度である。良くまあこの程度の自然科学の知識で豪そうにものを考えたものだと汗顔の至りである。日本の教育は受験知識を詰め込む為の教育であって教養を身につけるためのものではない。従って文科系と理科系の乖離は益々広がる一方である。
まだ私の時代は国立大学受験は7科目が必須だったが、今は5−3科目へとどんどん減らしている。私立大学の理科系は国語と英語と理科一科目だけで良いから、物理、化学、生物、地学から一つ選べばよい。仮に地学を選べば物理も化学も生物も知らない理科系大卒が生まれる。逆に文科系は国語、英語、社会科一科目だけで、社会、倫理、日本史、世界史から選ぶ。仮に倫理を選べば世界史も日本史も知らない文科系大卒が誕生する。これでは人間の教養がどんどん劣化するのも当たり前である。
一方サイエンスの分野もどんどん細分化、専門化して一般教養から乖離しつつある。専門馬鹿になってほかの事は知らない科学者が増えている。況や人文科学や社会科学のイロハも知らない理科系学者が多い。これもまた片輪のような人間を造り出す事になる。
学者でない一般人は理科系と文科系の知見を広く浅く齧って統合した知識を身につけたほうがより良い判断が出来ると思う。テクノロジーも詳しく知る必要はないが利用する事で効率が上がるから大いに活用するべきである。

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