沖縄返還交渉を巡って当時の佐藤首相とニクソン大統領が合意文書を交わしていた事が明らかになった。米国は沖縄を返還しても有事の際には沖縄に核を持ち込むか、或いは沖縄を通過する権利を有し、事前協議の上で日本は速やかに承認する事が記されている。合意書は二通作成してホワイトハウスと首相官邸に保管されるとしている。佐藤氏は首相退任後合意書を自宅書斎に移し、死後に遺品整理された際親戚が保管していた。
日本は核を持たない、使わない、持ち込まないと言う非核三原則が単なる建前である事を国民は薄々気付いていた。横須賀に入る原子力潜水艦や空母に核ミサイルが搭載されている事は常識であり、嘉手納基地に飛来する戦略爆撃機にも核爆弾が搭載されているのも又常識である。日本に寄る時それを一々取り外す筈が無い。日本政府は見て見ぬ振りをするか、或いは核持込を承認する密約があるに違いないと思っていた。
今回発見された合意書は第一級の資料であるが、佐藤氏は態と私文書と見做して墓場まで持って行く覚悟だったのかも知れない。家族には勿論、後継の田中首相にも引き継がず自宅書斎に保管していたとはその責任感には鬼気迫るものがある。
日本国民には広島、長崎の悲劇が齎した強い核アレルギーがあるから、米軍が持ち込む事も許さないと言う人が大多数である。特に最大野党の社会党が非武装中立主義では核兵器などとんでもない話である。佐藤首相としては悲願の沖縄返還を成し遂げるには核持込を認める密約をせざるを得なかったのだろう。
実兄の岸首相も国民の安保反対の大合唱の只中で国益を慮って日米安保体制を敷いた。
兄弟共に世論におもねることなく果敢に決断する類稀な指導者であると思う。他策無かりしを信ぜんと欲すという心境だろう。リーダーはこうでなければなら無い。

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