今朝久し振りに犬達を散歩に連れて行った。通学途上の女子中学生と次々出会う度に「可愛い!」と黄色い声が飛ぶ。飼い主としては褒められたのだから悪い気はしない。実際小さな室内犬が尻尾を千切れるほど振りながら大通りをチョコチョコ歩く姿ほどカワイーという表現がぴったり来るものは無い。
数年前から気になっていたが若い女性が人を褒める時に可愛いと言う言葉しか使わなくなったように思う。綺麗だとか美人だとか言われても喜ばないが、可愛いと言われると喜ぶそうである。一種の流行語で今風の表現だと思うが私には違和感がある。
本来可愛いと言う表現は幼児や赤ん坊やペット等の生き物と或いは人形や衣服のような非生命体に対して使われた。詰まり可愛いとは無邪気だと言う事が第一義で、愛すべきだと言うのが第二義である。幼児やペットには全く邪気が無いから可愛いのである。女性も中高生以上になると当然自我が芽生えるから、無邪気と言う訳には行かない。親を殺すようなとんでもない中学生もいる。愛すべきなどとはとんでもない。
成人の心の中は悪意と邪気と利己だらけだと言っても過言ではない。詰まり可愛いと程遠い存在である。だからこそ軽々に可愛いと言われると違和感を覚えるのである。さっきも犬達を全然可愛いと言われたが嬉しくなかった。本来全然とは否定する時に使う言葉である。全然可愛くないと言われた様な気がした。若者は語彙が不足している事もあるが、もう一つは本来の言葉の意味を取り違えている事もある。多分テレビの低劣番組がのさばり、お笑いタレントが詰まらぬギャグを飛ばして流行り言葉にする内に本来の意味が失われるのだろう。
普段は犬達を広いベランダで遊ばせるので運動不足にはなら無い。然し散歩の方が嬉しそうなのでこれから度々外を歩かせようと思う。

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