ミズノオープン三日目を終わってオーストラリアのブラッド、ケネディーが8位タイにつけている。彼とは旧知の間柄である。前回のトーナメントでも初日、二日と良いスコアを出してテレビに映ったので気がついた。ヨーロッパツアーを転戦していたが最近日本ツアーに転向したらしい。前回も最終日に崩れたが今日は是非頑張ってほしい。
私は定年後5年間オーストラリアのゴールドコーストの別荘で夏、冬おのおの二ヶ月間過ごした。婆さんも来るが一週間だけだったので殆ど一人暮らしだった。別荘の左隣に住んでいたのがジョン、ハットソン夫妻と娘さんだった。小さなIT企業を経営する紳士で素晴らしい隣人だった。ゴルフが大好きなので直ぐ意気投合してウイークエンドは殆ど一緒に回った。体格は私の倍ほどあるが、下手の横好きでゴルフはヘボだった。15歳も年上の痩せこけた小男が彼の打った球を追い越すので何時も不思議がっていた。尤も私は毎日ゴルフ三昧だったから、彼は50歳を越せば早目に引退してゴルフ三昧に入るから今に見てろと嘯いていた。彼も先祖はイギリス人だから出来るだけ早く引退することを理想としていた。
私が日本に帰国している間に娘さんが結婚して家を出た。その相手がプロゴルファーのブラッド、ケネディーだった。オーストラリアツアーは規模も賞金も小さいので、プロゴルファーは上手くなるとアメリカ、ヨーロッパ、日本のツアーを目指す。簡単にはライセンスを取れないがブラッドはヨーロッパのツアーライセンスを取得した。ジョンは大喜びでお祝いにブラッドと私を一流コースに招待した。現役のプロと回ったのは初めてだった。流石に凄い球筋にただ見とれていた。ブラッドは私がジョンより飛ぶので手首と腰の切れが素晴らしいと褒めてくれた。私は小中高と野球部のピッチャーだったと言うとそうだと思ったとお世辞を言った。
その後ジョンは家を売ってゴルフ場を有する新興住宅地に豪邸を建てて引っ越した。オーストラリア人は住宅をステップアップして引っ越すことを生涯追及する人種である。私も新居に招待されたが350平米はある豪邸だった。こんな広い家に二人で住んでどうすると冷やかしたが、彼らは始終パーティーをやって客を招くのが習慣なので半分見栄のためだろう。その後もゴルフは彼のコースで一緒に回った。私も5年後家を売って引き払ったのでメールのやり取りだけの付き合いになった。然しブラッドの事は気になって時々ヨーロッパツアーの成績を雑誌でチェックしていたが上位には顔を出さなかった。
8年ぶりにブラッドを観たが30歳を過ぎて円熟味を増した。ゴルフは今からである。

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