昨日はサンフランシスコ講和条約を締結して日本が主権を回復した61年目の記念日である。政府が式典を憲政記念館で開催して天皇・皇后両陛下をお迎えし、国会議員や首長ら約400人が出席した。日本の独立記念日みたいなものであり祝うのは当然である。然し沖縄県だけが仲井間知事の代わりに高良副知事が出席した。沖縄、奄美、小笠原が日本の施政権から切り離された日でもあり、現地では屈辱の日としているので本土が式典を行うことに強く反発している。天皇の政治利用だと批判する評論家もいる。私は記念式典に反対する意見に違和感を覚える。
沖縄は国家ではない。日本国あっての沖縄県である。日本国が主権を回復したことを喜ばないのは地方自治体として又国民としてあるまじきことである。施政権を切り離してアメリカに一時的に委ねたのは国が沖縄県を見捨てたからではない。世界と講和条約を結ぶには他に選択肢が無かった。当時は東西冷戦の真っ最中で、ソ連と中国が韓国や日本をドミノ方式で共産国化しようと狙っていた。事実北朝鮮がソ連と中国の介入で赤化して韓国侵略を図って朝鮮戦争が勃発した。アメリカが韓国や日本を守らなければ東アジアは共産主義圏になっていただろう。
沖縄に米軍基地の75%を置いたのは優れて地政学的理由による。陸海空軍と海兵隊が共同作戦を取るにはバラバラの基地では機能しない。将来的にはグアムやハワイに移るとしても当面は沖縄以外に代替地は無い。米軍基地のために度重なる被害を被った沖縄県民の苦しみに思いを致すべきは当然のことであるが、かといって県外に移すと米軍の抑止力が低下する。本土の日本人も例外なく沖縄県民に感謝しているに違いない。そのご苦労を労う為にも国民の税金から多大の予算を注ぎこんで沖縄振興を図ってきた。今年も3000億円以上を注ぎこむ予定である。
喩えは悪いが、難産で母親は死亡したが赤子は帝王切開で生まれた場合、父親は母親が死んだ日を屈辱の日だと言って赤子の誕生日を祝わない事があるだろうか。母体が持たないので未熟児の儘赤子を取り出して数か月肥育器で育てたとしても、誰も文句を言わないだろう。
全て考え方の問題である。沖縄にとって屈辱の日だから祝うなと言うのは狭量に過ぎる。

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