脇村奨学会の元常務理事脇村孝三郎様がご逝去された。99歳の大往生だから致し方ない。名門脇村家の三男に生まれ、元学士院会長の脇村義太郎、元三菱銀行常務の脇村礼次郎を兄に持つ方である。文人画の収集で高名な礼次郎氏は美智子皇后の伯母を娶られたので皇后の義理の叔父に当たるお方である。孝三郎氏は東大の経済を卒業されて東京海上に務めたが、実家の山林業を継ぐため故郷の紀伊田辺に帰って生涯を田辺で過ごされた。
山林業で財を成した父君の始めた奨学会を引き継ぎ常務理事として長年活躍された。毎月奨学生に送金する時、全員に自筆の手紙を添えて貴重なアドバイスを下さった。毎月数十人の奨学生に手紙を書くだけでも大変なことで常人には真似が出来ない。
私は父を6歳で失くしたので、孝三郎氏の慈愛溢れる眼差しに憧れて勝手に瞼の父としてきた。
先月は100歳の母を亡くし今月は99歳の瞼の父を亡くした。実に寂しい限りである。
孝三郎氏を一言で表すれば篤実の人である。全てに篤い方だった。優しさと誠実が背広を着ているような方だった。生涯勉強だとおっしゃって驚くほど博識だった。晩年は102歳の現役医師日野原氏を見倣って老いを迎え撃つと張り切っておられた。
孝三郎氏は150cm足らずの小柄であるが東大のラグビー部で裏方で活躍された。何故選りによって大男が戦うラグビー部かと不思議だったが、これこそ孝三郎氏の真骨頂であろう。劣等感を克服しようとされたに違いない。
私が世間様から物知りだと褒められるのは全て孝三郎様のお蔭である。少しでも氏の博学に近づこうとして勉強したおかげである。
明日は通夜であるが病院でCTスキャンの検査があってゆけない。糖尿病が急激に悪化したので主治医が癌の発症を疑ってCT検査を手配してくれた。告別式には間に合わない。
喪主の脇村富士夫様は私のブログの愛読者で裏コメントで適切なご意見を頂いている。メールでお悔やみを述べる心算である。

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