多分金欲しさに同級生を殺して遺体を大阪から八王子までダンボールで宅配便で送って上海に逃げたり、自分の子供を遺棄して餓死させ、家に帰らず女に溺れたり、7歳の幼女に劣情を感じて連れ去って殺したり、全くここが日本かと疑うほどおどろおどろしい事件が続く。私は余りの酷さに吐き気がしてテーマに採り上げる気にならなかった。詳細は省くがここに纏めて言及したい。
犯行の動機は金と性という煩悩の最たるものである。人間は誰でも煩悩に悩むものである。金は食うためには絶対に必要なものであり、性は子孫を残すために必要なものでいずれも本能である。本能が悪いとは言えない。寧ろ自我の根源は本能にある。
人間の活動は地位、金銭、快楽を求めるものであると断言しても言い過ぎではない。人生はある意味で生存競争である。他人を蹴落としてでも少しでも地位、金銭、快楽をより多く求める。中には初めから生存競争から降りて出家したり清貧に甘んじる立派な人も居るが稀である。自分の心の奥底を見詰めれば、人格者でも煩悩には勝てないことが分かる筈である。
釈迦牟尼は早くから人間の本質は煩悩にあることを喝破していた。釈迦にとって悟りを啓くとは煩悩から解脱することだった。この世からあの世への三途の川を渡るには煩悩を捨てなければならないと説いた。煩悩は重すぎるから船が沈む。全部捨てられなくても軽くする必要がある。然しこれが難しいからこそ凡人は悟りを啓けないのである。
大事なことは煩悩を捨てられないならせめて少欲知足を実践することである。欲望を少なくして、足りる事を知ることが肝心である。然しこれも難しい。煩悩具足の凡夫は救いようがない。

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