最近学研の出版による禅の本を読んでいる。著者は複数だが増田秀光氏が編集長である。私は禅は良く分からなかった。仏教の一派だと思っていた。然し丸で見当が外れていた。禅は一言でいうと無と空の境地に遊ぶ悟りの世界である。宗教というより哲学である。
禅の開祖は達磨大師と言われている。ダルマさんが転んだのあの達磨である。西域に生まれて中国に渡り禅を広めた後日本に渡来した。壁に向かって9年間も座禅を組んだとして面壁九年で知られている。
御釈迦さんがインドで悟りを啓いたのは座禅によってだから禅は仏教以前から存在した。達磨大師は開祖というより禅を系統づけた人である。禅にはお経が無い。文字や言葉に頼らない。経験・行動あるのみである。修験僧や雲水も禅の言う悟りを目指して修行している。
禅は日本では主として臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の一派として発展した。栄西、道元、隠元が禅の思想を活用した。仏教が宗教というより哲学に近いのは禅を組み入れたからである。
禅は案外国際的である。日本の鈴木大拙が英語で禅を論じて西洋の哲学者にも受け入れられた。ハイデッガーやビトケンシュタインも禅に傾倒した。一時はヒッピーが禅を齧って怪しげな若者文化がアメリカで定着した。然し彼らは大麻やLSDを服用して悟りを啓いた積りだったので所詮偽物であり消えた。
達磨大師の教えは主として四つの言葉で纏められる。不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏である。不立文字はよく聞く言葉で、文字に依らないと言う意味である。教外別伝もお経や教えとは別に伝えることである。以心伝心と同じ意味である。直指人心は自分の心を直に見つめることである。見性成仏は自分の本質を観ることで成仏すると言う意味である。
つまり禅は文字や言葉や経典に頼らず自分の心と本性に問うて究極の悟りを啓くことを説くもので自力本願で仏になることである。無と空の境地に遊ぶ世界である。

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