昨年11月4日、元ぴのっきおの清水キョウイチ郎くんが亡くなった。41歳。肺血栓で、自宅で倒れているところをその3日後に発見されたという。生前の彼が予想だにしなかった臨終に違いない。夢も半ばであったろう。非業の最期を悼むばかりだ。
彼の死を聞いたのは、通夜も葬式も終った後だった。彼とは、ぴのっきおが勢いあった頃、吉本の特番と賞レースの番組で仕事をしたくらいで、飲屋さえもご一緒したことはなかったが、葬式ぐらいは駆けつけたかった。そうなった時、必ず連絡がもらえるまでの関係に成り得てなかったことが悔しいばかりだ。
そして、彼の追悼番組が持たれた。僕が見たのは吉本Fandangoテレビで、つい先日の日曜日(21日)深夜の生だった。だがこれは再放送かもしれない。テレビ東京の『やり過ぎコージー』でもやったそうだが、それは見れてない。
FandangoはCSだ。出演者の数は10名を楽に超えていたが、収録場所はNGK3階の楽屋ロビー。セットも、急いでかき集めて来た大きさまちまちの本人の写真をそのまま貼ったパネルが一枚、出演者の椅子はロビーのスツールをそのまま使用という、低予算暴露振りだ。
だが、時間は充実の2時間。失礼を承知で言うと、清水くんのランクの芸人には、例えCSだとしても思いがけない大盤振る舞いだ。無論、本人は知ったことではないが。
さて、その中身だが、次々と彼のエピソードが飛び出し、もう遅いが、彼のことをより知ることができた。しかも、そのエピソードが頗るなのだ。芸人清水キョウイチ郎の死は惜しかったと思わざるを得ない、面白芸人談の数々であった。
その清水キョウイチ郎譚を語ってくれた顔ぶれは、
司会が、けつかっちん・高山知浩。
以下、メッセンジャー・黒田
メッセンジャー・會原
けつかっちん・和泉修
まるむし商店・磯部
中田尚希
中田はじめ
しましまんず・藤井
しましまんず・池山
シンクタンク・タンク
たいぞう
たむらけんじ
川畑泰史
烏川耕一
国崎恵美
という15名。
そして、出てきた清水キョウイチ郎驚愕のエピソードは、
「シャドウボクシング、奈良2位!!」
「30秒前は夫婦円満だったのに!!」
「エレベーターに落書き!」
「河本の命のチューブを!!」
「ICUで矢沢永吉!!!」
「プッチンプリン7段!」
「サウナに行くのに風呂!!!」
「猫の世話代の3万円は!!!」
「小鉢30個全部形が違う!!」
「八重山商高OB!」
「モヒカンの火柱!!!」
「梅干の酸で!!!」
「万引きに間違えられた!!」
「小さいテレビ!」
「甲斐無い!!!」
「放送できない離婚理由???」
「死に役なのにモヒカン!!」
「競馬取って、和子のおばチャ〜ン!!!」
「悪徳不動産屋!!!!!」
「生放送でビンビン!!!!」
「カウス君!!!」
「しましま藤井はライバル!」
「その前日シャチ死亡!!」
「エスカレーターのコーヒー!!!!」
「またアブラムシ!!!」
「年越しはソバや!!!!」
「合わせ鏡芸!!」
「あかんふたりが消防士!!!」
「ドアが開いたら山根師匠!!」
「タコの心の闇!!!!」
「子供へのプレゼントは名前の無い人形!!」
番組を思い出しながら書き出してみた。勿論、まだまだある。因みに「!」の数はミシュランに倣った僕の面白判定である。下手をすると「人志松本のすべらない話」より面白い。面目躍如の芸人清水キョウイチ郎であることだ!!!!!
ただ、死んだ芸人のエピソードを喋るのはハードルは低い。「すべらない」のハードルはきつく高いことは言っておかねばならない。
更に、放送作家としてこれらふたつの番組を比較させて頂くと、さすが選ばれたもの達だけあって、しゃべりのレベルは「すべらない」が圧倒的だ。勿論、「追悼」は清水くんへの真摯な気持ちが優先で、しゃべりの腕を見せようと、他のバラエティ番組と同様の気持ちで乗り込んだ芸人などいないことは承知している。
しかし、そこにテレビカメラはあった。彼らもお笑い芸人なら、僕もお笑い作家、そこは貪欲に、冷徹に判断させて頂く。蒙御免。
だが、もう一度言う。当日紹介された清水キョウイチ郎芸人譚の中身はどれも「すべらない」に負けてはいない。恐るべし清水キョウイチ郎!
そして、放送作家の僕は更に考える。死者の過去を暴く⇒その擬制装置⇒「生前葬」!!!!!
「生前葬」といえば、石原裕次郎を育てたことで名を馳す水之江滝子が1993年に行った事が耳新しいのだが、私が死んだら誰が来てくれて、どんな顔で、何を言ってくれるのかは、気になるところである。無論、これをやる真意はもう少し他のところにあるのであろうが。
実はこれをテレビのレギュラーコーナーとしてやった事がある。僕の案ではなく、僕が番組に参加したときには既にそれをやることは決まっていたから、恐らくその番組のプロデューサーの発案であろうと思う。I本というそのプロデューサーならやりたがりそうなことで、僕も興味津々、意欲に燃えていた。だが、それは突如悲惨な結末を迎えたのだった。
番組のメイン司会はあの上岡龍太郎。第一回の生前葬は盟友・横山ノック。第二回が確か村上ショージの師匠でもあった滝あきら。今は亡い。そして、続く第三回だったと思うが板東英二でそれを行った。直後、制作局の朝日放送に一視聴者から悲痛な電話が入った。
「私の大好きな板東さんを殺すなんて、本当かと思ったやないの!非常識です!」
え、本当かと思った?そんな頭の固い、めぐりの悪い、想像力の欠けらも無い、ちまちま日常のババアなんか相手にしてられるか!と思ったが、その電話に朝日放送は太刀打ちできず、翌週、生だった本番内で、その決定に納得しない上岡龍太郎にI本プロデューサーがカメラの前に引っ張り出されて、その経緯と謝りを述べた。突然で異例の展開である。まだ経験の浅かった僕は一言も口を挟む事も出来ず、番組は終了した。これは貴重ではあるが、決して苦い思い出ではない。
そんな生前葬に如何なる定義があるか知らないが、宗教考現学研究所所長・此経啓助氏は「生前葬を機に人生を一度リセットし、その後は隠居するなど、生活スタイルを全く変えるべきであり、興味本位で行うものではない」と指摘する。が、お笑い作家はほぼ興味本位で扱う。バチアタリめが!いや、一度当っているのだが。
では、現実にテレビでやる「生前葬」の可能性を探ってみよう。もう少し条件をつけて・・・ゴールデン全国ネットだ!
その前に、今回僕が見たのは追悼であって生前ではない。本当に亡くなった人の思い出を皆で語り、例え笑いにまみれたとしても、芸人に相応しい厳かなる鎮魂、慰霊の儀式だったのだ。そこでは、暴露に次ぐ暴露も亡き人への賞賛に変わるのだが、「生前葬」の場合は本人が存命なので、そこが難しい。そこが醍醐味でもある。
結局問題は‘誰の’生前葬であるかということだ。
その人のそこまでの人生のどんなことに何を言われても笑って聞いていられる人である必要がある。そうでなければ、誰も何も言えなくなる。そんな遠慮の利いた「生前葬」なんて面白いわけが無い。
その人のそれまでの人生の1ページ、その人も気付かない一瞬、そう受け取られてるとは知らなかった一刹那。
曰く、仕事の失敗、他人への愚痴、悲しい恋、不道徳な愛、変態な夜、迷惑な癖、お金への執着、責任転嫁、裏切り、怪我の原因、病気の真実、犯罪・・・何が出てくるか分らない!
相次ぐ暴露に「何でこんなことをやると言ってしまったのだ!」と自らを責めることにならないとも限らない!ひとり青天の霹靂!マッチポンプ地獄!自業自滅!飼い犬に手を噛ませるマゾ行為!
だがお笑い芸人の中にはそんな人はいる・・・と思う。去年の秋頃、ケンドーコバヤシのそれをテレビで見たが、やはりいるのだ。思いつくまま僕判断で他に挙げる。あ、勿論お笑い限定で。それと希望も込みで。
東野幸治
宮迫博之
バッファロー吾郎・木村
劇団ひとり
千原浩史
志村けん
明石やさんま
ビートたけし
松本人志
こう挙げてみると、この人たちは日頃から結構プライベートを曝されている人たちであることに気付く。そこを何処までよしとするかは、芸人の生き方に関る重大な自己判断である。当然だが彼らの対極にいる芸人にはこの企画は無理だ。
あとは、これらの人々の中でゴールデンでいける人は誰かという問題だ。けド、スポンサー付かないだろうな。花王とか無理だろうな。
さて、これまでに無く勝手なことを書いてきて、ナンシー関みたいになった今回だが、最後に思うのは「生前葬」は男のものではないかということだ。例えお笑いだとしても女性が全てを暴露されるのは、頂けない。言われてる本人が照れたり、笑ったりしても済まされない何かが残る気がする。それは僕の趣味ではない。
だが、日本芸能史上、唯一それを行ったのが水之江滝子なのだ。男装の麗人と言われていた面目躍如たるものかもしれないが、僕としては一日も早く、誰か男がそれをやって本当の「生前葬」を見せ付けて欲しい。嘗てのあのババアにも・・・
矢沢永吉とか凄いと思う。
誰もやらないなら、いっそ、僕が・・・
2007年1月26日、かわら長介57歳と2ヶ月と13日。

0