8月15日、今年は62回目の終戦記念日だそうだ。この前後にはテレビ、ラジオ、新聞、雑誌、いろんなメディアが「終戦」、もしくは「敗戦」、或は「戦争」そのものを取り上げる。あの戦争を仕掛けた国として、更にあの頃それを煽ったものとして当然だろう。
そして、きっかけは何だったのか、8月に入った頃、「今年は戦争に関する番組を出来るだけ見てみよう」と思いついた。
そう思って、8月15日前後3週間ほどのテレビ番組欄を見ると、あるわあるわ、先ずはお目当てのドキュメンタリーから、ドラマ、映画まで、その殆どは日本の戦争に関するものだが、中にはヨーロッパ戦や、ナチスにテーマを求めたものもある。その数、ざっと30本。その殆どがNHKのBS放送であった。
しかし、放送時間が重なっていたり、僕の持っている機器の限度(そうは言うものの僕はDVDデッキを3台、ビデオデッキを2台持っている・・・だから?)そして、僕の在宅条件もあって、録画出来たのは3分の1ほどだ。
その全てを見ながら、その番組と番組が伝えてくれた戦争について書いていこうと思う・・・・・また長くなりそう・・
@『平成19年 長崎平和祈念式』
(8/9〈木〉NHK総合 62分)
午前10時40分、番組は甲子園の熱闘の画面が、打ち鳴らされる長崎の鐘に変って始まる。
今年はつい先日久間防衛大臣の「原爆、しょうがない」発言があったり――しかも久間氏は長崎県選出の議員だった――更に長崎は前市長の伊藤一長氏が暴力団により射殺されたりして、いつもとは違った緊張感と意義を持った式典だったようだ。
そんな中、式は進行する。原爆死没者名簿奉安。献花。原爆投下時間11時2分黙祷。市長の平和宣言。被爆者代表による平和への誓い。児童合唱「子らのみ魂よ」。来賓挨拶。合唱「千羽鶴」。そして番組は「〜核兵器の無い平和な世界を実現したい。被爆地長崎は変わらない願いを訴え続けます」と終る。
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広島ではなく態々長崎を選んだという訳ではない。広島も撮りたかったが、物理的事情だ。
それはともかく、この式典で僕が大いに刮目した事があった。それは「献水」。ご存じでしたか「献水」。これは、この時初めて耳にした。遺族代表が原爆で亡くなった人々に対し水を献じるのだ。5人の代表が水の入った手桶を祭壇に置く。NHKのナレーションではなく、場内のアナウンスが「62年前のあの日、体内まで焼けただれた被爆者は、水を、水をと言って亡くなりました・・・」と言う。この式典には当然慰霊の意味はあるのだろうが、その点では最も相応しく、式典の中で最も胸に来るものを感じたそれであった。
その他といえば、安倍総理が来ていた。そして献花の時、その前の遺族代表が遺族席に向かって一礼してから献花したのに対し、安倍総理は一礼無しで献花に及んだ。え?と思った。態とならそれはそれで彼の意思表示でいいのだが・・・いや、だったら阿部来るな。て言うか、長崎市は総理を拒否すればいいのにと思った。挨拶の後の拍手も一番少なかったし・・・
それだけでなく、外国の大使による献花もあったのだが、その中にロシアとパキスタンが入っていた。核保有国なのに、おめおめと!長崎、舐められていないか!しかもそれは2年前からの長崎市の招待に応えての参加なのだ!納得できない・・・
ともかく「献水」。あれは広島でもあるのだろうか。ひょっとすると広島が先で、長崎が真似たのかもしれない。いやそれはいい、どちらが先でもいい。が、ならばそれは第一回からあったのだろうか?もし最初からだとしても、誰かが「こんなことをやりたい」と提案した筈だ。それは誰なのだ。その人の発想・・・と言うのは違うだろう。その人の死者への只管な思いが「献水」を生んだのだ。
お陰で「献水」というものを知ることが出来た。
A『裁かれなかった毒ガス作戦〜アメリカは何故免責したのか〜』
(8/10〈金〉 NHK・BS 111分)
東京高裁前、不当判決と書かれた紙が掲げられる。今年の7月1 8日、「遺棄毒ガス被害事件」の判決だ。
日中戦争の終結時、日本軍は30〜40万発の毒ガス砲弾を中国国内に遺棄した。その採掘工事により毒ガス被害に見舞われた中国人が日本政府に対して起こした裁判のそれだ。
それより62年前、日本の戦争犯罪を問う東京裁判で、日本の毒ガス作戦は裁かれるはずだった。
番組は、中国で実際に行われた日本の毒ガス作戦の証拠を次々に示す。米国際検察局の調書、中国国民政府の外交官の証言、中国人被害者の証言、作戦を実行した日本兵士の日誌などなど。総合的でなくても、どのひとつを取っても日本軍は明らかに中国大陸で毒ガスを作戦として使用している。
その呼び名だ。
「みどり」=催涙ガス
「あ か」=嘔吐ガス
「き い」=糜爛ガス
その製造過程にはあの悪魔の731部隊が関与していることも証明されている。
しかし、1946年5月3日開廷した東京裁判で「日本の毒ガス作戦」は問われもしなかった。その背景に付いてアメリカの識者が言う、「アメリカは将来の戦争で化学兵器を使える選択肢を保持したかったのだ」と。
実際、米化学戦統括部が「もしこの毒ガス作戦に関し、日本が訴追され、それが立証されたなら、毒ガスの使用を戦争の手段として違法化する政策へとアメリカは追いやられ、将来に於いてアメリカの自由が拘束されるという由々しき事態になるだろう」と報告を出し、これを受けたアイゼンハワー陸軍参謀総長はキーナン東京裁判主席検事に対し「起訴状の起草に際して、日本が毒ガスの使用を禁止しているジュネーブ議定書を批准していない、ことを考慮されたであろうか」と秘密電報で婉曲に迫っているのだ。
結果、日本の毒ガス使用は免責され、更に、アメリカはその功績をベトナム戦争の枯葉剤に繋いでいるのだ。
そして番組は、もう一度、日本の遺棄した毒ガスの被害に遭っている中国人の現状を伝えて終る。
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第二次大戦でアメリカは「人のふんどしで相撲を取った」ようなところがある。日本やドイツが領土と権益を求めて他国へ攻め入る。そこには当然アメリカが何らかの既得権を得ている情況がある。だが直ぐにはアメリカは乗り出さない。当事者同士の争いを黙認しつつ、武器供与や経済制裁でより敵対する国を追い詰める。やがて、それは功を奏し、その国がアメリカに刃を向ける。後は叩くだけだ。しかしその時点で既に勝敗は決しているのだ。太平洋戦争はまさにそれだ。
しかも、アメリカは転んでもいないのに転んでも只では起きないというか、行きがけの駄賃とばかりに戦争から更なる収益を上げようとする。戦争をチャンスとするのだ。即ち、例えば日本の毒ガス研究の全てを取り上げる。731部隊の研究成果が殆どアメリカに渡った事は誰もが知る事実だ。あの風船爆弾の優秀な高度維持措置の成果もアメリカの手に落ちた。或は、世界の頭脳を自国に集め、その悪魔の欲望をそそり、遂にはあの原子爆弾を完成させ。仕上げに、そして次回の為に、その実験を他国民でしたのだ。
無論、国内の逼迫を他国へ求め出兵した日本はそれ以前の問題だ。ある時、僕は「戦争は次の戦争への準備だ」と僕が書いた芝居で言った。だが本当にアメリカはそれを実践しているのだ。
けれど、それは戦勝国に限らない。「負けて覚える相撲かな」は戦争にも真理だ。負けた日本も、結局、9条を変え、今度は負けないぞとばかりに、また戦争をしようとしている。と言うことは、もしまた負けたら、日本は今度は絶対に9条みたいな条項は憲法に入れないだろう。それは将来損だと勉強したからだ。
日本は次、何処と戦争をやるんだろう。また、同じだったりして。ま、その方がいろんなハウツー持ってるから、いいかも。向こうも持ってるか。だったら今度はいきなりこっちの原爆攻撃から始まったりして・・・
B『中学生日記「戦争と平和、どう教わっていますか?」』
(8/11〈土〉 NHK総合 31分)
普段この番組を見たことが無いから多分だけど・・・いつものドラマ仕立てではなく、大須先生役の漫才師・ランディーズの高井俊彦が沖縄を訪れ、出会った中学生と戦争について聞き、話し合うという回だ。
先ずは北谷(ちゃたん)町。路上で会った中学生に、「戦争と平和に付いて考えたことある?」。このストレートな質問は如何なものか。答える方も、結局、「恐い」「いや」「無くなって欲しい」・・・う〜ん、予想内の答えでしかない。
次は、おばあちゃんから戦争の話を聞き、もっと戦争について知りたいと思っている宜野湾市に住む中学生・玉城夏生君と戦争にまつわるいろんな場所を訪れる自転車旅行に出る高井。
嘉手納基地(フェンスの横を)〜佐真下公園(防空壕跡)〜嘉数高台公園(トーチカ跡)〜首里城(遠くに見ながら)〜とある商店〜糸満市・平和記念公園(平和の礎=沖縄戦で亡くなった日・米の人の名前が彫ってある石碑)
勿論、それぞれの場所でふたりは会話をする。残念ながら高井の凡庸な質問に対し、玉城君がちゃんと答えているのに苦笑した。
続いて、高井がやってきたのは糸満市の三和中学校。その三年生のクラスに行き、「おじいちゃん、おばあちゃんから戦争の話を聞いた事がある人」と「ない人」からその感想と思いを聞き出す。
次は比嘉千代子さん76歳の家を訪れて話を聞く。彼女はこれまで戦争のことを話さずに生きて来たのだが、「このところ(日本が)また戦争の時代に戻りそうで、二度と孫達にああいう思いをさせたくない」と、話す決心をしたのだと言う。
番組上、彼女の話は一部でしかなかったのだろうが、家を辞した高井はカメラに向かって「おばあさんの話を聞いて、自分の器が小さ過ぎて、これ以上話して欲しくないと思った。戦争はその悲惨さを語り継ぐほうにも、語り継がれるほうにもそれなりの勇気と覚悟がいる」と語る。
最後は幾つかの出会いのシーンをバックに、高井自身のナレーションで「太平洋戦争が終って62年、当時一体何があったのか、僕たちが直接話を聞くことができる時間は、もう余り長くはありません」と結ぶ。
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沖縄のことを「中学生日記」で扱うとこうなる。或は、こうならざるを得ない。か、こうでしょ。と言われているような感じの番組作りだ。だとしたら、NHK,もしくはディレクターの河合理香氏、中学生を舐めている。中学生に失礼だ。
その態度は日本の怪獣映画の製作者に似ている。日本の怪獣映画の幼稚さといったら無い。その態度は「子供はこれぐらいでいいのだ」と上から判断している。嘗てあなた達はそうであったのに、子供がもっと知りたがっている事を忘れている。そのひとつは余りにも生物科学的に有り得ない怪獣や怪人を出してくる事に露だ。そしてストーリーが酷い。子供だましだが、多分、子供達は騙されていないだろう。言う場所が違うかもしれないが、大人も見られる怪獣(人)映画の出現を日本映画界に願う。
さて、「中学生日記」だ。浅く、しかも、本土の中学生でも沖縄に付いて聞かれたら答えそうな事しか聞き出せていない。態々、沖縄に行ったのに。だが、それはランディーズ・高井のせいではない。構成段階で、あるいは現場で、そして編集時、これで良しとしたディレクターの責任だ。
会った事も無いのに失礼だが、結局いろいろ盛り沢山にするより、「比嘉千代子さんとの話」だけにするか、「玉城くんと徹底的に廻る」か、「三和中学での話し合い」だけで行くかだったのでは。
勿論、その時、番組が比嘉さんに、玉城くんに、三和中学の生徒に何を求め、何を問い掛けるかだ。それはディレクター自身が沖縄の戦争と平和をどう考えるかということでしかない。
たくらだ堂〜52〜へまだまだ続く!

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