※これは後篇です。これだけでは面白くないし、納得もできません。必ず「72・前篇」を読んで下さい!
僕は妄想する。
きっとその時、「あたご」の中ではこんな事が起きていたのでは!
――「あたご」の艦橋内。ふたりの乗組員がいる。甘鴨海曹長(41歳・□で表す)、と種迫三等海曹(30歳・▼)勿論海曹長の方が上官だ。
▼「そろそろ交代の時間です」
□「次は誰だ?」
▼「村木です。新人です」
□「ああ、あいつか、何か線細いよな、あいつ」
▼「でもやる時はやる奴ですよ」
□「具体的に言えよ」
▼「そうすよね」
――と男が入って来る。村木(24歳・◎)である
◎「村木一等海士、見張り員の交代にやって参りました!」
――敬礼をする村木。
□「来たか。よし、じゃ交代。よろしく」
――甘鴨、敬礼を返すがぞんざいだ。
◎「交代時間、午前○時○分。受け継ぎ事項の確認をお願い致します」
□「判ったから、せっつくな。これに全部書いてある」
――甘鴨 村木に受け継ぎ書類を渡す。目を通す村木。
◎「前方4kmに漁船群あり」
□「そうだ。この辺は船舶銀座と言ってな、この時間は朝方に千葉や神奈川から出た漁船がうようよしている。気を付けろよ」
◎「了解!」
□「堅いんだよ」
◎「あ、種迫三等海曹。ハワイではごちそうさまでした」
□「何だ、お前たち、そんな中なのか」
▼「はい。一応、同郷なんです」
□「じゃ、お前も岐阜か」
◎「はい、そうであります」
□「おいおい、海の無い県の奴ふたりで大丈夫か?」
▼「甘鴨海曹長、そのお言葉は心外です」
◎「そうです、海が無いからこそ・・・あれなんであります」
□「あれって何だよ。そこを言えよ」
◎「憧れが強いのであります」
□「おいおい、憧れって、それ、却って危なくないか」
◎「いえ、大丈夫であります」
□「胸張られても、根拠薄いよ」
▼「大丈夫です」
□「先輩、後輩揃って大丈夫だけかよ。ま、任すしかないけどな。じゃ、後は・・・そうだ、ちょっと待てよ」
――甘鴨、部屋を出て行こうとしたが、何かを思いついて止まる。
▼「どうしました海曹長」
□「そうか、久しぶりにやってみるか」
▼「何をですか?」
□「(村木を顎で指して、企みある顔で)あれだよ」
▼「え、あれですか!」(村木を見る)
□「どうだ。いいだろ」
▼「いいですね!」
□「そうか、いいか」
▼「はい、お薦めです!」
◎「何なんでありますか?」
――甘鴨、村木の肩を抱く勢いで
□「今夜お前を、我が海上自衛隊の本物の兵隊にしてやろう!」
◎「え?どういう事でありますか」(不安げに種迫の方を見る)
▼「大丈夫だ、海曹長の言う事を聞け」
□「いいか、これは遊びではないぞ。我が海上自衛隊の伝統ある儀式であると共に、栄誉ある試験だ。これに優秀なる成績を残した者は、必ずや我が海自の歴史に名を残す人物となっている」
◎「そんな事を私がやらせて頂けるんですか」
▼「言っておくがな、失敗は許されんぞ」
□「因みにこの伝統を作ったのは誰あろう、あの太平洋戦争の幸先を飾った真珠湾攻撃の発案者であり、我が海軍歴代連合艦隊司令長官中ただ一人の戦死者であられる山本五十六元帥であるぞ。敬礼!」
――と自ら敬礼する甘鴨。それを見て慌てて敬礼をする種迫と村木。
◎「(敬礼の姿勢のまま)それは一体、どんな伝統でありますか!」
□「(敬礼を止めて)種迫三等海曹、説明してやれ」
▼「(敬礼をやめて)はっ」
――種迫、村木に近寄って。
▼「お前、チキンレースって知ってるか?」
◎「はい。所謂肝試しであります」
▼「ま、そうだが、もう少し具体的に言うと?」
◎「誰がどこまで我慢できるか、一番ぎりぎりまで頑張る事が出来た者が勝ちであります」
□「ほお、良おく判っているじゃねえか。じゃ、聞くがもしここでこの艦を自動操舵にしたらどうなる?」(やらしく聞く)
◎「考えられません。危険過ぎます。それはこの海域では禁止行為、やってはならない事であります」
□「判っている。だが、それを承知でやったとしたら?」
◎「狂気の沙汰、最早、海自失格であります!」
□「それでもやったら!」
◎「それをやる意味が不明であります。目的が判りません!」
□「だから、目的はお前の栄誉を賭けた試験なんだよ!ホラ!」
――と言ったかと思うと、操舵盤上のある一個のボタンを押す甘鴨。
▼「うわっ、甘鴨海曹長、いきなりですか!」
□「いいか、村木一等海士、今、俺が押したボタンでこの艦は自動操舵態勢に入った。」
◎「ええっ!」
□「という事は、再びこのボタンを押さない限りこの艦はこのままのスピードで真っ直ぐ進む。分かるな」
◎「は、はい!」
□「はいじゃなくて、そうするとどうなる?」
◎「先ほどの段階で4km先、今ならば3km先に漁船群がおりますので、衝突の可能性が大かと思われます」
□「正しい。しかし、当てちゃいかん。な、そうだろ」
◎「そうであります。当てちゃ、もとい、当ててはダメであります」
□「よおし、そこまで分かっているならもういい。今からこの艦はお前のものだ」
◎「は、どういう事でありましょうか!」
□「この艦をお前が自由にして良いと言うことだ。しかしだ、今やお前の艦は無謀にも、いや勇敢にも漁船群の真っただ中へ突っ込もうとしている!」
◎「自動操舵状態でありますから、当然であります」
□「村木一等海士、前を見ろ!前方海上を見ろ!何が見える!」
◎「ははっ!前方海上、漁船が数隻目視出来ます!」
□「このまま行ったらどうなる!」
◎「衝突であります!」
□「しかしだ自衛艦が民間船に当たるなんてあってはならん事だ」
◎「あり得ません」
□「そうだ当てちゃいかんのだ、当てちゃ。しかし、これはお前の度胸と勇気を試す栄光の試験だ。山本五十六元帥直々の肝試しだ。当たるのを怖がって、早々に自動操舵を解除しては我が海自の名がすたる!判るな」
◎「判ります!」
□「ほう、何をどう分かっている?」
◎「これは私への試験、肝試し、チキンレースであります。つまりこれは私自身が申したように、ギリギリまで我慢する試験であります。ですから、私は衝突の危険が高まる中、今や私のものとなったこの艦をどこまで自動操舵状態に留めておけるか!そして漁船と衝突する事無く何処までいけるか!運と勘と勇気で立ち向かわねばならないのであります!」
▼「海曹長、村木は判り過ぎています!」
□「確かに、これほど早く、しかも完璧に己が運命を悟った奴を私は知らない!60年の時を超えて、山本五十六元帥はブーゲンビルの海の底で喜んでおられるぞ!」
◎「甘鴨海曹長!種迫三等海曹!私、村木一等海士は海自入隊以来三年でありますが、これ程に海自に入った事を誇りに思った事はありません!」(涙声だ)
▼「泣くな!泣くな村木一等海士!今泣いたら、涙で判断を誤るぞ!」
◎「アイ、アイ、サー!」
――艦橋は狂気が渦を巻いている!
□「だが村木一等海士心配するな。向こうも海の危険は十分に知った漁師どもだ。むざむざと当たりはせん。増してや誰がこんな大きな船に当たろうとするものか!先ずは向こうが避けようとしてくれる!」
▼「それでこそ、益々このチキンレースが成立するのだ!」
◎「有難いことであります!」
□「ははは、礼には及ばん。だが、暗闇に精いっぱいの漁を求めるあの漁船達を見よ。いずれ乗組員は勤勉実直なる親戚親子達だ。その数多くても三人。下手をすりゃ最少複数の二人。漁に手も耳も目も取られ、無残、この巨大艦を回避出来ぬやも知れぬ!その時は、その時こそは村木一等海士、躊躇なくこのボタンを押し、自動操舵を解除、衝突を回避すべき事は言うまでもない。だがしかし、相手が海の男ならお前は海の益荒男だ!負けてはならん。いつの日か海自のいや我が自衛隊の、いや自衛軍が晴れて軍隊となった日に伝説の男となるべく、今ここで勇気を誇示せねばならんのだ。その為にギリギリまで我慢せよ!」(自分の言葉に酔い、どんどん興奮して行く)
◎「はい!」(それに煽られこちらも相当興奮してきている)
□「生死の彼我の淵で漁民の死に立ち向かうのだ!」
◎「はいっ!」
▼「海曹長、漁船が一艘!」
□「村木一等海士、見えるか!」
◎「はい。見えております!」
□「ボタンを押すなよ。これぐらいで押すんじゃないぞぉ」
◎「押しません。これぐらいでは自分は押しません!」
▼「回避!回避!漁船が無事前方を通過しました!」
□「先ずひとーつ!良くやった!」
◎「有難うございます!」
▼「次です。今度は左舷より二艘です!」
◎「了解!」
□「押すなよ。押すんじゃないぞぉ。これぐらいで押していては嘗てこの試験で死んだ英霊に申し訳が立たん!」
◎「え、これで死んだ隊員がいるんでありますか!」
□「突然の心臓発作でな」
◎「自分も今、心臓が飛び出んばかりであります!」
□「だが、そんなやわな奴ばかりではないぞ。昭和20年8月15日、南洋パラオの海で人間魚雷回天に乗ったひとりの兵士が敵の駆逐艦トーマスニッケルに対し一歩も引くことなく直進、衝突!無念の最期を遂げた」
◎「え、回天て人間魚雷のでありますか?」
□「そうだ」
◎「あれは元々当たる為の兵器では?」
□「うううん。あれ、基本的にはチキンレース用」
◎「マ、マジでありますか!あの回天が・・・?」
□「そう。だから海龍も蚊龍もそう。ま、日本軍にもそんな遊びをする余裕と洒落っ気があったと言うことだね。昭和20年のあの時点で」
――そんなふたりの呑気な会話を中断するように種迫が叫ぶ!
▼「漁船が接近!先ず先頭の一艘!」
□「押すのか、押すのか!村木!」
――緊張の走る艦橋内。3人の全身に汗が噴き出している。無論、一番激しいのは村木一等海士だ。
◎「押しません、押しません。押しませんよぉ!」
▼「回避!先ず一艘回避!」
◎「よっしゃぁ!」
▼「続いて・・・二艘目が来た・・・二艘目・・・回避!」
□「見事!」
◎「まだまだです!」
□「まさに、よくぞ海自に入りけり。これぞ海の男の醍醐味だ!」
▼「全くそうです。村木が羨ましいです!」
◎「光栄であります」
□「おお、次が来たぞ!名にし負う船舶銀座だな!はははは!」
▼「ハハハハ!」(乾た笑いだ・・・)
□「今度は真横からだぞ。大丈夫か、押すなよ。だが、当てるなよぉ・・・」
▼「来たぞ、来たぞ・・・大丈夫か、押さなくて大丈夫か」
◎「大丈夫です!押しません。自分は何があっても、押しません!」
□「大丈夫か、今度は近いぞ!大丈夫か・・・こ、こ、これは、ど、ど、どうだ!」
◎「押しません!」
▼「いや、これは、ひょっとして押した方が・・・」
◎「いえ、押しません!」
□「む、む、村、村、村木・・・い、い、いかんぞ、これは、いかんぞ!」
◎「いかん事ありません!」
□「村木ぃーっ!」
▼「村木!」
◎「今、押します!」
――村木、ボタンを押す!
□「(マイクに向かって)急速後進!」(機関室に指示)
――ガクンと揺れる船。
――身を固くして、何かを待つ三人。緊張の時が流れる。二秒、三秒、四秒、五秒。突然、ガガーンと言う大音響とともに艦が更に揺れ、三人の体が床に投げ出される!
▼「当たりました!」(恐る恐る言う)
□「当たったな!」
◎「当たりましたね」
――三人立ち上がる。
◎「うわあ、やっちゃったか」
□「当てちゃぁだめ」
▼「どうしましょう!」
□「ま、艦長に報告だな」(ドアに向かう)
▼「艦長、仮眠中ですよ」(後に続く)
□「起こすさ」
◎「自分も行った方がいいですよね」
□「ここを無人にはできん。お前はここにいろ」
◎「はっ」(敬礼)
――艦橋を出ながらふたりの会話。
▼「やっぱりあいつには無理でしたね」
□「先に言えよな、そういう事」
――艦内に緊急事態を知らせる音が響く。
――完――
言ったように、これは妄想である。嘘妄である。狂想である。こんな事がある訳が無い。国民の為に作られた自衛隊が、まさか、そんな。
だがしかしだ、世界第二位の軍事力を誇る日本の自衛隊、それもイージス艦だ。こんな事でもないとあんな事故は起きる筈が無いのも事実だ。謎だ。
ところで、お笑い作家の妄想はこれで終わらない。
お笑い作家は逆も考える。つまり漁船の側がチキンレースをやっていたかもしれないと妄想するのだ。
それは余りに不謹慎だと、お前の人間性を疑うと言うなら、僕の笑いはそこまでも踏み込むのだと言おう。
尚、二日の時点で海上保安庁は捜索を打ち切った。今は自衛隊のみが・・・

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