芝居の進捗状況は遅々たるものだ。時には決定が白紙になって進むどころか後退する事さえある。
そして何事もお願い、お願い、お願い。
無論、それは回避出来ないし気が進むことではないが、やると言いだしたのは僕なんだし、気が進むの進まないのなどと言う権利も資格もない。作って行くのだという気概だけだ。
しかもそのお願いをするにも、その人達に十分な報酬、または見返りを用意できないという事情が歴然としてあるのだ。
例えば大道具、小道具、そして衣装、あるいはチラシまで、芝居に欠かせないあらゆることに思ったようにお金を掛けられる訳ではない。その筆頭はギャラだ。今回の出演者が他の舞台やテレビや、ましてや営業等で貰っている額の何分の一が払えるか。お願いして、頭を下げて、後はこれまでの付き合いに免じて貰ったり、作品に興味を持って貰うしかない。相手の意欲をこちらがどう引き出すかだと言っても良い。
嗚呼、僕が三谷幸喜であったなら!アホなる心の叫びだ!
さて、その作品だが、塾生達には一旦、
「数人の様々な事情を持った互いを知らない登場人物が集まって何かをする」という広い設定でストーリーを考えさせていたのだが、実はその時点で僕にはこれをやってみたいなと思っていたモノ(作品)が既にあり、中村譲くんと今里哲ちゃんが思い浮かんだことで、それはまだ僕の中だけだが決定に至ったのだった。
そのモノ(作品)とは、嘗て「HOBO‘S」という、僕と同業の東野博昭くん(通称がっしゃん)が主宰であったコントライブの為に書いた『ロシアンルーレット』というコントだ。
因みに初演は1998年3月、HOBO‘S第一回公演にて。
その後、2004年1月、東京でも出演者を変えて上演。
そんな二度もやった古いものを何故またやるかと言うと、東京公演後、打ち上げの時だったか、そのがっしゃんが「長さん、これだけで一本の芝居になりますよ」と、多分きっと、好意的に言ってくれたのをずっと覚えていたからなのだ。いつか絶対とまでは思っていなかったが、僕自身も面白そうな予感を持ち、機会があればと思っていて、今回それをやろうというわけだ。
実はもうひとつ、もう少し大きな理由があるが、それは公演当日のお楽しみに!
ではここで、その『ロシアンルーレット』の中身をかいつまんで。
〜暗い地下室に五人の男。
〜黒いスーツの男、迷彩服の男、アロハの兄ちゃん、六十がらみの男、四十過ぎの男。お互いどういう人間かは知らない同士だ。
〜そして彼らを見守る観客百十数名。勿論これはそういう体(てい)。
〜五人は今からこの場でマジのロシアンルーレットをやる。
〜つまり百名を超える観客は、ロシアンルーレットで人が死ぬのを見に来ている客なのだ。そしてその為に一人百万円を払っている。
〜集まったお金は都合一億円を超す。5人はロシアンルーレットをやり、生き残った者だけがその内の一億円を人数で割り、その金を持って帰れるのだ。
〜つまり五人はそれぞれの事情で、まとまった金が必要な人間達なのだ。いや、ちょっと違う事情の者もいるのだが。
〜この場合のロシアンルーレットのルールは、最低誰か一人が死ねばいつ止めても良いというもの。金を払った客に対し最低の保証というわけだ。
〜しかし生き残った者が更にロシアンルーレットを続けて行き、人数が減れば分け前は多くなるという仕組み。
〜さあ、お客さんもお待ちかねだ。いよいよ死のゲームが始まろうという時、誰かが「これも何かの縁です。皆さんが何故こんなゲームに参加することになったのか、その理由を聞きたい」と発言。
〜反対する者はなく、一人ずつその事情を語り出す。
【アロハ】は組への借金と、度胸試し。
【六十男】は工場が倒産、一家心中の前に一か八かで。
【四十男】は賭博で自己破産。最後の賭けに。
【迷彩服】は一度ロシアンルーレットをやってみたいと。
【スーツ】はこのゲームの謎の進行役。その正体は!
〜五人の供述は終わった。さて、ゲーム開始!果たして望んだ金を手に生きて帰れるのは誰と誰と誰?
という芝居だ。いや初演も東京も20分ほどのコント。そして東京では五人の中の一人を女性にした。
それを更に今回は五人を六人にした上で、彼らの供述部分をそれぞれの単独芝居(と言っても相手役あり)に変え、全体を90分に仕上げようという構想なのだ。
■5月?日(?)■
かくの如く変動する諸状況の中、ある情報があって、大阪の会場としてほぼ決定していたアムホールを再考する事になった。
その情報とは、吉本興業がこの秋にオープンする京橋花月の夜公演で企画が通れば、つまりこの芝居が面白ければ、数日間上演できるというものだった。
確かに、吉本というネーム、レーベルから離れたところでやるとは決めてはいたのだが、元より、吉本の傘の下で出来たなら、稽古場の問題、広報宣伝の問題、そして劇場賃貸料の問題など相当な面で助かる事は判っていた。更に、京橋劇場はキャパ500人。シャンプーが2日と言っている以上、その位の観客が入れる小屋が有難いのだ。因みにアムホールは250〜300人。
ミューズホールに続きアムホールさんもゴメンナサイ。だが、この話も確定的ではない。
■5月23日(金)■
そして、この日が俳優中村譲くんのマネージャーと会う日だ。場所は東京赤坂東急ホテルロビー。
僕のこの5年ぐらいのスケジュールは隔週木、金が今年15年目に入った「ダウンタウンDX」の収録と会議で東京。要するに、その二日目を利用して会って頂く事になったのだ。
夕方5時、当然のように、ここは僕が先に現場到着。やがてマネージャー登場。30歳半ば、日焼けした短髪の彼であった。先ずは名刺交換であったが、その日僕は名刺を切らしていたのだ!不首尾!
マネージャーは藤井賢一氏。会社名はRanves(ランべス)。
僕は、僕の現状と芝居の荒筋と共演者、公演日などのここまで決まっている事柄、そして何故中村譲くんなのかを懸命に伝えた。
そうなのだ。何故中村譲くんなのか。彼は日本と台湾で俳優でモデル。生まれは日本と台湾という違いはあるが、そのあり様はあの金城武だ。無論お笑い畑には足も踏み入れたことが無い。只、ダウンタウンと同じ兵庫県の生まれではある。だが遠い、全然遠い。その彼になぜ僕が芝居に出て欲しいと思うようになったのか。
今から三カ月遡る3月27日、木曜日。僕は東京に住む叔母さん親子と食事をすることになっていて、夜の10時、新宿のかに道楽に向かった。ところがそこにいたのは三人。叔母さん達親子にもうひとり、親戚とかではない見知らぬ男性がいたのだ。そう、彼が中村譲くんだったのです。
実は叔母さんの息子の清(多分47歳)は針灸師で、仕事の関係で台湾に行っていた時、(確か)患者としてやって来た彼と知り合い、それ以後懇意にしていたそうなのだ。それで、今回数年ぶりに僕と会うと言うので、同じ芸能界なら面白いかもと、極大雑把な感じで、彼を同席させたというわけだった。
そして、その場で彼、中村譲くんが台湾と日本で俳優でモデルで、北京語、広東語そして英語が出来、ついこの前もTBSのドラマに、などなどを知ったのだ。
更に肝心なことは、彼が関西人で、大阪弁で、非常に話好きで、人見知りをせず、屈託がない事だった。僕の中にとても好印象が残った。
しかし、この時既に芝居の構想は動き出していたのだが、彼に僕の芝居に出て欲しいと思うようになるなどという事は、全く頭の何処にも無かった。
そして、その二ヶ月後の今日、僕は彼のマネージャーに、必死で出演交渉をしているのだった。
勿論と言うべきか、その場では回答は無かった。そして、マネージャーからは「中村の今のライン(二枚目)を崩すことだけは避けたい」という要望的条件を言われた。それは当然だ。しかし、今度の芝居の彼の役どころならその心配はない事を保証した。
その日は約30分程だったか、早めに芝居の内容を書いたものをメールする事で、是非またと終わった。
■5月24日(土)■
「たくらだ堂〜79〜寄席」にも書いたが、この日京橋花月オープンのプレイベントに行く。
目的の第一は芝居の為の会場として使わせて貰えるかどうか。で、そのプロジェクトの最高責任者でもある谷(良一)さんと会って、その旨の話。ところが、当面の夜興業はやはり吉本の思惑内でやる事と、実はその為の企画も出揃っておらず(吉本らしい)、もし、僕の芝居をやるとしてもこの時点では期日は決められないということで、京橋花月の話は一瞬にして消滅。
そして自動的に、大阪公演は11月4、5、6日、梅田アムホールが決定。但し4日をゲネプロだけにするか、公演も打つかは未定。
一方、東京の小屋は中村君が探してくれているが。
■5月27日(火)■
毎週火曜日は塾の授業日。この日塾生への課題(宿題)は更に変更具体化し、「ある事情で相当の大金がいる人間のその年齢、風貌、職業、家族関係と金が要るその理由」と「ロシアンルーレット」に沿ったものになった。
そして、この日の朝、藤井マネージャー宛てに前述した芝居を読み物風にしたモノ、これが結構長くて約3万8千字。つまり、原稿用紙にしてざっと380枚分のものを送った。
果たして、中村譲くんに出て貰えるのか!
■6月2日(月)■
その返事はこの日の夜にあった。中村譲、OKである!有難い。とても有難い。今回の芝居にはとても有効な、つまりそれだけ必要な役者さんのなのだ。
更に、マネージャー自身が「読ませて貰いましたが、中村の役はこの芝居の要で、今の彼には重いとも言えるくらいです。頑張らせます」とまで言ってくれたのだ。
ここまで、いろんな事が余り順調には来ていなかった――いや、芝居なんてそういうもんだと言う事は判っていた――が、このOKで僕のやる気に俄然火が付いた!
■6月5日(木)■
「ダウンタウンDX」の収録日。ゲストの中に渡辺直美さん。ふと思い付いて彼女とエドはるみさんの二人の出演をマネージャーに打診。エドはるみさんは可能性ゼロに近いという、そりゃそうでしょう。渡辺直美は検討します。これが今日の処の返事。
■6月6日(金)■
僕のパソコンに塾生から人物設定案が3通届く。ゴッド伊東(二期)、橋本洋介(二期)、そして塚腰祐介(三期)からだ。
面白いのがひとつ。でもそれが最終稿に残るかどうかはまだ不明。
■6月8日(日)■
(東京、秋葉原の歩行者天国で無差別殺人事件発生!被害者の不拡大と模倣者の出ない事を祈る。勿論芝居とは何の関係もない。だがそう言い切って良いのかという思いはある。)
■6月10日(火)■
「たくらだ堂」にて「製作日記」をスタートさせる(早朝)。
火曜日なので塾あり。21時半からの継続授業は「ロシアンルーレットの登場人物」
出席者は二十人ぐらいだったろうか、いつもに増して多い。やはり生徒にも刺激なのだろう。人物案も百出だ。そして中には僕が発想し得なかったモノも幾つか。逆に僕が刺激されて、僕も人物案を考えねば、六人の設定を全部生徒に取られる訳にはいかない。負けてられるかと発奮の夜!
で、今のところ面白い設定はふたつ。「思い込みの激しい男」と「怪しい宗教にハマった男」。
だが最終決定はまだ先だ。果たしてどんな六人になるのだろう!
■6月11日(水)■
芝居の製作とは直接関係は無いが、たまたま、中村譲くんとマネージャーが大阪に来ていて、焼肉を御馳走になる。嬉しい事だ。二軒目はクラブへ。こちらは僕の奢り。中村君の酒は明るく愉快で、相応にエロい。マネージャーはつつましく飲み。僕はひたすら元気だ。
■6月13日(金)■
一日家にいながら電話作戦。先ずはインターネットを見ながら、東京の会場を当たる。二週間ほど前にもやったが候補さえ見つからず。今日はその続き。
世田谷パブリックシアターは良かったが、一年先まで埋まっている!そしてもうひとつ品川区立だが「きゅりあん」という劇場。相当良い。しかしここも同様なり。
そして漸く見つけたのが大田区民プラザ。江沢民みたい。公的施設なので条件は色々あるが、12月に空いている日があった!一応仮押さえ手続きに入る。
この日は、他に三人の出演交渉をする。勿論電話。全員東京だ。ふたりは女性漫才師。ひとりはテレビ、舞台で活躍中の男優さん。詳細は次回!
前途洋々也。而多難也。

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