「85」「86」に東野圭吾の『手紙』の荒筋を書いた。弟直貴の受難は網羅してあるが、人間関係はもっともっと介在している。特に白石由美子は早くから登場し、影日向になり直貴を支え、彼を衝き動かす。彼女の存在と行動と意見は直貴の人生選択に少なからぬ影響を与えている。
題名でもある「手紙」は、全部で17通登場する。獄中の剛志から弟・直貴へのものが15通と、剛志から被害者の家族に宛てたものが1通。そして、弟から兄への返信が1通。
剛志から直貴への15通は、獄中生活の報告と弟への心配ばかりで、直貴の受難には直接関わらないので殆どを割愛した。
と云うお断りを書いた上で、さて、僕はこの『手紙』に頗る懐疑的なのだ。
◆先ずは、僕がこの本を読んだ動機に照らし合わせると、「犯罪加害者の家族を真正面から描」いた小説であると云うので購読したのだが、登場する家族は弟・直貴(主人公)ひとりだけでしかない 。
勿論、弟は家族である。だが、家族と云うからには普通親も入っていると予測する。弟だけを登場させて、「家族を真正面から描」いたと何処まで言えるかである。
無論、弟は兄の犯罪のお陰で、次々に窮地に立たされたり、望まぬ選択を余儀なくさせられたりして、家族である一人間の苦難は描かれているのだが、やはり家族の一面でしかない。
犯罪加害者の家族を描くと言うなら、弟だけが苦難に遭うのではなく、一家がそれに遭遇し、どう対処するかを描くほうが有効であると思うのだが。
勿論、父や母が出て来なければ犯罪加害者の家族を描いた事にはならないという訳ではないし、弟だけにしたところに作者の意図は勿論のことあったのだろうが、家族内の反発や、愛憎、相克、軋轢、様々な問題をどこまで浮き彫りに出来ただろうかと思うのだ。
更に言うなら、いくら犯罪加害者の家族だとしても高校卒業直前の少年では社会の差別や偏見、そして攻撃は手ぬるいというべきだろう。
要するに、犯罪加害者家族の実態はもっと過酷なはずだと思うのだ。
確かに、直貴も就職や、結婚で辛い思いをさせられているが、父が登場するなら、必ずやその人は息子・直貴よりは社会性が濃い訳で、家族の悩みや問題はもっと深刻なはずだ。
結局、直貴のバイトや、恋愛や、バンドデビューは瑣末な問題でしかない。
だが、それこそが直貴にとっては俗な大人の判断とも言うべきもので、結果的に直貴は外では店長や客や恋人やメンバーと対決し、家へ帰れば家族と対立する主人公として描かれることになる。
明らかに、そのほうが家族と犯罪を捉えていると思うのだが。
例えば、その時、家族とはこんな人々だ。
(兄の犯罪から逃げる直貴)
(関係ないわと言い切る妹)
(真正面からぶつかっていく父)
(泣いてばかりいる母)
(世間体だけを気にする祖父)
(兄を責める事しか知らない祖母)
(被害者意識丸出しで責め立てる親戚)
ま、ある典型でしかないが、この人達がそれぞれに直貴以上の人間関係の中で生きているのだ。家族の苦難や苦闘や苦渋と同時にその内にある家族愛さえも描けるのではと思うのだ。
◆次。登場人物のひとりに家電量販店の社長がいる。その男に作者は相当思い切った事を言わせている。問題はその中身と何故社長なのか。
先ずはその内容だが、恐らく、彼の意見は同時に作者・東野圭吾の「犯罪者」への、そして「犯罪加害者家族」への考えだと思われる。
その社長が何を言っているかというと、
(X)「犯罪者は身内への覚悟がいる。彼の犯罪により、身内も罰せられるが、その事も彼自身の罰(刑)である」
加害者の家族には、
(Y)「身内に犯罪者がいること全てをさらけ出して生きるのは正々堂々としているようだが実は楽な方法なのだ。全てを隠して、周囲に余分な気を使わせないで生きることが加害者家族の道だ」
更に、彼自身も含め周囲の人間の在り方として、
(Z)「全ての犯罪者に、自分が罪を犯せば家族も苦しむのだということを思い知らせる為にも、我々は犯罪者の家族を差別しなければならない」
う〜ん
先ず(X)。違うなと思ったのは、作者が「身内も罰せられる」と書いている点である。
僕は身内は被害者の側面も持つと思っているので、「罰せられる」のではなく「被害を蒙る」事になると考える。
第一、「罰」という以上、何らかの罪を犯していなければならない、家族が何の罪を犯したというのか。
「罰せられる」と書く作者には犯罪者の家族は既に犯罪者であるかのような考えがほの見える。偏っている。
そして(Y)だ。
「全てをさらけ出して生きよ」というのは正論である。だが、正論であるが故に、甘くもあり、迷惑でもある――というのは社長の考えでもある。だから「甘く」「迷惑な」生き方は止めろと言う。
隠せ、そして隠している事に耐えると云う厳しい生き方を選び、他人に迷惑をかけるなと言う。
正論に対し悪論と言っても良い考えである。
但し、正論こそがあるべき道だなどと聖人みたいな事を言う気は毛頭ないし、正論が煮ても焼いても食えない事はままあることだ。
只、彼の悪論は自己否定であり、逃避であり、隠蔽である。そして社長はそうせよと言っている。まるで、ちゃんと生きるなと言っているようである。いや、もう犯罪家族の君達はちゃんとなんか生きられないのだと言っている。しかし、作者にとってはそれがちゃんと生きることなのだ。
理論としても、人情としても受け入れられない!
だが百歩譲って、ある事実に作家が何をどう言おうと、それは彼の見識であり、表現だ。
そして東野圭吾は、例えば身内が、或いは近しい人が犯罪を犯した時に隠して、逃げろと言う。家族として、恋人として、或いは友人として、その他それぞれの関係に応じて生じる、必要最低限の責任にも目をつぶれと言っている。
それを追求すると、周りが迷惑するから、どう対処して良いか分からくなるから静かにしてろと言う
彼は人間関係を築くという言葉を知っているのか!
3つ目の(Z)は何をか況やである。
どんだけの上から目線!何様気分!さては東野圭吾Sか!いや、それならいっそ許そう。性癖じゃ仕方がない。それで興奮するんだから、本能なんだから。本能じゃあ、本人訳が判っていないのだから。
そうでないなら、作者には家族が家族を守るという愛とか、事情とか、権利といったことが頭にないのではと思わざるを得ない。
◆以上のことを犯罪被害者の側から考えてみると、
作者は、犯人の家族に黙せといっている。それは、犯罪の全てを知りたい、何故愛する家族がそんな目に遭わなければならなったのか、何としても知りたいという、被害者家族の思いと真っ向から対立し、それを否定するものだ!
裁判は加害者の罪を問うだけではなく、その原因を明らかにし、次の犯罪に控えると共に、被害者家族の心の安定をも目論むものである。
作者はそれを否定している。
つまり作者は犯罪を追及するなと言っている。犯罪の原因を探ることも、犯罪者の心理を追求することも否定している。犯罪は起きたら起きたままにしておいて、それを次の犯罪の予防や、人々の安全のために活かすことを認めていない。
彼は犯罪を憎まないのだろうか。彼の考えは「罪を憎んで人を憎まず」の真逆、「人を憎んで罪を憎まず」ではないのか。
それは、私的制裁を認める立場であり、裁判を否定する立場である。現行の日本の裁判を認めるのも本意ではないが、流石にそれは考えられへん!
◆続いて、社長の言葉を別の観点――その人選から。
恐らく作者は、一番言いたい事をこの社長に言わせている。
社長は普通、世間的に強者である。直貴は弱者である。
その弱者に向かい、社長にこの小説の根幹であること、それは、直貴を救済し、励まし、方向付け、覚醒させることを言わせるのだが、それが何故社長なのか?
当たり前だが社長は企業人である。金儲け第一の人種である。無論そうでない社長もいる。男女平等賃金は勿論、障害者を雇い、外国人にも門戸を開き、メセナにも消極的ではない、そんな人物はいる。
しかし、儲けを考えない社長はいない。それでは会社が存続しない。つまり社長でいられない。そこを犠牲にする社長は成立しないという事でもある。
何故そんな人間に犯罪加害者の家族として悩む、弱き青年に、あんな反人間的な事を、しかも上から目線で言わせたのか!
この社長の生い立ちや、過去は小説には出てこないから判らないが、彼にこの小説の最重要課題を言わせるなら、せめて彼がどういう人生を歩んできたかは書かないと、そして出来るなら彼は結構な苦労人でないと。
そうでないと、直貴本人も聞く耳を持ち得ないはずだ。
例えば、吉本新喜劇のクライマックス、主人公に説教する人物が、突然現れたどこの誰とも判らぬ者だとしたら、「あんた誰や!」と出演者全員に突っ込まれることは間違いない。
それでも、もし中にそれを熱心に聞く人物がいたとしたら、今度はそいつが全員に、「何で聞いとんねん!」と突っ込まれる。
けど、直貴、それを聞いている!あれ?
言う方も言う方だが、聞く方も聞く方である。
いやいや、軽々に判断するべきではない。やはりと言うべきか東野圭吾は作家である。しかも当代一の売れっ子作家である。その人だからこそ、こうも考えられる。
あの社長が言ったことを思い出して下さい。それは「悪論」ともいうべきとんでもない内容だった。
そこだ!つまり、そういう事だからこそ、下世話な一介の社長に言わせたのではないか。
そんな事を言わせるに相応しい人物として社長を選んだのではないか!
俗な社長だからこそ、あんな暴言をのうのうと語るのだと。
そして更に、それを聞かされる直貴こそは、世に社長と言われる人物の言うことなら、疑うこと無く、そこにきっと珠玉の何かがあるだろうと、有難がり、求め聞く人間だったのだ!何せコンドームに穴をあけるんだから。
ダブルボケ小説だったのだ!
きっと東野圭吾は何かも判っていて、犯罪加害者の家族に犯罪から逃げろなどと言う気はなく、犯罪被害者の遺族の邪魔をする気もなく、全てをお見通しの上で、逆説的人物ばかりを配し、この作品を書いたのだ。
要するに、全編皮肉小説というわけだ。
そうだ、きっとそうに違いない。
とは言え、数々の暴言、全国の社長さんゴメンナサイ。
◆そして、では僕なら、犯罪加害者の家族の物語をどうするか。
先ず家族は大家族にしようと思う。
貧乏な大家族もいいが、それだと、犯罪の影響より日々の暮らしのほうが大変で、悲惨さが際立たない恐れがあるので、ここはひとつ金持ちの大家族で行こう。
父親の職業は、判事か、大学教授、それも犯罪学の。それとも、幹事長クラスの政治家も面白いだろうな、マスコミとどう対決するか、勿論、報道を抑えるなんかは朝飯前だ。
だったら、いっそマスコミが手を出しにくい皇室とかもありかも。いや、ちょっと浮世離れし過ぎていて、犯罪認識が希薄でお話しになんないかも。止めておこう・・・ちょっと怖いし。
家族構成は、父母、祖父母、場合によっては明治生まれの曾祖父とか。
兄弟は、ま、優秀な奴ばっかりか。中に一人ぐらい犯罪予備軍的な奴がいても盛り上がるだろうな。「お前が言うな!」ばっかり言われたりしてる奴。
他に、家政婦、隣の口達者なおばはん、共に大活躍。
加害者の兄弟が勤務する会社の社長。辞職勧告の嵐だぜ!
それから、娘の婚約者。勿論、破談だ。だが彼は正義漢だった。それも一家が迷惑なくらい。「もういいんだよ、中林くん」てね。
犬目線とかもありだな。飼い犬のリバティが色々喋る。勿論、誰にも通じないけど。
そうなると、先代の亡霊も出現。おお「ハムレット」だ!こいつには社長以上の事言わそ。
よし、宇宙人も出そう!
犯罪感も、家族感も、結婚感も、生命感も全く違う生き物だ!
こうなったら、ヒーローとか是非もんだな。バットマンとか、ゴルゴ13とか、思い切ってプレデターとか。ううう、迷うなぁ。
で、主人公の犯罪は何にしよう?
テロか、通り魔殺人か、それともクーデターか。いや、この際流行りの偽装で行くか。
勿論手紙は登場する。それも二種類。投函前のものと投函後のもの、家族が読む後者は検閲で真黒だ。つまり、相当反権力的か、エロいか、危険かだ。
そして、その小説のタイトルは・・・・『脱走』!
そう、兄貴に脱走させちゃうのだ!
しかも家に来ちゃう!
無論、家族は更なる窮地に!

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