どうやらメキシコが発症地らしい新型インフルエンザと抱き合わせみたいだった今年のゴールデンウイークだったが、その最中の5日、愛知県でちょっと怪訝な事が起った。
結構ご存じかと思うが、事件の概要はこうだ。
5日早朝、愛知県で警察の副署長が酒気帯び運転で検挙された。
副署長は54歳。勤務先は守山署。名前は小川直哉で階級は警視。
詳細は置くが、ともかく、副署長はその日の夕方から夜中まで友人と飲酒。その後、夜食を食べようと一旦署へ戻り、駐車場に止めていた自分の車で、ひとり近所の飲食店へ向かった。
食事を終わり署へ戻って駐車しようとしたところ、酒のせいか、車の出し入れがスムースに行かずもたもたしているのを当直の署員が発見、更に副署長が酒臭いのに気づき、呼気検査をすると、呼気1リットル中から基準値(0・15ミリグラム)を上回る0・25ミリグラムのアルコール分が検出された。
その後は、本人も、守山署も、県警も平謝まりだという。そらそうだろう。
さて、僕が気になったのは、もたもたしている副署長を他の署員が検査したという箇所だ。署員はしかもと言うか勿論と言うか部下で、役下である。
こんな場合、普通見逃しませんか?
勿論、これは警察に対する大いなる偏見だ。
只、これが警察ではなく普通の会社だったり、もしかして他のお役所であったら尚更見逃す。今時なら多少の注意ぐらいはするだろうが、態々警察を呼んだりするようなことはしない。
しかし、この場合は警察だ。法令順守は命であり、それがお仕事だ。ところがだ、それ故に却って見逃すのでは。いや、これまでは見逃してきたはずだ!不祥事!それが最大許されないのが警察だ。当たり前であろう。警察は世の不祥事を取り締まり、それを無くそうとする機関なのだから。その警察が身内の不祥事を取り上げる。仲々無いことだ!大いなる偏見です。ハイ。
しかし、今回は違った。身内が身内の犯罪をあげつらったのだ。一般市民がその現場を目撃したという訳ではない。それも部下が上司を!
朝方の駐車場。それも署内だ。言ってみれば治外法権だ。見て見ぬふりはた易いことのはず。なんなら日ごろの付き合いはこういう時の為にあるのではないか!
しかし、それでもその署員は決然と呼気検査を行った。
それは義務?勇気?正義感?自棄?狂気?
一体、その時、その署員と副署長の間でどういう会話がなされたのか!
一体、その署員はどういう人物であったのか!
一体、その署員と副署長の日頃の間柄はどうであったのか!
それが出来る、或いは許す愛知県警守山署とは、一体どんな警察署であったのか!
疑問は尽きないが、無かったことにしようと思えばどうにでもなることを何故白日の下に晒したのか!
警察にそんな自浄作用があるなんて!(ハイ、偏見!)
@その署員が規則に厳格だった。
Aその署員が世事に疎かった。
Bその署員は無茶苦茶出世願望の強い男だった。
Cその署員の父親が警官で過去に、無実の罪で警察を追われ、彼はいつの日か父の敵を討とうと思っていた。
Dその時、その署員も酔っていた。
Eその署員と副署長は日頃から犬猿の仲であった。
F副署長は性格的に署内で嫌われていた。
G副署長自身が規則に厳格で、これまでに署員の不祥事を見逃すことがなく、署員全員があいつが何かしでかしたらと虎視眈々だった。
H副署長自身が規則に厳格で、いやがる部下に検査をやれと命令し、その結果を踏まえて検挙しろと命令した。
Iそこへ署長が飛んできて、これまた署長と副署長の間には確執があって!
続報は無いが、上司の不祥事を果敢にも見逃さなかったその部下君のその後は大丈夫だろうかと思ってしまった出来事であった。
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さてさて、田辺製薬である。
その事件からは既に一ヵ月以上が過ぎた。
事件の第一報を3月24日の読売新聞から。
■田辺三菱製薬(大阪市)は24日、子会社「バイファ」(北海道千歳市)と共同開発して薬事法の製造販売承認を受けた人血清アルブミン製剤について、承認の際に提出した試験データに改ざんなどの不正行為が見つかったとして、同製剤の製造販売承認を取り下げるとともに自主回収すると発表した。
製薬企業が試験データの改ざんが原因で承認を取り下げるのは異例。
問題の製剤は、重度熱傷の治療などに使われる「メドウェイ注」。実際に出荷された同製剤の安全性は確認されており、これまでに使用した患者807人(2月末時点)から健康被害は報告されていないという。
田辺三菱製薬は、酵母を使ったバイオ技術で、世界初の遺伝子組み換えによる同製剤を開発。2007年10月に承認を受け、昨年5月から販売していた。
データ改ざんを行っていたのはバイファ社の社員で、製品にアレルギーが生じる酵母成分が混入しないことを調べる試験で、一部のラットにアレルギーの陽性反応が出ていたのに、陰性反応のデータと差し替えるなどしていたという。
昨年末、同製剤の有効期間延長を求める申請手続き中に不正が発覚した。
バイファ社は、田辺三菱製薬の前身の旧ミドリ十字が、同製剤を開発する為1996年に設立された。データ改ざんにかかわっていたのは、旧ミドリ十字出身の品質管理責任者(すでに退職)やその部下ら計5人で、承認が下りないことを恐れて改ざんしたとみられるという。
厚労省内で記者会見した田辺三菱製薬の小峰健嗣副社長は、「社会からの信頼を損なう行為で心よりお詫びする。グループ全体で再発防止に努めたい」と陳謝した■
要するに、正直にデータを提出していたら商品として売り出せなくなるから、別のデータで販売の許可を得ていたのだ!
問題は、僕が怒ったのは、それが製薬会社であるからに他ならない!
だって、薬を作るのは人の病気や怪我を治す為のはず。それは直接に人命を救うという場合もあり、広く健康を維持する、回復するという場合もある。いずれにせよ、それは病気や怪我をした個人だけの問題ではなく、家族の健康と幸福をも守っていこうとする精神のはずである。
更に、現代医療は人命だけを視野に研究、発展を目指せばいいという時代ではなくなっている。
現に、田辺三菱製薬自身がそのホームページで代表取締役社長・葉山夏樹の言葉として、次のような一文を掲げている。
そのタイトルは、
『社会との共存が企業存続の前提であることを忘れません』である。
■私たちは、生命に関わる製薬企業としての役割を果たすことに使命感と喜びを感じています。しかし、一つの企業として、将来にわたって存在・発展し続けるためには、医薬品事業を通じた関わりだけでなく、さまざまなステークホルダーとのつながりを忘れるわけにはいきません。私たちは、地球環境への配慮として、省エネルギー・地球温暖化防止、廃棄物の削減や化学物質の排出削減などを重要課題とし、2008年度を初年度とする3ヵ年の環境安全中期自主行動計画を策定しました。今後、この目標達成に向けて活動していきます。
■また、地域社会にも配慮した活動を展開し、時間と空間を超えた社会との共生に向けた具体的な活動を重ねていきたいと考えています。
私たち田辺三菱製薬は、これまでお話ししてきた各課題を、日々の経営活動を通じ地道に実践し、国際創薬企業として社会から信頼される企業をめざして参ります。
何という素晴らしい御挨拶!
なのに、この裏切り!
その行為の裏には、「人命」より「金」という狂奔しかない!
地球より重いと言われる命よりお金を優先したのだ。しかも製薬会社が!
いまや人だけではない、あらゆる生命を救うことを目的として作られた筈の製薬会社がだ!
うん?それが目的でなかったとしたら?命を救うことが最大の目的でなかったとしたら!こうなったのは必然なのか!
だがそうなのだ。お金を優先する、金には負ける。それは一製薬会社に留まらない、企業の本質なのである。
企業は何処まで行っても金である。それは商売の基本であり、資本主義の原則であり、企業の本来の姿なのである。これは偏見ではない。事実だ。
創業の精神が如何に高邁であろうと儲からなければ商売は成立しない。いや、高邁であればあるほど、それを実現するには金が要る。金が無くてはその高級な社会貢献も不可能となる。会社が潰れては出来ないし、会社を潰してまでやろうとする企業人は成立しない。もし、どちらかを選択しなければならなくなったとしたら、100%金を取らなければならないのが企業なのである。それが企業の本質であり、限度なのである。
だからといって、「田辺三菱製薬、仕方が無いか」と言う訳にはいかない。ただ、今回は事件としては恐らく小さいし、被害者も出ていないようだ。そのせいか、いやマスコミの後追い取材の不熱心さが出ただけであろうが、続報も無い!!!!!
だからだ!だからこそ、こんなところでも、少しでも言い続けるのだ!
ところで、今回の事件を起こしたのは田辺三菱製薬。僕は盛んに田辺、田辺と言っているが、田辺は田辺三菱の前身である。大まかにその変遷を追ってみる。
【1678】田邉屋五兵衛が大阪土佐堀に薬種問屋「たなべや薬」を創業
【1901】田邉元三郎商店が独立。(後に東京田辺製薬に)
【1933】田邉五兵衛商店を株式会社に改組
【1943】社名を田辺製薬株式会社に変更
【2001】大正製薬との経営統合が発表されたが、成立せず破談
【2007】三菱ウェルファーマーを吸収合併し田辺三菱製薬が発足
相当大雑把だが、これは謂わば堂々たる社歴(大正製薬との悶着は堂々たるとは言えないが)で、ここには書かなかった裏面史がある。その最大のものは、ご存じか、「薬害スモン」である。
ところがだ、塾生の殆どが「スモン」を知らなかった!
嗚呼、全てを水に流してしまう無差別なる時の流れよ!
いや、敢えてここは塾生の勉強不足、低意識と憤嘆しておこう!
「スモン」は「SMON」であり、
亜急性 Subacute
脊髄 Myelo
視神経 Optico
末梢神経障害 Neuropathy
の略称である。
『その臨床症状は、腹部膨満の後、激しい腹痛と下痢が起き、続いて足の裏から上方に向かって異常知覚(しびれ、痛み、麻痺)が広がり、下肢の脱力、起立、歩行の困難を引き起こす。時には視力障害から失明に至る場合もあり、また内臓障害、性機能障害など、その影響は全身に及び、死に至ることさえある。
そして、女性に発症が多いのも特徴の一つである。』
◆その病気は1955(昭和30)年頃から日本各地で多発し、範囲が限定的であったことから当初は感染症と疑われた。他にも風土病説、アレルギー説等が流布した。
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◆1958年、第63回近畿精神神経学会において、和歌山大学楠井賢造教授が「多発性神経炎様症状を伴った頑固な出血性下痢の治癒した一例」を報告。これがこの病気の学会報告第一号とされている。
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◆1961年、北海道釧路市に集団発生、「釧路奇病」と呼ばれる。その後、山形、米沢、長野県岡谷、徳島などで発生が続く。
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◆1964年、東京オリンピックのこの年、その後田辺製薬研究所が建てられる埼玉県戸田町、蕨市付近に集団発生、「戸田奇病」と呼ばれる。更に、福岡県浮羽町でも集団発生。
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◆同年、京都で開かれた「第61回日本内科学会・非特異性脳脊髄炎症シンポジウム」で、椿忠雄東大助教授らによって、前掲「スモン」と命名された。
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◆その直後の1965〜68年にかけて、「スモン」は日本全国で急激に増加。1960年代のスモン患者は厚生省調べで約1万1千人にのぼった。
そして重篤な症状と原因が不明であることから奇病として恐れられ、患者たちは差別の対象となっていった。
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◆1968年4月、厚生省は研究費3500万円を投じて「スモン研究班」を組織。同年9月、会長に感染説派の国立予防衛生研究所・ウィルス部長甲野礼作を迎え「スモン調査研究協議会」に改組。
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◆更に翌1969年10月21日、岡山大学医学部助教授・島田宜浩らが「スモンはウィルスによる感染症の疑いが強い」と朝日新聞に発表。
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◆1970年2月6日、京大ウィルス研究所の井上幸重助教授がスモンウィルスを発見したと、イギリスの臨床雑誌「ランセット」に発表したのを受け、朝日新聞が朝刊一面トップに「スモン病ウィルス感染説強まる」と掲載。
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◆これにより、それまでも「原因不明の病」として恐れられていたが、「スモン感染説」は医学界の有力な見解とされ、患者たちは隔離を強要され、医者、病院から敬遠され、更に患者の家族までもが学校、親戚、地域社会から排除され、離婚、失職、一家離散、村八分に遭うというような過酷な状況の中、遂には自殺者が続出する事態となった。
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◆しかし、1970年5月のある日、とある病院でスモン患者の導尿カテーテルの管が緑色に染まっているのを看護婦(当時)が発見。
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◆それに端を発し、東京大学薬学部の田村善蔵教授が患者の尿の緑色物質がキノホルムと鉄の錯化化合物(三価鉄キレート化合物)であることを証明。同年6月のスモン調査研究協議会で「この薬品と病気の関係を調べる必要がある」と報告。
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◆それを受けて、新潟大学医学部・椿忠雄教授が疫学調査を実施。1970年8月7日付け朝日新聞に「スモン病の悪化に整腸薬が一役。日本薬局方整腸薬キノホルムの使用量とスモン発症率との間に明らかな相関関係がある」と発表した。所謂、「スモン=キノホルム説」である。
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◆更にそれを受けて同年9月8日、厚生省は疑惑段階ながら、嘗ての「サリドマイド禍」の経験からキノホルムの使用並びに販売中止の措置を取った。
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◆これにより「スモン患者」の発生、激減す。
「薬害スモン」はこれで一件落着ではない。一旦落着であった。1971年、患者側が国、製薬会社を訴え、「薬害スモン」は「スモン訴訟」へと様相と場所を変え、患者たちに新たな闘いを強いて行くのである。
そして、そこにこそ「田辺製薬」が登場してくるのである!つまり「整腸剤キノホルム」を製造販売した加害者として裁判の場に引きずり出されるのである。しかし、その往生際の悪いこと悪いこと!
で、僕は思ったのである。田辺は「スモン」から「製薬」ということを勉強していないと!
だから、僕は許せないのだ!
もしそんな僕が、あの松本人志の『許せない話』に出たら、後ろに貼り出される僕の怒りのタイトルは!
先ずは、「また田辺製薬!」
そして、「こら金正日!」
以下、
「人間の恥、天下り!」
「冤罪がある以上、死刑は無い!」
「半減期2億4千年!」
「閉館5時て!」
「小型車のシートベルトは無い!」
「製作会社の全ディレクター!」
「スレンダーな女たちよ!」
「放送作家・高須光聖!」
「アダルトビデオの編集点!」
「TSUTAYAの責任!」
「声優どもの勘違い!」
「譲るなタクシー!」
「東三国のハラ電気のアホ!」
「我が父・栄太郎!」
「拝啓、池田大作殿!」
「我がいとしきペニスよ!」
などなどなど・・・・
果たして、幾つ採用されるか?
無論、「田辺製薬」はまだまだ続きます!
ところで、新型ウィルス。水際作戦とか言ってるが、どう考えてもズルズルだ。
例えば、機内で陽性反応が出た人の近くに座っていた人を先ず隔離、検査ってやってるけど・・・・・
その人が機内でトイレへ行ってたら、その通路脇の人はどうなの!
その人は搭乗の時、或いは待合室で、CAとか他の乗客とかと接触してないの!
他に潜伏期間の人は絶対にいないの!
その前に、成田だけで1日に何十便もあるのに、あれ絶対人手足りてないよね!
5月10日午後3時20分現在、国内発生者は出てないようだけど・・・出るね。絶対出る。
勿論、期待している訳ではありません。
それから、愛知県蟹江町の親子三人が殺傷された事件。警察、ミスと秘密が多過ぎ!
なんかある!と思うのは僕だけではあるまい。
先ずは犯人検挙をお願いする。

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