やってしまった!
このブログにも書いた‘僕はこんなことで体調を崩す’(たくらだ堂・112)をまんまやってしまったのだ。風呂上がり、一瞬「寒い!」と思い、慌てて体を拭き、長袖のT−シャツなどに着替えたが時すでに遅く、次々と悪寒に襲われ、あっという間の体温38度超え!
新型インフルエンザも頭を掠め、戦々恐々たる物腰で翌日近所の病院へ。精度60%ながら一応の陰性を得て一安心するも、体調は頗る不良不全。4、5日は仕事も休んで熱と偏頭痛と関節痛との闘い。しかも食欲ゼロ。全く木偶人形の如き醜態であります。
それが、昨日(13日)の夜からやや小康を得、早速の「漫才アワード‘言葉狩り’」。とりわけここからが2回戦、更に決勝と重要な局面なのであります!しかし、放送からすでに1カ月以上が経ってもいます。批評にせよ、意見にせよ、感想にせよ、どう考えても間が空き過ぎ。当の芸人さんは勿論、今更、とやかく書かれてもという漫才ファンもおられることでしょう。ので、できる限り足早に、是非という要点に絞って述べさせて頂くことにいたします。
はい、結局は書くのです。
因みに、2回戦に駒を進めた6組は、
◇ウーマンラッシュアワー
◇ソーセージ
◇のろし
◇藤崎マーケット
◇オジンオズボーン
◇span!
はてさて、ここから3組が決勝へ!それは?
では、
【2回戦第1試合】
「ウーマンラッシュアワー VS ソーセージ」
■ウーマンラッシュアワー■
――「最近、ジャニーズに入りたいと思う。カッコいいので、その気分を味わいたい」という村本のフリから、そのメンバー村ピーと田舎のファンの女の子のネタへ。しかし、このままでは、最近のネタと現実の区別がつかない弱年女子ファンは本当になりたいんだと思いかねない。どうせフリなんだし、まさか本気でジャニーズにと思っているわけでもないのだろうから、もっと皮肉を利かすとか、虚仮脅すとかして欲しいものだ。
――そこからは、あの村本の派手で適切なフレーズが目白押しだ。
「俺にとってトラックは土を運ぶものでも荷物を運ぶものでもない。バレンタインチョコを運ぶもの!村ピーです」
「俺はスーパースター、オナラもしないしゲップもしない。こんな俺が唯一体から出すもの、それはオーラ!村ピーです」
「危なかった、お腹に入れていた明星が俺を助けてくれた」
「森光子は俺たちのマザーテレサ!村ピーです」
「王将のギョーザ一日100万個。村ピーのファンレター1日100万通。ファンは万里を超える!村ピーです」
だが・・・・・詰まる所、ジャニーズの名を借りて遊んでいるにすぎない。ジャニーズの暗黒にも、苦悩にも、あるいはファンの悲哀にも触れようともしていない。軽い。彼らなら何か意図的なアプローチをしてくれるのではと思ったのだが。
――敢えて言うなら、ジャニーズで笑いを取ろうとすることに疑問を呈する。ジャニーズは放っておこう。他に、今、君たちが取り上げなければならないこと、君たちの視界にしかないことがあるはず!もし、ジャニーズを扱うというなら、吉本さえも敵に回す気でやる気構えが要る。
――そしてもう1点。ふたりの最初の出会いは「田舎に泊ってくれてやろう」という番組のロケでスタッフとはぐれたおかげだったが、それが途中、急に「この後、コンサートがある。来ませんか」と変わる。最初の番組はどうなったのか?あのフリなら、村ピーは彼女の家に泊まることになるなど、十分に面白くなる展開は考えられただろうに、解せない。3分を有効に使って欲しいものだ。期待大故に!
■ソーセージ■
――「将来、結婚して、子供ができた時、その子とうまくやっていけるかどうか不安」と秋山がフル。その直後、良い事を言おうとした山名が噛んだのは御愛嬌としても、「子供の頃を思い出して、子供心を理解することが大切」と山名が言ったテーマの如きモノは、その後の漫才に全く生かされず、ただサファリパーク遊びが続いただけだった。
――実は、1回戦もだったが、ここから本ネタへ入る時、彼らは、「ソーセージの漫才、サファリパーク」とフッて、3人で「ニコッ!」とする。一瞬のブレイクであり、装飾である。それはそれで気配りや良し。
――ところで、彼らは漫才とフッたがそこからはどう見てもコントだ。そして3人の役どころは、山名=お父さん、秋山=子供、藤本=ガイドである。以下は何故か道路好きなお父さんとガイドが交互にボケを繰り出す。「我が子とうまくやっていけるか」という視点からの発言や突っ込みは一切出てこない!
――百歩譲って、漫才だと、フリより次々のボケが面白ければいいのだという論理も知識も意図もない意見をもありだとしても、これは見逃せない。それは、ガイドの藤本の「コースは約20メートル。そこを約3時間掛けて回っていきま〜す!」というフリだ!無茶苦茶面白そうなサファリではないか!
――しかし、これがまた全く無視されるのだ。無視されるというのも変な言い方だが、折角なのに使われないのだ。
――「全長20メートル」ならそのサファリのコースには動物がひしめき合っているはずだ!いや、外はというかバスの窓からは動物の顔ばかりで、景色など見えないのではないのか!しかも、前へ来る動物は出たがりか出しゃばりかだ。気の弱い奴らは顔も見てもらえない。下手をするとこのサファリにいるのに、一度も客に見られていない動物もいるかもしれない。折角、高い金を出して世界でここしかいないという珍獣を連れて来たのにだ!
――それとも、その20mの中に全動物が仲良く整列して並んでいたとしたら、絶対に横一列ではなく、縦一列だろう。横一列では象10頭で終わりだ。道路に沿ってライオンならライオン、トラならトラ、カンガルーならカンガルーがそのうちの1頭を先頭にその数だけ後ろへ後ろへ繋がっているのだ。その中を割るように進んでいくバス。うーん、先頭の1頭ずつしか見えない!!!
――ま、馬鹿なサファリパークが出現するということになる。悪いが、こちらの方が世界観がある。それがよく言いすぎだというなら、絵が浮かぶ。その上で、道でも、国道でも、十字路でも、存分に気にしてくれればいい。山名君、どう思う?
そして、結果は出た!
569点 対 431点
ウーマンラッシュアワーが勝利して、決勝戦へ!
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【2回戦第2試合】
「のろし VS 藤崎マーケット」
■のろし■
――「女の子が一人で行きたくなるようなイケメンのいるカレー屋さんがあってもいいんじゃないか」ということで、そういうカレー屋さんのお話。
――?????この話、要るか?って言うか、のろしのファン以外で誰か聞きたいか?
――では、誰にとって要る?客?テレビの前の人たち?いやいや、せめて、のろしにとって。だが、のろしにとってもそうとは思えない。ましてや客やテレビにとっても。つまり、観客不在の漫才だ。
――観客不在。それは畢竟、のろしにとってだ。いや、のろしがそういう漫才をやっているということだ。テレビだから、賞だから、漫才だから、取敢えずは、あるいは絶対笑いは要る。じゃ、何にしよう。そこから自らのリアリティを何ら追求することなく、「イケメンのいるカレー屋」を作ってしまった。今、僕たちはこれが気になる、これを許せない、こんなモノを見つけた、こんなことを発見した。だから絶対これを伝えたいという自己実現としてのネタではなく、イケメンカレー屋。聞かせたい人々、伝えたい人々を想定してない漫才だ。客を育てない漫才だ!
――一方、客である。漫才だから笑わせてくれる。漫才だから面白いはず。漫才だから笑えないと・・・・・そうさせてしまったのは芸人側の罪だが、漫才が人間そのものの自己表現であることを期待していない。言わば芸人不在。
――ま、また同じことを吐く破目になるが、これらはのろしに限らない。「ジャニーズ」も「サファリ」も、この後の「お葬式」も、「CM」も、「ガソリンスタンド」も同類だ。
――今更テレビを神格化する気はないが、しかしテレビにはまだまだ力はある。その中で3分も好きなことをやれるのだ。しかも、予選、1次を勝ち抜き、更にその権利を得たのに、「イケメンカレー屋」?本当に伝えたいことはないのか!無いのなら・・・・・もう知らん。
■藤崎マーケット■
――愕然!「親戚のおばあちゃんが亡くなって葬式に行った」話。
――愕然としたのは、漫才で葬式の話をやったからとか、それが強烈だったからとかではない。逆だ。全く何にもないのだ。漫才で、お笑いで葬式を扱っておいて、何もないのだ。愕然、どころか、僕は大ズッコケだ!
――中身には触れない。ただ、相撲に横綱審議会というのがある。横綱が力士として、スポーツマンとして、あるいは人間として、相撲道の頂点にある横綱という地位に公私に限らず相応しいかどうか見つめ、問う機関だ。他のスポーツではコミッショナーというような人々がその配下の選手たちの動静に同じような注意を促し、時には重い罰則を与えたりしている。また、映画では映倫という機関がある。作られた映画が公序良俗に照らし合わせ映画として流布させてよいものかどうか判断している。が、これは言わば検閲なので、全く不要だ。映倫は絶対に要らない。ただ、その機能という観点から、この際、漫才アワードでも漫才審議会か、漫才コミッショナーか、漫才倫理委員会でもおいたらどうだろう。この漫才は今回のアワードに相応しいかどうか、客の判定より前に判断をするのだ。と、心にもないことを書いたが、それがあったら、この藤崎マーケットのネタは通らないだろうと言いたかったのだ。
――「死」を扱ったからではない。僕は「死」ぐらいは何でも笑える。いっそ「死」を扱っているのに何にもないからだ。それもそれで凄い「死」の感覚とも言えるが。この藤崎のネタは何の意図も感じられない、不埒極まりない「死」のネタであった。
――だが、百歩ももっと譲って彼らには僕が計り知れなかった意図があるのかもしれない可能性があることまでは否定しないでおきたいのもやまやまなのだが・・・・・あるのでしょうか?
放送から、今日まで藤崎のおふたりには会えず、そこのところは聞けていないが、結果は!
330点 対 670点
Wスコアの勢いで、藤崎マーケットの勝ちっ!
やっぱり、面白いと思った人だけが押すってのどうかな?
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【2回戦・第3試合】
「オジンオズボーン VS span!」
■オジンオズボーン■
――開口一番、ツッコミの高松が何と言っているか判らない。誰かに滑舌が悪いからなんとかしたほうがと言われたことはないのか?マネージャーは何をしてる。
――漫才は全編CMで遊ぶネタ。「テレビを見ているとCMについつい見入っちゃうね」と言うフリで入る。問題はない。
――出てくるのは既存のCMが殆ど、その中の言葉を変えて遊ぶ。
――(大正製薬パブロン)(武田薬品ベンザブロック)(アメリカンホームダイレクト)(金鳥の夏)(予備校)(ジャパネットタカタ〜avex)(リポビタンA〜お仏壇の浜屋)などだ。
――特に脈絡は無い。簡単なフリからCMパロディ(?)に行く。
――だが脈絡はあった方が良い。優勝する気なら尚更だ。例えば「生まれてから死ぬまでの一生を関連するCMでつづる」「新婚旅行の出発から帰宅までをCMで」「ワルが喧嘩の現場に行き、そして決着するまでをCMで」。
――その方が、確実にオチを際立たせることができる。流れが出来て、それが自然とフリになるのだから、当然オチがわかりやすくなる。
――見ている方にしても、センスや、意欲を感じ、そこに作品としての出来の良さを見ることができるのだ。無論、その流れとCMの選択にセンスが要るが。
――笑いをもっと取りたい!自分たちの笑い(センス)を見せつけてやりたい!もっと面白い漫才をやりたい!他のコンビとは違う自分たちの漫才を作りたい!というなら、無論、僕の薦める方法だけではないが、もう一歩ネタを進化させなければという気持ちが要る!
――あの漫才で良いと言うなら、客を舐めてるし、自分たちを貶(おとし)めている。それが判るでしょうか?
■span!■
――水本が言う。「僕、車乗るんですけど、どうせガソリン入れるなら、ムッチャ元気な店員さんがいるガソリンスタンド行きたいな」。ここからGSコントだ。
――が、本当にそんな事思っているのだろうか。漫才だからそれでいいと言うなら、たった3分でも、何百万人に向かって好きな事がやれたり、言えたり出来るのに、これか?と思わざるを得ない。ただ、この事はこのコンビに限らない。と、また言ってしまった!
――無論、水本が本当にそう思っているならその事は悪くないのだが。その後の展開からするとやはりそうではない。つまり、それはフリだ。当たり前だ。
――だったら僕はこう言う。漫才のフリは大喜利におけるお題だ。この場合で言うなら「店員が世界一面白いと評判のガソリンスタンド。店員はどんな奴?」その答えが「ムッチャ元気」では些か不満ではないだろうか。
――「車を生き物だと思っている」
「極度の健忘症」
「本当はCIA局員」
「二重人格」
「探偵気どり」
「油断をしたら宗教を勧めて来る」
「根っからのアルカイダ」
「手がムッチャある」
「責任感ゼロ」
「明日戦争に行く」
「昨日、冤罪が晴れた」
ま、これは一例だし、僕が考えたものだから何とも言えないが・・・・元気よりはフリとして有効だとは思う。その分、水本のフリは変わる必要が出てくる。
――そして、(僕が思うに)客の期待は上がる。ハードルは高くなるということだ。しかし、その方が遣り甲斐があるはず。考えようによっては、「元気」という広く、何の変哲もないフリのほうが難しいと言えるかもしれない。実際、緩く、広いフリ(お題)の方が笑いは取りにくいのだ。そして、態々笑いの取りにくい設定を選択する計算の狙いと成果は見えてこない。いっそ、僕はそこに安易さしか感じない。衝撃と刺激のある漫才=そのコンビだけの個性ある漫才をやらねば!
――要するに、彼らのこのネタは何度も見たが、そんなに自信のあるネタなんだろうかと思ってしまうのだ。勿論、優勝する為には、全部で3本漫才をやらねばならないからという計算はあるだろうが、純粋にこの漫才だけを見た場合に、僕は物足りないのだ。
――もうひとつ、細か過ぎる指摘をしよう。途中、店員役のマコトが聞く、「灰皿のほうは溜まってませんでしょうか?」。僕は一瞬ボケかと思ったがそうではなかった。水本の返しは、「灰皿、メッチャ溜まってます」だった。
――僕ならこの問いにこう答える。「いや、灰皿はひとつです」
――ま、上げ足とりと言うひとは漫才を判っていない。マコトの質問は、実際にGSでなら、問題はない。中に「あれ?」と思う客がいたとしても、状況から「これはゴミの事だ」と判断して、「大丈夫です」か「あ、お願いします」とかと答えるだろう。
――しかし、ふたりは漫才をやっているのだ。言葉を唯一最大の道具としている漫才において、あやふやなそれは慎重に確実に排除されなければならない。自分たちの迂闊な放漫さで笑いを取っては漫才道にもとるというものだ。
――プロならば、そこに笑いを込めるつもりが無いのなら、最初から、「灰皿のゴミは溜まってませんか?」と、その意図だけを的確に伝える言葉にすべきだ。
そして、結果、
⇒497点 対 503点
からくも6点差で、span!が勝利した。
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と、ここまでが2回戦!
残すは決勝!
勿論、とっくにチャンピオンは決まっているのですが・・・・・・
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ところで、魁塾が多少装いを変えて再出発します。
その変更は事務局側が行い僕は関与していませんが、実際に授業を進めていくのは僕なので、期間や授業料など、その変更全般に了承し、了解はしています。
そして授業内容、これは僕が担当し全責任が僕にあるといってもよい分野で、今回、前もってここに、新講義(授業)の内容を開示したいと思います!
ここまで10期5年、コント、漫才を中心とした実作を基本に、その人(生徒)の制作理念、制作意欲を問い、そして制作技術の向上を目標にやってきましたが、今回は更に実践へと踏み込みます。
◆本来番組は週間番組の場合、3か月で13回放送=1クールを目途に作られますが、今回魁塾は3か月間を基本に置くので、その間、全員で具体的に1本の番組を作って行きます。
◆但し、魁塾は隔週なので、3か月で6回(放送)分の番組を作ります。
◆そして、スタジオ、カメラ、サブ等はないので、制作部門のみ。つまり、会議を経て、台本作製、そしてリハーサルまでを主眼に置いて番組を実現化していきます。
◆当然、スタートはどんな番組を作るかという会議から。勿論、既存の番組を超えた、とんでもなく面白いものを作らねばなりません。
◆スポンサーも営業も編成も考査もないのですから、自由に、およそ今のテレビでは作れないような、しかし実も花も毒も棘もあるお笑い番組を作ります!
嘗て、魁塾に一度は来た者たち、そして今のテレビに不満と、だが希望を持っている人たち、月に2回の火曜日、怒りと笑いの魁塾への参加を!!!!!!
みんなで作るという謙虚さは絶対必要だが、自分が作るのだという傲慢さも相当必要です。
金木犀の
匂いみじかし
夢の里 〜牛負〜
・・・・・ふと。

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