今日は12月11日だ。普天間基地移設問題が揺れている。はっきり言うなら、先行き不安だ。どうも、基地の移転自体が危うい。相変わらず沖縄は日本の犠牲となって蹂躙され続けるのか!
但し、民主党がマニフェストの「外交」で謳っていたのは、
「日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む」
というもので、現在のアメリカの軍事戦略内での日本の扱われ方、乃至は対処の仕方に疑問を持ちつつも、基地の移設を具体的目標に掲げていたわけではない。
にしても、昨日のニュースでは普天間基地問題の本質は住民の危険にあるとして、より安全性を高める為に現在2800mある主要滑走路を(確か?)1700mに縮小する案が出ていると伝えていた。
おいおい、もしもし、それって事態が後退してない?
住民の危険を考慮するのは当然だし、決して余計なことではないが、日米地位協定を根本問題として取り組むなら、些か問題は矮小化されたといわねばならないだろう。当たり前だが住民の安全は普天間基地に限ることではなく、嘉手納でも、横田でも、厚木でも、横須賀でも守られるべきことであり、なんなら、成田でも、関空でも、高知でも是非守って頂きたい事である。
日米地位協定改定の根本の狙いはどのように米軍基地が在るかではなく、何故それが日本にあるかであるはずだ。
それに、素人考えだが、滑走路を短くするってことは安全性が高まることなのか?同じ飛行機なら滑走路が短い方が離着陸が難しいはずなのだが。つまりより高度な技術がいるわけで、短い滑走路では危険性が高くなるのでは?
勿論、滑走路が短くなると、より大型機は使用不可能になるわけで、その分は確かに危険度は減るとは言えるかもしれない。けど、結局その大型機は何処へ行くかということになってしまう。
ただ、この滑走路縮小案もどこまで現実的で、どこまで実行される可能性があるのかもはっきりはしていない。全く、貧すりゃ鈍するで、人間追い込まれると碌な事を考えないようだ。
結局、県内移設、名護市東部海上移設、辺野古移設、或いは那覇移設など幾つかの案が模索されている普天間問題だが、その基本原因は日本に米軍がいることに他ならない。
日本が主権国家であるというなら、それを実現できなかった自民党に代わり、民主党がその確立を遂げて欲しいものだと、願わずにはいられない。
さてさてそんな中、今朝、TBSの『朝ズバッ!』であのみのさんが言っていたものだ。
「民主党がアメリカと揉めるのは、民主党はアメリカに日本から出て行って欲しいと思っているからだ!」(要約です)と。
へえ、みのさん相当な事を言うんだ!確かに『朝ズバッ!』だ!
そして、それはみのもんた自身もそう思っていることだと僕は受け取った。
しかし!民主党がそう思っているなら、地球が地球外生命体に襲われてひとつに纏まらなければならないような事が起きない限り、在日米軍問題の完全解決=米軍の日本からの完全撤退はあり得ない!
しかし、普天間基地問題に限らず、このところの民主党の腰砕け状態を見ていると、民主党こそが、いろんな軋轢や力関係や将来への展望=欲望の中でみのさんのようには思っていないのではないだろうかと切歯扼腕してしまうのだ。残念。
はい、僕はみのもんたさんに賛成です。
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そんな2009年暮れの日本。
今年は日本の冤罪史に大書すべき事件があった。
ご記憶の方が多いだろう。「足利事件」である。
1990(平成2)年5月、幼女殺害で逮捕された菅谷利和氏が再度のDNA鑑定により本年6月に無罪釈放となった事件だ。
その意義はDNA鑑定に帰するが、それは精度が上がって無罪が証明されたということではない。明らかな間違いの上に犯罪=冤罪が成立させらていたという事実である。それは警察権力、或いは司法に犯人捏造の意志が存在した、そして恐らく(僕は絶対と言う)今も、これからも存在し続けるだろうという恐怖の存在が証明されたということなのである。
同じ恐怖の存在は、つい2年前にも証明されている。「富山氷見事件」である。
2002年、富山で起きた強姦と強姦未遂事件で柳原浩氏が逮捕された。判決は懲役3年。しかし、満期出所後真犯人が現れる。同じだ。無論、柳原氏は逮捕時否定した。やってないのだから。しかし拷問とも言える取り調べに屈し自白、そして服役した。
他に真犯人がいたし、本人も否定したということは、自白に至る過程で、警察、検察は事実を曲げ柳原氏を犯人に仕立て上げたということである。捏造である。違うと分かっていて――それが分からなくて、本当に真犯人だと思って捜査、通り調べをしたという可能性は・・・・・この事件に関するいかなる本を読んでもない!警察と検察は証拠を作り、或いは作り直し、しかも不都合な証拠は隠して裁判を成立させ、冤罪を完成させた。そういう体質を司法権力は持つ。
それは権力一般の本質でもあると考える。
――人間はある組織からその使用についてその限度内ではあるが十分に保証された自分の力以上の力=権力を持つと使ってみたくなる生き物なのだ。勿論、その権限は行使されることを当然として与えられたもので、使わないことはその地位を全うしていないことになり、必ず使う生き物なのだ。
――そして、それを使うたびに効果は覿面。味をしめてまた使う、また使う、また使う。瞬く間に権力の走狗に成り果てるのだ。
僕はそう思わせられる体験をした。2か月ほど前の東京駅だ。
夕方近く、大阪から東京駅に着いた僕は新幹線から中央線に乗り換えようと中央コンコースを歩いていた。と、ふたりの制服の警官に呼び止められた。「バッグの中を見せて欲しい」と。事実急いでいる事もあって僕は断った。その時コンコースには何百人という人たちが歩行交差していた。その中で何故僕だったのか。暫くは押し問答が続いた。
「どうしてですか?」
「いや、とにかく、バッグの中を見せて欲しい」
「何で?」
「とにかく・・・」
「何も変なモノは入ってないですよ」
「それは見せてくれたらわかるから」
「見せたくないと言ったら?」
「見せてもらえればいい」
「何も無いですって」
「見せてくれれば判ることだから」
「急いでるんです」
「時間は掛からないから、見せて貰えないかな」
「仕事があって、急いでるんです」
「すぐ終わるから」
「でも何もないですから」
「見せてくれればいいだけだから」
「困ったな」
「見せて貰えないかな」
「ほんなら、歩きながら見せます」
「いや、ここで」
「え、歩きながら見せるって言ってるんですよ」
「いや、ここで見たい」
「本当は、見せたくないですけどね」
「直ぐに済む。見せて欲しい」
「ううん・・・・」
「すぐ終わるから」
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僕は本当に急いでいたから、そこから30mほど先の中央線のエスカレーターに向かって歩きながらなら見せようとしたのだが、それを何故か拒否されたのだった。見せると言ってるのにだ。
そして僕がふたりの間を通り抜けようとしても、ふたりは体を寄せ合って道を塞ぎ、そうはさせてくれない。無理やり通ろうかとも思ったが、下手をすると「公務執行妨害」とか言われるのかと不安になって、それも出来ない。
無論、こんな調べは任意で、僕が拒否すればそれ以上は出来ないのだが、向こうにはマニュアルがあるのだろう、僕は何となく抗せない頭と動きになってしまった。結局、敗北を感じながら僕はバッグを見られた。勿論、彼らが捜しているような、薬物的なモノも銃刀剣的なモノも何もない。
「どうも、ご協力ありがとうございました」というような事を言われたが、協力した覚えはなく、僕は苦い屈辱感に堪えながら電車に乗った。不愉快でもあったが、一番は自分に不甲斐無かった。全く、いやな体験だった。
あの時、何処まで対抗できるのだろう。原則は任意だと分かっているが、走って逃げたらどうなるのだろう?或いは、絶対見せないと仕事に遅れるのを覚悟して頑張ったらどうなるのだろう?そして、もし、「どうして僕なんですか?」と聞いたら、彼らはどう答えるのだろう?その答えは、外見からという事しかないはずだ。その日の僕はいつものような服だ。いつもではお判りにならないだろうが、スーツではない、サラリーマンには見えない、年齢からすると多少はカラフル、そして帽子に、一応一泊するから大き目のバッグ、で、オーデコロン。これは関係ないか。いずれにしても見るからに怪しい奴等では無かったはず。ま、官憲の飼い慣らされた感性からすれば、些かは目立っていたかもしれぬが。
でも、本当に怪しい奴は目立つ格好なんかしていない。スーツにネクタイ、誰もが疑わない格好をしているはずだ。何かを企んでいる奴はそれくらいの頭はある。そんなことは中学生でも予測できることなのに、見た目だけで、ちょっと派手なおっさんを呼びとめる。ま、あのふたり、きっと頭は悪いな。
結局、彼ら権力は、自ら「こいつは!」と目星を付けて当たった以上、それが黒か白か確かめられないままその拘束から逃がす事はメンツにかけても出来ないのだろう。それは自分の持つ権限を無視されたに等しい訳で、自分達は組織の面汚しであり、下手をすると職務怠慢とも評価されうる認めがたく、耐えがたい出来事なのだ。
無論、本当に怪しい奴、犯罪を犯している奴ほど言う事を聞く訳が無いので、「それじゃいいです」と帰していたら、犯罪は防げない事になってしまうのだが。彼らが怪しいと睨んだら、向こうの都合で向こうの言い分を通すような事があれば、それは権力の不行使に等しく、権威の失墜であると考えるのだ。それは人民の上に立つものとして許されざる失態、出世に響く過失なのだ。
そういう馬鹿の付く自尊の延長上に冤罪がある!
権力という舐められる訳がないと思っているものを舐めたり、反抗して来る奴いがいると、僕らの想像を超えてプライドを傷つけられ、もうなりふり構わない攻撃、常軌を逸した作戦を仕掛けてくる。それが自白強要だの、証拠捏造だの、証拠隠滅だのという御乱行だ!
彼らは引けないのだ。その方が楽だし、後々苦しまなくてもいいのに引けないのだ。その方が人間らしく、実は責任ある判断なのだがそれが出来ない。それが権力というものなのだろう。
畢竟、権力は人を操るが、決して人には操れないのだ。権力を使うと言うが、実は権力にひれ伏し、使わせて頂いてるだけでしかない。そこには権威を示す以外に方法はなく、自らの生い立ちや家族のことを思い出して自分の本当の考えや感性で事に当たるということは不可能になっている人間がいるのみだ。
だから、不可能で、言うも空しいが、もし正しい権力の使用法というものがあるとすれば――それは概ね公権力と言ってよいが――必ずや非力を自明にして自らの任に当たらなければならないと考える。ま、人間の大きさということか。
再び言うが、そこに冤罪の生まれる原因がある!
それは権力を持った人間こそが権力にひれ伏しているからだ。
つまり、この世に権力が有り人間が在る以上、冤罪は無くならないということだ。
などと書いてるまさに今、布川事件再審開始のニュースが流れた!
「布川(ふかわ)事件」
今から42年前の1967年8月30日朝、茨城県北相馬郡利根町布川で62歳のひとり暮らしの金貸しの男性が、自宅8畳間で他殺体で発見された。死因は絞殺による窒息死。
午後8時ごろ不審な男性二人を見たという証言により、20歳と21歳の男性が別件逮捕、起訴された。
公判で二人は「自白は警察に強要されたもの」と全面否認したが、
1970年10月水戸地裁土浦支部は「無期懲役」の判決。
1973年12月、二審で控訴棄却。
1978年7月、最高裁が上告を棄却し、二人の無期懲役が確定した。
服役した二人は1996年11月に仮出所。それ以降無実を訴え裁判闘争を続ける、
2001年に第二次再審請求(一次は収監中の1983年)を水戸地裁土浦支部に申し立て、2005年9月、再審開始が決定。
しかし弱者の横暴を許さないという権力の論理により検察が即時抗告、再審開始決定の是非を巡って審理が行われたが、2008年7月、東京高裁が再審開始決定を支持、検察の即時抗告を棄却。
無論、権力こそは最後まで戦う。更に検察は最高裁に特別抗告。しかし、事実が語ることは動かし難く、その抗告が本日12月15日棄却され、漸く再審開始が決定されたのであった!
つまり、これとてもまだ晴れて冤罪を晴らしたのではない。
民族の習性か、法律の不備か、それとも行きがけの駄賃か冗談か、わが国日本に生まれ続ける冤罪だが、これは絶対に冤罪だ、限りなく冤罪だ、多分冤罪だ、といろいろ闘われており、それは大きくは二種類に分けられる。
■再審請求が通り、刑事裁判審理中のもの
■再審請求中のもの
では、現在の日本で、そのような冤罪闘争中にある事件のオンパレードだ!
・・・・・・というところで、続きは次回!
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ところで、昨日、大阪なんばスイスホテルで開かれた「亀山房代さん・お別れの会」に行って来た。
それなりにつつましやかな会かなと思って顔を出したら、かなりな規模の会で驚いた。参加者は200名を超えていたはず。
弔辞には吉本の社長、毎日放送の社長が立ち、続いて笑福亭仁鶴師、西川きよし師が立った。勿論、相方だった里見まさと師もである。写真家だという御主人も、そしてお母さんも挨拶に立たれた。
集まってくれた数百名の顔と思いは彼女に届いただろうか。
しかし42歳、せめて、せめて、親より先に死んではいけない。
と言うも傲慢だが・・・・・

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