WHYNOTシリーズ第2弾です。
■@本・BOOK・書店■
梅田に大きな書店が出来た。開店して、半年ぐらいは経ったのだろうか、ある日、ロフトの横に出たら、ガラス張りのビルの中に幾つもの本棚が見えた。無論、本もいっぱいだ。それが出来たばかりの『MARUZEN & ジュンク堂書店』だった。
わ、こんなとこに本屋!と、入店。○階建てで○階までが書店である。ジャンル毎に結構な専門書があり、なかなかの充実ぶりだ。嬉しい話である。
結局その日は、『差別と戦争―人間形成史の陥穽』(明石書店)だけを買った。
それから二度ほど行ったが、買いたい本が多くて、今買うべきはと悩みながら手にし、これは今度と泣きながら本棚に戻す有様だ。
そんな時にふと思ったのだが、何故、本屋にはあの「ヨドバシカメラ」のようなポイント還元は無いのだろうか?
――因みに、僕が「ヨドバシ」のそれが利用価値の高いものだと知ったのはついこの4月のこと――
「TSUTAYA」にも同じシステムがあるが、「ヨドバシ」とは比べ物にならない。そのお陰で、ちょっと1ランク上のものが買えたり、附属品もちょっと贅沢できる感じだ。しかもその還元度合が結構なものなのだ。
で、本だ。
本には、どうもそう言うシステムがない。紀伊国屋にも、旭屋にも、駅前の小さな個人書店にも。
どうも、本と言うのはサービスというものの埒外にあるもののようだ。それが本です、だって本なんだから、本は違うでしょう、という声が、何処からか聞こえて来る気がする。何だか本はお高く止まっている感じだ。
そのくせ、古本に出したら二束三文で叩き買うくせに!
しかも、活字離れだ。若者が本を読まない。また雑誌が廃刊だ。あの本屋さんが潰れた、という状況なのにだ。
そう、本は何故、現実的なサービスをしないのか、WHYNOT!
では、サービスの率はどのくらいがいいのだろうか?
買う側からだが、遠慮勝ちに言わせてもらうと、1万円買ったら500円ぐらいで如何か。5万円買うと2500円分使えるのだ。
ま、その率はさておき、そういうお得が付くと、いつか買おうと思っていた本をこの際と手に入れられたり、上下2巻モノを一挙に買えたり、補完の為のもう1冊を変えたりと、何かと意図的な買い物が出来るのだ。特に本はそうした傾向が大きい。
是非、本屋さんに一考願いたい!本にもポイント還元を!
ところで、梅田のその本屋。売り場の広さの割にお客さんが少ない。売り上げは大丈夫か、気になる。早々に撤退などと言うことにならなければいいが・・・心配だ。
■A洋画のタイトル■
これは、レンタル映画のなかの所謂B級作品といわれるものに見られることである。
だから、その責任は映画会社なのか、製作会社なのか、または配給会社なのか、ともかくそのあたりの広報部の連中にあることなのだろうが、ヒットした作品のタイトルに似たタイトルを付け、恰も、元の作品の続編、或いは今時のスピンオフもののように見せかけている作品があるのだ!
よく見るのが、「エイリアンもの」、「シャーク(JAWS)もの」、「プレデターもの」、「アナコンダもの」。どちらかと言うと、怪物、怪獣もの、所謂UMA(未確認生物)系が多いようだが、他に、パッケージを似せて誘う「SAWモノ」というのもある。いずれにせよその殆どが低予算の為――それは恐らく、低予算で作らせる中から、明日の監督を見出そうとする映画界のいつもの手であり、また、無理からぬシステムなのであろうが――登場する怪物の出来が、実写であろうと、CGであろうと、可なりひどいのだ。
しかしである!それらの映画の原題は「エイリアン」や、「プレデター」とは関係なくオリジナルなモノが付けられているのである。しかも、中身(物語)も本家とは違った視点で作られている。つまり、それらの作品は中身の良し悪しは置くとして、本来は、その監督の個別の作品であり、例外もあろうが、何も、二匹目のドジョウや、おこぼれに与ろう等と言うさもしい心根で作られたモノではないものなのだ。
そこを、どこの広報か知らないが、映画の素晴らしさも、面白さも判っていない、売れればいいだけのアホが、そのタイトルで勘違いして借りていく人間を想定して恥ずかしげも無くハレンチなタイトルを付けるのだ。
例えば、今、手元にその類の作品が1つある。昨日、堂山のTSUTAYAで借りて来たものだ。タイトルは『プレデターズエボリューション』。
「プレデター」はシュワちゃんのあれだ。今ならCGでやるのだろうが、その1作目は1987年制作でCGは無い。それでいて、あの異星人「プレデター」のリアルな出来が物語以上に好評で、共に中身は置くとして、2作目が作られ、3作目はあのエイリアンとの対決に及んだ次第だ。因みにその意味は、食肉動物。
そして、「エボリューション」。意味は進化。尚、同タイトルのSF巨大異性生物映画もあった。
しかし、本作に宇宙からの食肉生物は一切出てこない!しかも物語はフランスの田舎での凶暴化した猪狩りの話である。そのバックには、地元企業の情報隠しと、一族の確執がある。ただ、その猪はその企業の工場から漏れ出た農薬によって凶暴化しているので、それを進化と言うなら言えなくはない。そしてその猪は人間を食う。確かに食肉である。が、あの武器や光学迷彩といった「プレデター」感は一切ない。
しかも、この映画、フランス映画なのだ。そして原題は「PROIE」。意味は「猛獣」。製作コンセプトに‘宇宙’もしくは‘異星人’は皆無だ。
果たして、「PROIE」の監督や製作者は日本でこんなタイトルで売られていることを了承しているのだろうか。せめて、こんなタイトルにしますと言う連絡は行っているのだろうか。望み薄だ。って言うか、連絡したらOKをくれないだろう。
ともかく、それは映画文化の冒涜だ。それを日本の配給会社かどこかが臆面も無くやっているのだ。その会社の誰か、映画を愛する人の反旗に期待する!もう止めましょうという。
■BTSUTAYA■
日本最大手のレンタルビデオ・DVD屋さんだ。
それは一流ということでもある、ハズ。
お店として一流と言うことは、客に対しての配慮も十分に出来ているということの、ハズ。
僕は、映画をレンタルする時、パッケージ毎レンタルする。
それは、映画を再生中、何かの都合で監督の名前や、俳優の名前、時にはあらすじの確認など、何かその映画に関する情報が欲しくなることがあるからだ。そんな時、いちいち頭へ戻るより、パッケージを見た方が事が早い。
そんな事情はさておき、本日よりレンタル開始というようなお目当ての映画を借りる時はいざしらず、面白い映画ないかな、と、どの映画を借りようかと言う時は、僕に限らず、パッケージが頼りとならざるを得ない。
パッケージのあらすじ、ストーリーを読んで、それならと借りるか止めるか決定をすることになるからだ。
だが!だが!だが!そのパッケージの肝腎なストーリーの上から、例えば商品管理用のバーコードシートなど、その店だけのシートが貼ってあるのだ!勿論、ストーリーが判らない!見たことも、聞いたこともない映画を並べておいて、何を頼りに、どうやって借りて欲しいと思っているのか、TSUTAYA!キム兄に言わせたら、「考えられへん!」である!因みに、僕は「アホか、死ね!」である。
実際、パッケージを何だと思っているのか!いや、映画を何だと思っているのか!客を何だと思っているのか!店員の誰も、その不都合、いや、犯罪性、害に気が付かないのか!何を店が客の邪魔をしとんねん!即刻止めるしかない!
今度、店に行ったら言ってやろう!
でも、これは「TSUTAYA堂山店」だけかもしれないことをお断りしておこう。いや、TSUTAYA全店か・・・全国に1200軒以上あるらしいぞ。
■Cプロ野球■
盛り上がっているのか、20011年日本プロ野球?
そう言う気持ちで、時として野球中継を見る時、僕の眼には、あの応援団がいつにも増して白々しく、空しく映るのだ。
それはさておき、多分今年のプロ野球はスタートから、ふたつのミスを犯していた気がする。
一つ目は、震災に気遣って開幕を遅らせた事。彼らがプロとして因って立つべきところを自ら揺るがせてしまった。
二つ目は、あの統一球と言う名の飛ばないボール。これの導入で面白くなくなったと同業の阪神ファンの放送作家も怒っていた。投手戦もスリルがあって面白いが、ボールが飛ばなくなって、長打への懸念が少なくなった投手が技術的にも、精神的にも有利になり、その結果、投手戦が多くなったのである。玄人好み等と訳知り顔に言うご仁もいるが、長打の危険に挑み、それでも相手を押さえてこその投手戦であり、最初から飛ばないボールで完封とか、防御率が凄いとか言われても納得は出来ない。逆に言えば、華やかな打撃線が影を潜めたかっこうである。逆転さよならホームランという劇的な場面が明らかに減ったのである。それで「9回ツーアウトアから」と言われる野球が面白い訳がない。
そこで、提案を2つ!
1:バントの撤廃!
2:敬遠の撤廃!
統一球も止めて欲しいのだが、日本の野球を国際的にする、或いはこれからも大リーグを目指す選手は数多く出る訳で、その人たちの為にと言うのであるから、これはゴリ押しはすまい。
「バント」は送りバント、犠牲バントである。イチローのように、ランナー無しで、自らの特性を活かし、塁に出ようと言うバントまでは無くしてくれとは言わない。
「バント」は誰でもできる。投手でも出来る。目的(走者進める)を果たすには確立の高い、言わば安全策である。そうそこだ。安全な作戦で攻める戦いが面白い訳がない!現に、打者がバントをやると判った時、観客席は決して盛り上がらない。その良い例が、4番打者がバントに出た時だ。スタンドは失望の色に変わり、ブーイングさえ起る。無論、解説者などはチームプレイだなどと言って、4番の犠牲的精神をスポーツ精神に叶った美しいもののように褒めるが、いやいや、観客は納得していない。4番にはいつ何があっても、例え、そこまで不振の底に喘ぎ、100打席ヒット無しでも、大きいのを狙いに行って欲しいのである。だって、プロ野球なんだから!
ルール的に定めるなら。「ツーアウト、もしくはランナー無し以外でのバントは出来ない」
イチローのバントヒっとは減るが仕方ないか。
そう言えば、イチロー、今年は200本安打、大丈夫なのだろうか。5月と6月前半の不振がどう響くかだが、7月2日現在、81試合で92安打。残り約80試合だ。この計算だとシーズン終わって180安打!この先、5月のような不振がなければ20本ぐらいなら何とかしてくれるだろう!頑張って欲しい!
「敬遠」を無しにするのは賛同者も多いのでは。増してや、統一球で華々しい打撃戦が少なくなったのだから、更にその機会を奪う敬遠は無くすに如くは無しだ。
これは現実の場面を考えれば面白さは理解して頂けるはずだ。
例えば、9回裏、2死ランナー1、2塁。バッターは4番。得点は3対0。しかもその4番打者、このところ絶好調!これまでなら、100%敬遠で満塁策なのだが、新ルールの下では、その4番に立ち向かっていかなければならない!その盛り上がりの差といったらどうだろう!勿論、敬遠は大ブーイングだし、投手にしたって実は勝負したいのかもしれない。男とは、勝負師とはそうではないのか。これが例えば、あの江夏だったら。敬遠を指示されたところで、自らマウンドを降りるぐらいの悔しさだ。だが、今や、それは出来ない。鬼のような4番に一球入魂で勝負を挑まなければならないのだ。ピッチャー交代もあるだろうが、完封直前の先発ピッチャーかもしれない。一球ごとのスタンドの盛り上がり方は尋常ではないはずだ。結果がどう出ても、客は満足して帰途につくのではないだろうか。そして、居酒屋での今日の試合談義も、勝った方も、負けた方も、アホほど盛り上がるに違いない!
ただ、敬遠に見えない敬遠策というやらしい方法はある・・・
■D民主党■
このニュースには唖然とした。いや、信じられなかった。民主党とはどんな感性を持った党なのか。あの大地震のあとの国民の気持ち、その希望を理解しているのか。日本を収める政権政党としてこれほど感覚のずれた、国民不在、国民無視の発言もあったものではない。
6月29日、海江田経済産業大臣が福島原発の事故後に初めて佐賀県の玄海町を訪問し、町長に直接、あろうことか玄海原発の再稼働を要請したのである!
海江田大臣は緊急安全対策の説明後、運転を再開しても問題ない。国が責任を持つと言ったそうだ。安全神話が崩れたのである。安全ではない原発に国が責任を持つとはどういうことか。まさかもう事故は起きない。全電源喪失にはならない。水素爆発は起きない。増してメルトダウンはと思っているのか。それとも、その可能性は否定しないで、死者が何人出ても、被害がどう及ぼうとも、そちらの言い値で保証はするということか。いや、安全でなくなった原発の責任を持つとは、今やそうでしかない。
海江田万里が肯定する科学とは人間の存在をどの位置に置いているのであろうか。その生命観を疑う!
ところが、民主党にもうひとりとんでもないことを言うご仁が現れた。松本龍復興担当大臣である。1951年5月17日生まれ、61歳。
震災の現地を訪れ、聞きしに勝るトークをしておられる。
先ず、宮城県庁での村井嘉浩知事との会談。
「仮設(住宅)とかに付属する施設なんか考えて、古里から離れたらシャトルバス出すとか、あるいは孤立死をさせないためにみんなで昼飯食べましょうとか、ね。みんなで食べましょう仮設作ればいいじゃん」
「(漁港を)3分の1〜5分の1集約すると言っているけど、県で(漁業者の)コンセンサス得ろよ。そうしないと我々何もしないぞ。だからちゃんとやれ。そういうのは」
「今、後から(村井氏が)入ってきたけど、お客さんが入ってくる時は、自分が入ってからお客さん呼べ。いいか。長幼の序がわかっている自衛隊ならそんなことやるぞ。分かった? しっかりやれよ。最後の言葉はオフレコです、いいですか、みなさん(記者の事)。書いたらその社は終わりですからね」
続いて、岩手県庁での達増拓也知事との会談。
「俺九州の人間だから、東北が何市がどこの県とか分からんのよ」
「俺なんかちゃんとアイデアもっているだろ。ずっとこの仕事やっているから、ずっと指示しているから。国は今、進んだことやっているから、まずそこに付いてこないと」
「知恵出したところは助けますけど、知恵出さないやつは助けない、そのくらいの気持ちを持って。だから昨日、宮古市の山本(正徳市長)にも言ったけど、もうアレがほしいコレがほしいはダメだぞ、知恵出せよ、という話をした。あれ俺の弟みたいなものだから。甘えるなと言った」
如何?
これが日本の大臣の言葉であり、政治感覚である。知性は何処にも感じられない。下品で愚か。18歳ぐらいの世間知らずかと思ってしまう。だが、選挙で選ばれ、首相に信頼されて大臣になった男なのである。
これ以上言葉を重ねて、こいつを批判しても消耗するだけだから止めるが、なんと、この人、あの部落解放の父と言われた水平社の松本治一郎の養孫なのである。
その人が、何でこんな横柄な人間であるのか。祖父から何も得なかったのか。それとも、世間にあるように、祖父が孫を可愛がり過ぎたのか。興味深いところであるが、追究する手立ては持たない。
ただ、祖父の治一郎もあの大戦時、東条英機内閣下の翼賛議員として、「八紘一宇」「新東亜秩序」「国民融和」「暴支膺懲」に加担、推進した人物ではあるのだ。
千原Jrは兄・せいじのことを、「残念な兄」と評するが、松本龍は「残念な孫」であり、「残念な政治家」であり、「残念な男」であるようだ。
梅雨空を かすみもせずに 原発鬼
吐牛

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