関西の現役高校生200人が審査をする、毎日放送のお笑い賞レースである。
2003年に第一回が開かれ、審査方法の変遷がありつつ、ここまでの8回の優勝者は、
@フットボールアワー
A笑い飯
B麒麟
CNONSTYLE
Dアジアン
Eアメリカザリガニ
Fspan!
Gスマイル
という、ナルホドな顔ぶれである。
そして、第9回の今年は西は勿論、東からも、合わせて162組がエントリーした。
そこから、最終決戦に勝ち残ったのは、以下の8組!
●学天即(四条和也・奥田修二)
●スーパーマラドーナ(田中一彦・武智正剛)
●プリマ旦那(野村尚平・河野良祐)
●span!(水本健一・マコト)
●和牛(水田信二・川西賢志郎)
●ポラロイドマガジン(ナターシャ・デビ・リーダー)
●かまいたち(山内健司・濱家隆一)
●ソーセージ(山名文和・秋山賢太・藤本聖)
因みに、全組吉本である。
決勝戦は、8月25日、木曜日、午後7時からの生放送。
先ず8組が1対1のトーナメント。そこから勝ち上がった4組が別のネタを披露。その中で一番高得点のコンビが優勝と言う訳である。
では、1回戦から振り返ろう。
その前に、書かざるを得ない感慨がある。漫才、或いはコント、そうした演芸のネタを批評すると言う行為に関してである。
僕が頼まれもしないのに、そんな事をするのは、
●それらのネタの出来が良くなく、お笑いをやっている者として、腹が立つから、それを、伝えたいのである。⇒小人的
●だが、それは僕が考える出来の悪さであり、僕ならではの腹の立ち方である。⇒個人的
●その裏には、当然、僕なりの漫才の理想論がある。全て、それに照らし合わせての、意見、感想、批評、そして讃美である。⇒独断的
●では、その理想論とは、「お笑いを、目的とするのではなく、自己表現の為の手段とせよ」である。つまり、何故そのネタをやるのか。そのネタで伝えたいことは何か、を問うのである。⇒主義的
●その理想論の向こうには、人間や社会に対し力のある、より良いお笑いがあると信じているからである。⇒夢想的
「小人的」+「個人的」+「独断的」+「主義的」+「夢想的」=嘗てドイツ第三帝国を世界の最優等国にしようとしたアドルフでもこれほどに独善的ではなかったのではないだろうか。いやはや、相当にイタイ⇒ということぐらいは判っている。
しかし、更に高いところからモノを言うようであるが、全てのお笑い芸人に僕の理想論を分かって貰えるとは思っていない。お笑い芸人として売れることを目標に頑張る人がいることを僕は知っているし、手段だの、リアリティだのとは関係ないところで芸人をやっている人がいることも知っている。しかも、長く在り続けている力と努力には敬意を表することも厭わない。
だが、僕は言い続ける。但し、より若い人に向かって。
そして、今回も思いつく範囲で、具体的なアイデアも――これ書いたところで、それは僕が思いついただけで、言われてる芸人さんは、助けにもならないし、なるほどとも思わないだろうなとは判りつつ――書くが、結局は、理想をぶつけると言うお節介しか出来ないのではある。
そんな状況把握と反省を踏まえて、やはり、書いて行くのだ!
※――で書きだす部分はネタの中身
■1回戦・第1試合■
(学天即)VS(スーパマラドーナ)
【学天即】
――四条が振る。「ついてない日があった!」
――朝からタンスの角に足の小指をぶつけた!それも、両足同時!
――家の軒先に鳥が巣を作っていて雛が落ちて来た!けど巣立たせた!
――ズボンをはくのを忘れて外出!その時、パンツ穿くのも忘れてた!
――車に両足のかかとを轢かれたけど、昔、四つ葉のクローバーを見つけていて助かった。
――何故その日、付いていなかったか。理由は星座占いでしし座の僕は5位!そのお陰で、テニスボール拾った。
如何にも、漫才の為のネタ。笑いを取る為のネタ。そこには彼らのリアリティも、何かを伝えたいと言う意志も感じられない。
全編とは言わない、彼らが本当に経験した「ついてない日」の1エピソードでも入っていれば。いわば、もっと等身大のネタを作ればいいのにというお節介である。そして、これは今の多くの若手の漫才コンビに言えることだと思うのだ。
但し、実体験を入れる以上は、それが驚くべき事実であるとか、その体験から得難い何かを得たとか、誰もが納得(共感)するもの凄い怒りを感じたとか、伝えたい何かがあってしかるべきではあるが。
要するに、「ついてない日」と言うテーマにした、彼らの必然性である。「ついてない日」を通じて、何を言いたかったのか?
言いたいことなど無いというなら、「ついてない」とはどういうことか、自分達の発想と思索で科学的、もしくは哲学的アプローチをすべきだ。つまり、頭でどれだけ面白いネタを作り得るかというプロとしての技量である。
硬い言い回しになったが、何のことはない大喜利の考え方だ。
〜世界一ついてない男とは?
〜関ヶ原の戦いで一番ついて無かったのは?
〜その日、付いていない犬。何があった?
〜全中国人が一斉についてなかった。どんなこと?
〜日本一ついてない漫才師とは?
これを分かり易く言うと、ネタへの追究度である。これでいいかと問う姿勢である。つまりプロ度である。
果たして、学天即、どこまで追究したのか?
【スーパーマラドーナ】
――武智「僕、中、高とあんまり学校へ行ってなかったので、青春を味わってないんです」と振って、お決まりのように、ここでやってみることに。
――雨の日に、雨宿りしている好きな子にぶっきらぼうに傘を渡す。
――これだけは武智が言い、以降は、「後ねぇ」と田中がふって、武智が乗るパターン。
――授業中寝てて、先生にあてられるけど、サラっと答える賢い不良!
――テスト中、答の教え合い!
――合唱コンクールの練習をさぼる男子に注意する女子
――親友の転校!
――修学旅行の夜、好きな子を言い合う!
――最後は、田中が「こんな学校の青春どうですか?」。武智「絶対イヤや!もうええわ!」
如何にも、これなら女子高生にも通じると言うネタの列挙だ。それもた易いことではないが、これでいいだろうと言う読みが見えて、鼻白む思いだ。
目の前の笑いを取りに行っていては、明日は危ういと知るべきだ。
中学生時代、高校生時代。それぞれが青春ど真ん中!彼らの青春、学び舎はこんな変哲も無いものだったのだろうか。後に、お笑い芸人を目指すと言うのに!無論、人ぞれぞれであるが。
漫才は、文学で言うなら、私小説の要素を持つ。ならば、小説家が、あの頃の自分の苦悩や不安を描いて、自分を知ろうとするような、そうした高邁な態度で漫才を自己表現の道具にしようという漫才師は現れないだろうか!
これを全漫才師に望む!
結果!
学天即(35点)・スーパーマラドーナ(165点)
え、そんなに、差、あった?
■1回戦・第2試合■
(プリマ旦那) VS (span!)
【プリマ旦那】
――野村が、「子供に人気の出そうなアニメ番組を考えて来たので、聞いて欲しい」と始まる。
――キャラクターは全部、文房具。
――主人公はエンピツ君。ヒロインが消しゴムの消し子ちゃん。
――物語は筆箱の中で始まる。
――他に、スティック糊(しゃしゃり出るタイプのおじちゃん)、修正ペン(女性、高圧的)、コンパス(修正ペンのしもべ)。
――エンピツ君と消し子ちゃんの恋を修正ペンが邪魔をし、スティック糊も、そして、一時は敵であったコンパスも応援するというストーリー。
受けていたし、出来は悪くない。一見、食べ物をキャラクターにした、『アンパンマン』を彷彿とさせられるが、その安易さや、物語の展開は、問題ではない。
このネタの核心は、
@野村のキャラクターの作り具合であり、
Aその成り切り具合であろう。
それが、功を奏した。つまり、あの高校生の大方の客には十分だったようである。
だが、僕は、@はまだまだだ。ネタの追究度ということで言うと、足りない。例えば、主人公には愛称があるのだから、他の3人(?)も、ステイック糊おじさん、スティック糊大佐、スティック糊会長、スティック糊船長、何か行けただろうに。せめて、スティック糊おじさんぐらいは欲しい。他は、修正ペン姐さん。マダム修正ペン。修正ペンの姐御。コンパスなどは、コンパス二郎でも、コンパス野郎でも、コンパス山田でも、コンパス・J・フォックスでも良かったのに。
しかし、そうすると名前を言うたびに、ツッコミや説明を入れなければならず、時間の制約の中では困難ことだとは思う。しかし、苦労した分、物語の厚みは増す筈だ。そしてやりようはある筈だ。ネタを作るとはそういうことだ。
それと同時に、キャラクターにもう少し肉付けが欲しかった。そして、それは現在の日本の子供たちの置かれた状況を反映するような、そんなネタだと、僕は拍手喝采だ!時間が無いか。そうだな。無いな。
しかし、そう考えた時、設定が「筆箱の中」というのが、想像を狭く、且つ難くしてしまっている気がする。別に、誰かの勉強部屋でも、机の上でも、要するに、彼らが色々動くことが気にならないスペースのほうが適宜だった気がする。
そして、A。今日の受けは、殆どこのお陰であったように思う。言わば野村のノリの勝利であろう。だが、それぞれのキャラクターに例えば愛称ひとつでも属性を深めれば、おのずともっと演じようは出て来るはずだし、彼自身も演じることの楽しさをもっと味わえたのにと思う次第だ。
結局、このネタに必然性は無いように思われる。あるとすれば、野村自身が思いっきりキャラクターに成り切りたかったという一点であろう。だとすれば、大袈裟な演技とそれを意義付けるキャラ設定が、やはり重要になって来るのだ。
このネタの可能性は大きい。
■span!■
――V2目指しての出場。その心意気や良し!
――水本が振る。「こう言う仕事してたら、CM出たいよな」。そして、「僕らが出たらええCM、一個だけ浮かんでるんです」
――それに対し、マコトが「分かった。パンパース!」「口紅!」と言うが、水本が思いついていたのは「スーツのCM」
――そこから、水本が考えて来ているCMの稽古に入る。キャッチフレーズなどもあるが、勿論、マコトがボケを返す。
水本が、それは「スーツのCM」という時に、僕はもう残念感が走る。そう、面白そうにないのだ。
更に、「僕らが出たらええCM」が「スーツ」である理由が残念だ。「マコトみたいな小さいサイズ、僕みたいな大きいサイズ、両方行ける」。マトモだ。ここは是非ボケて欲しいところだ。
では、彼らが本当に出たいCMは何なのだろう?と素直に思ってしまう。決して、スーツではない筈だ。勿論、本当にやりたいものがイマイチな、弾まないものだったら、無理にとは思わないが、そのリアリティは重要だろう。
結局、「スーツのCM」は漫才の素材として十分ではなかったようで、マコトのボケも普段よりは爆発しなかった。
もう少し、彼ら自身が大暴れできるCM素材を考えるべきだった。それに尽きる。
因みに、僕が漫才でやりたいCMを扱うなら、
●自衛隊、もしくは戦車、戦闘機など。
●弁護士事務所
●原発
●老人ホーム
●葬儀屋
●天王寺(観光CM)
●万能薬(風邪、癌、避妊、切り傷、失恋、トラウマ・・・)
●「ウズーレ」みたいな正体不明のモノ
みたいなところか。基本、暗くて重いけど、僕の指向がそうなもので。
結果!
プリマ旦那(150点)・span!(50点)
■第1回戦・第3試合■
(和牛 VS ポラロイドマガジン)
【和牛】
――水田が言う。「僕昔からなりたかったものがある。ジャニーズ。今日は、ここでジャニーズの気分味わいたいから、ジュニアの役やってくれる?」
――以下は、SMAPの「青いイナズマ」を二人で歌い踊る。リードするのは水田。勿論、無理な注文や、間違えて覚えているなどのボケがある。
何度か見たネタである。彼らがこれをやりたいと言うなら、僕に言うべきことは無い。と言いながら書き続けるのだが・・・・
しかし、これをやりたいと言うなら、見せつけるべき何かがあってしかるべきだ!そうは思いませんか。
踊りが凄い!歌が上手過ぎる!ハーモニーが綺麗!動きが素晴らしい!
出来る範囲で、歌って踊っているだけだ。そこにはこれでいいのかと言う客観性は無い。漫才芸だから、こんなものでいいのだろうという精神の腐臭がする。目に物見せてやるという熱意も根性も無い。
これは彼らだけではない。漫才を見限っている。つまり、自分達が漫才師であるにもかかわらず、漫才の可能性を追究していないのだ!漫才師自身がそうであるなら、いずれ、漫才と言う芸は消えてなくなると思え!
【ポラロイドマガジン】
――トリオである。センターのナターシャが言う。「学生時代とか、僕ら真面目やったんで、授業サボってるヤンキーとかに憧れた」、それを上手側のデビが受けて、「じゃ、そのヤンキーを二人がやってみたら」と促す。
――そして、ヤンキーの服装から、生き方まで、ナターシャとリーダーが交互にやるのだが、デビの説明(?)が、リーダーに対してだけ、変(ボケ)なのである。
敢えて書くが、それも、安易なボケである。
漫才は、コントの為のネタを、ストーリー無しで羅列する芸ではない。漫才師自身が怒りや、鬱憤や、不満や、悲しみ、自己否定などなどを観客に訴え、代弁し、共感を、時には反感を得ようとする芸である。と言うのは、漫才の定説でも、基本でも、先達が言ったことでもない。僕自身の漫才への期待と見方である。
なので、この漫才も、僕には残念なだけである。
彼らで、もっと面白いネタを見たことがあるのに。この時になぜこれ?
結果!
和牛(139点)・ポラロイドマガジン(61点)
■第1回戦・第4試合■
(かまいたち)VS(ソーセージ)
【かまいたち】
――濱家のフリ。「学生時代に、良い先生に恵まれたいと思ってた。クラスで事件が起きた時、ヤンキーが真っ先に疑われるけど、こいつはそんな奴やないと庇ってくれる先生」
――そして、給食費が盗まれる。ヤンキーの濱家がクラスから疑われるが、先生の山内も、言葉の端々に濱家を犯人とみている傾向がありありで、率先して濱家を疑うひどい先生であった。
ストーリーはそうであるが、彼らの特色、醍醐味は山内のキャラ作りであり、人間描写――概ね(表情)と言っても良い、である。
只、このネタは何度も見たのだが、余り先生の役どころが跳ねない。ハマった時の山内は恐いほどウケル。もしこのネタをやり続けるのなら、増してや、賞レースで使おうと言うのなら、先生のキャラに加算が必要だと考える。
そして、繰り返しになるが、それに今日性、批判性が加わるなら、僕は言うことがない。
つまり、このネタを僕は、彼らへの期待故にあまり評価しないのである。
【ソーセージ】
――この組もトリオである。登場、真ん中の秋山の挨拶を制して上手の藤本が提案する。「漫才に映画の予告を取り入れるってどうよ!」「難しいやろ、出来る?」と訝る秋山に、下手の山名が被せる。「出来るとかちゃうねん。やったらええねん。やりたいことを人生の中でやりまくったええねん。ほんで、死ぬ前に、笑おうや!」
――そして、「漫才の中に映画の予告」を入れて行く。
――最初は「早弁」。「修学旅行〜岐阜」。「友達との思いで〜走った後、頭から湯気が出ている奴」。「恋愛〜別れ話」の4つが題材であった。
実はフリを聞いただけでは、どういうことを見せてくれるのか分かりにくかったし、そう言う提案の元、3人がそれをやるだけで、何故、予告を取り入れるのか=予告を取り入れると何がどう良いのか、何故、学生時代の思い出を予告にするのか、そのあたりの説明(フリ)がないままなので、聞く側として、やや対象を失った感じだった。何故そういうネタなのか、客を納得させることは、客がネタに入ってこれるかどうかの分かれ目なので、慎重にやってほしいものだ。
その点で、笑いたい客と、或いは理解したい僕と彼らの間に乖離があって、笑いは十分には取れていなかった。
しかし、このグループから感じられる、他の人のやっていない事をやろう。或いは今までと違うやり方を模索しようという、気取りの表れであり、更なる健闘を願うばかりである。
そして結果は、やはり、ソーセージの思惑が伝わらなかったせいか、
かまいたち(112点)・ソーセージ(88点)
1回戦の中ではより僅差の闘いとなった。
ということで、勝ち残った4組は、
●スーパーマラドーナ
●プリマ旦那
●和牛
●かまいたち
さて、最終決戦、僕が手放しで褒め千切る史上最高の理想的な漫才は見られるのだろうか!か!か!か?
ここで、余談。
番組では、演者がネタ中、登場階段の左右にある電光掲示板(?)にその時の演者の名前が終始流れていて、僕は、最初から、「わ、見にくい!気が散る!」と思っていたのだが、それをどうやら、スタッフの誰かが気付いたようで、途中から止められていた。
それは良いのだが、そのタイミングが、二試合目のプリマ旦那終わり。対戦相手のspan!の時は止められていたのだ。公平さから言うと、そのタイミングどう?
更に言うと、リハの段階で誰か気が付くべきなのにである。
とは言え、番組の途中からでも、余分なものは排除する臨機応変は、番組作りに必要な要素であります。ヨカッタ、ヨカッタ。
御苦労さま。

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