東日本大震災における福島第一原発事故とはいったい何なのか!
あれから1年半も経つが、それぞれが考え、整理を付けておかねばならない問題ではないだろうか・・・・・お節介。
だが、この問いを色んな人にしたら面白いのは間違いないだろう。
政府の官僚。東電の幹部、社員。福島原発の現場の人々。飯館村の人たち。大飯町の関係者。原発推進御用学者。京大熊取原子炉実験所の6人。原子力安全保安院の有象無象。斑目原子力安全委員長、アメリカ人、ドイツ人・・・
誰が、3・11以前と以後で一番意見が違うか?
誰が、一番責任ある発言をするか?
誰が、一番「すいませんでした」と言うか?
誰が、一番怒っているか?
子供たちの事を一番言うのは誰か?
誰が、一番俯瞰しているか?
因果関係で言えば、あの地震が無ければ原発はああはならなかったわけで、原因とそれが生みだした結果とも言える。
勿論地震を原因とした結果は他にもある。津波だ。
だが、あの原発事故と津波を結果というにはそこから更に様々な被害が生みだされている訳で、結果はまだこの先にある気がする。というか、本当の結果は、ここから。我々がどういう答えを出すかだ。
しかし、原発禍と津波では明らかな違いがある。津波は仕方が無い。余程内陸の地震でない限り陸が揺れれば海も揺れる。まして今回は海底地震だ、海が揺れれば波は起こる。
だが原発禍は仕方がなくは無い。作らなければ良かったんだし。作るにしてもあそこでなくて良かったんだし。もし作るならもっと大丈夫なものを作ればよかったんだし。それがまだできないと言うなら、もう少し待てばよかったんだし、それ以前からみんなもっと我慢をすれば良かっただけの話ではないのか。
結局、今回はあそこに原発があったからだが、近くにあった女川原発が無事(?)であった事を考えれば、場所だけの問題ではなさそうだ。
つまりは東電の逃げ口上である想定外であったかどうかに関係なく、福島第一原発が、あの規模の地震、津波に耐えられるモノではなかったということだ。
だが東電は今回は想定外だと言ってるのだから、想定すれば作れると言っていることになる。じゃ、何故今回は作っていなかったのか?
実は、あの高さの防波堤では危ない、あれを超える津波が来ると、多くの学者が予見していた。そしてその情報は東電にも届いていた。それを無視して東電はあそこに原発をつくった。
既に多くの良心ある識者が言っているが、結局人命軽視と金。金儲けとリスクを天秤にかけて、金儲けを優先させたわけだ。畢竟、企業の論理である。
7月5日に出された国会事故調査委員会の報告書でもあの事故は「人災」と断じている。
東電のやり口が見えて来た。東電は福島だからあれぐらいの想定で作ったのだ。
もしあれが東京に作られていたら、その想定度合いは、そして、その名こそ東京原発!発!発!発!
それはきっと要塞かと見間違うような黒々とした強大堅固な建物であろう。恐らく想定M20の地震、高さ50mの津波にも動じない完全無欠の徹璧城であったに違いない!
※と書いたが、M(マグニチュード)が1大きくなるとエネルギーは約32倍、2大きくなるとちょうど1000倍と想定しているので、M20何て言う地震が来たら地球が真っ二つになってしまうし、高さ50mの津波がきた日にゃ、関東平野の半分が水没してしまい、東京原発だけが無事でも意味が無いのは無いのだ。
結局、あの程度の地震や津波などものともしない原発は作れたのだが、福島だったのでこれでいいやとしたのだ。
原発一基の値段は100万Kwのもので5000億円ぐらいだそうだが、土地購入段階から地元に落される金を入れると1兆円にはなるそうだ。福島第一原発の発電量は1号機=46万Kw、2〜5号機=78万Kw、6号機=110万Kwだそうで、100万Kwで1兆円に比例するとして計算すると、総額4兆6800億円となる。
そして今回の原発禍で東電が負う賠償金は来年の3月までで4兆5千億円(東電第三者委員会試算)だという。つまり優にそれ以上掛かるわけである。
つまり原発は一旦事故が起きれば元も子もないことになってしまう商品なのだ。
そんな計算が出来ないなんて商売人としては落第だ。
「あんたら、大阪では商売できまへんで!」
でも誰かが言ったのだろう。「原発は安全だ。絶対儲かる」と。誰?
だとしても、想定をもっと賢明にした、今回の地震ぐらいではあんな事にならないような原発を作るには幾ら掛かるのだろう。防波堤の高さを増すのか、原発自体を高台へ持って行くのか、更に、非常用電源をもっと安全な場所に確保し、送電設備も万全を期す、などなど、良心的にやったとしてもまさか倍にはなるまい。どう考えても今回の厖大な賠償額の何分の一かで今回の地震に耐えられることを想定した原発が出来たはずなのだ。
そういう地道な、全うな、賢明な道を選ばないで、手っ取り早くて、安く上がる方を採り、札束で住民の顔をはたいてとても安全とは言えないものを作ったのだ。
彼ら東電は今やどこまで人間の良心に立ち返っているのだろうか。
素直に「スイマセン」と、「ゴメンナサイ」と誰か言わないのだろうか。
無論、彼らは彼らで責任追及はやって来たであろう。その現れのひとつが幹部の人事異動であるのだろうけど、そこへ至るまでに真の言葉は吐かれたのであろうか。
だが、判っている。そんな言葉を吐いたら、またぞろ賠償金が大変なことになる事を!東電社員は、東電を愛するが故に、口が裂けてもそれは言えないのだ。悲しみのイエスマンたち!
ひょっとすると、東電にとってはこれぐらいの賠償額も想定内なのかもしれないぞ。原発は奥が深いかも。
そんな事を踏まえ、最初の質問を頭に大震災と原発禍を僕の出来る限りで俯瞰して見る――それは高々本を読み、テレビのドキュメント番組を見るでしかないが――今のところの僕の思いはこうだ。
地震は地球上のどこにでも起こりうる。だが火山国だとか、地震国だとか、自然環境によって多発するところとそうでない所とがある。
日本は世界有数の火山国、即ち地震国だ。因みに最近の資料による活火山の多い国ベスト5は、
@アメ リカ合衆国(174)
Aロシア(156)
Bインドネシア(139)
C日本(123)
Dチ リ(109)
意外にもアメリカやロシアに火山が多いが、アメリカはアリューシャン列島とアラ スカに多く、ロシアは千島列島とカムチャッカ半島に集中しているという実情。 更に両国とも国土が広い。日本の火山密度は高いと言わざるを得ない。
にしても日本は火山国であり地震国だ。それは近世からの文献や明治以降の体験により国も国民も周知のことだ。だから技術的なレベルもあったのだろうが我が国では高層ビルは地震に弱く危険だと、昭和のある時期まで結構避けられてきた。また新幹線は地震対策抜きには作られなかっただろう。無論、諺「地震、雷、火事、親父」が語る事実もある。また は独立行政法人防災科学技術研究所が運用する K−NET(Kyoshin Net:全国強震観測網)は全国を約20km 間隔で均質に覆う1,000箇所以上の強震観測施設からなる強震観測網であり、この観測網の設置頻度は世界一なのだそうである。因みにK−NETは1996年(平成8年)6月から運用を開始している。
つまり事ほど左様に我が国は地震を警戒し対処している国なのだ。
なのに、どうして地震に弱い、ひとたび地震に襲われればあんなことになってしまう原発を作ったのか?か?か?か?
ここへ来て僕は最初の質問の不備に気が付いた。
地震は必然であるが、つまり人間が引き受けなければならないものだが、原発事故は偶然である。つまり原発事故は人間が拒否できるものなのだ。
つまり(3回目!)地震は原発なんか、原発事故なんか知らないのだ。責任を負えないのだ。地震との関係で原発事故をみることは、下手をすると人災を許すことになりかねない。東電に言い訳を与えることになる。想定外を認めることになるのだ。
つまり(4回目!)問題は地震ではなく、原発。そんな当たり前の事を今更だが。
ではその原発を何故作るのか?
『日本は何故原発を選んだのか!何故また選ぼうとしているのか!』
そうすると僕に見えて来るのはチキンレースだ。
チキン(Chicken)とは英語でヒナ鳥。また俗に‘臆病者’をいう。つまりチキンレースとは‘肝試し’であり、‘臆病者’を決めるレースなのだ。
これを世に知らしめたのは1955年のアメリカ映画『理由なき反抗』(主演:ジェームス・ディーン)である。
作中、主人公が仇敵とこれをする。互いに自動車に乗り、崖に向かってアクセルを吹かす!どちらがギリギリまで行けるか!途中ブレーキを掛けたり、ハンドルを切ったり、或いは飛び降りたりすれば臆病者として負けになる。(レースの結果は是非映画で)
これ以外にもチキンレースは色んなやり方がある。ロシアンルーレットもそうだし、剣を交互に刺していくオモチャ「黒ひげ危機一髪」もその口である。
言い方を変えれば、勇気を出してどこまで危険に近づけるかを競うということでもある。蛮勇だが。
実は僕自身、このシステムが好きで放送作家として、いろいろアレンジしたチキンレースを考えたものである。勿論、採用されたことも一再ではない!
さて、原発がチキンレースとは?????
ここに日本という国がある!
プレイヤーは先に挙げたような者どもだ。自民党、そして今や民主党もだ。そしてあいつにこいつのゲンパツ村住人達だ!
彼奴等はどんな順であろうか、日本の、ここなら大丈夫だろうと思う所へ原発を作って行く。日本というゲーム盤上に‘原発’という駒を置いて行くのだ。だがこれはチキンレースだから前のプレイヤーより勇気を示さなければならない。つまりよりリスクの高い所へ置かなければならない!
「うわ、お前そんなとこに置くか!」である。
最初は次々と人里離れた海辺が狙われた。
一方このゲームは人生ゲームの様相もあり交渉段階で頓挫、諦めなければならない事態も出る。建てたいとろに建てられる安易なゲームではない。事前の調査、根回しが必要ななかなかの世知辛いゲームだ。
大抵のチキンレースは失敗即終わりだ。爆発一発で敗者が決まる。だがこの『傲慢!原発チキンレース』は底が深い。いや先が長い。
しかし、次々においた駒(原発)の先々で事故が起きる。
現実に、日本の原発が特にそうなのかもしれないが、僕が思っていたより原発は事故が多い。例えば『日本の原子力関連事故一覧』(www.gensuikin.org/data/jikoichiran.htm)というサイトを見ても、え、こんなに?!である。
しかも原発事故は様々だ。3・11フクシマのようなものもあれば、落雷によるもの、部品の不具合や故障によるもの、設計ミスによるもの、判断ミスによるもの。とにかく何かと原発は自動停止か手動停止させられている。
勿論、1999年9月30日の東海村JCO核燃料加工施設でおきた臨界事故のような原発事故らしい事故もある。これは日本で3番目の臨界事故で、作業員2名が死亡している。
また、2007年7月16日 新潟県中越沖地震に伴う東京電力柏崎刈羽原子力発電所での一連の事故では、使用済み核燃料棒プールの冷却水が一部流失している。この事故により柏崎刈羽原子力発電所は全面停止を余儀なくされた。再稼働は2009年12月。しかし、再び3・11フクシマにより全面停止になったことはご存じだろう。
つまり、日本の原発は年中必ずどれかが事故で止まっているのである。実際2009年の日本の原発の稼働率64.68%。米国が90%、ドイツで85%、フランス77%。やはり日本は低い。因みに2011年の日本のそれは23・7%。
こんなに出来が悪いのに原発は作り続けられる!
だってゲームだから、どんな手痛い目に遭っても誰も止めようとしない。
この先もドンドン原発という駒は置き続けられる。ゲームはHeat!していく!よりリスクの高い所へ駒が置かれるようになる。
国土=ゲーム盤の広さは限られているのだから仕方がない。
ということは遂に人口の多い所にも原発は作られるのか!
仙台、新潟、広島、博多、名古屋、横浜、神戸、そして大阪、東京!
だが、まだまだ海岸線沿いだ。
やがて技術革新は進み、海のそばでなくとも原発が可能になる時が来るかもしれない。日本中原発だ!一県に一基、二基、三基・・・・・・!
無論事故も起き続ける。原発に事故はつきものだから仕方がない。事故には大小がある。ある程度の大きさの事故だとあの福島のように半永久的に立ち入り禁止区域になってしまう。するともうそこには原発は作れないことになる。
だが原発を置き続けるということは事故が起き続けることであり、ということは立ち入り禁止区域は増え続ける可能性のみが残されているということだ。
日本の国土はどんどん使えなくなって行く。面積は変わらないが、荒涼とした立ち入り禁止区域に腐食されていくのだ。
SFだ。近未来映画だ。
さあ、ここからゲームは佳境に入っていく!
最早、原発に身も心も汚染された日本は、原発を置くことが目的化されたリアルゲーム国家へと変貌する!
日本の国土は放射能で汚染され続ける。
日本には、いや、一旦原発を作り出した国には汚染地域が増える未来しかないことになる!
原発ゲームが君を待っている!
神の国は核の国になる!
日本の未来は神核化されるのだ!!!!
だが、その時世界は・・・・・・・
THE END

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