(三面鏡に触発されて。)
一枚の平面の鏡が同じ方向を向いて、
同じものを映し出しているとき、広い空間の広がりを感じます。
その広がりを見つめると、奥も深く感じられます。
そんなに不思議で不安な感じにはなりません。
三面鏡はどうでしょう。
その一枚一枚に映るものが、向かい合うと、
広がりと深さが幾重にもダブって、ゆがんで、
そこに映し出されるものは、まるで異次元の世界です。
人と人の関係が、この三面鏡のような関係になってしまったら?
ふとそんなことを思いました。
自分の思いが相手に映し出されて、あたかも相手のもののように見える。
例えば、思いを「嫉妬」だとしてみましょう。
「嫉妬」の鏡で相手を見たら、あ〜ら不思議、相手のなかに自分への「嫉妬」が映って見えるではありませんか。
幾重にもダブって、ゆがんで。
これは不思議でもなんでもなくて、錯覚というものです。
嫉妬の眼で見られている感覚に陥ってしまったのは、自分に嫉妬の眼があったからです。
この錯覚にだまされて、嫉妬の飛ばしあいをしたんでは、異次元の泥仕合を覚悟しなけりゃならないでしょう。
何しろ、泥仕合の相手は、自分であり、相手であり、
自分でなく、相手でなく、、、何がなんだか。。。
三角とか三面というのは、強力パワーを持っています。
善きにつけ、悪しきにつけ。
このパワーは、なかなかつぶれにくいのです。
そこに、すっぽり入り込んでしまったら、恐怖と不安と落ち着かない気持ちを感じずにはいられないように思います。
三面鏡の前に座ったら、正面と横々、自分の姿を確認したら余計なものを見ずに、静かに閉じるに限ります。

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