Kさんとはあるグループで知り合った。
彼は文系の大学を出ていたのと、年齢的に近いこともあって、何となく話ができた。
グループから私が脱落しても、話ができる関係は続いていた。
ある日、話がしたいと、初めて家まで訪ねてきた。
せっぱつまった感じだった。
私は、外から中が見えるように、障子戸を開けておいた。
「部屋で男性と二人きりになるときは、窓かドアを開けなさい」。
そう教えられてきた。
狭い地域である。
いつもある車がなかったら、「どこかへ出かけてたの?」と訊かれる。
見慣れない車が止まっていようものなら、何を言われるかわかりはしない。
夫も子どももいる身である。
変な噂が立ってはつまらない。
肌寒い日だったので、ガラス戸は閉めていた。
彼は深刻だった。
妻の不倫という話は、私には呼吸が乱れるほどショッキングな話だった。
結婚前は恋のひとつやふたつ、誰でもあるだろう。
けれども、結婚してからとなると話は別だ。
しかも夫に対して、
「女の悦びを初めて味わえた」と、不倫相手との情事をあからさまに話すことは、裏切り以上のものだと思う。
男の自尊心は傷ついただろう。
その傷ついた男から、今度は私が、あからさまな女の言葉を聞かされる。
ほんとは、聞くのも恥ずかしくて、半分は上の空で聞いた。
いつの間にか夕方になっていた。
吐き出すだけ吐き出せたのかどうか、わかる由もなく、ふらふらと彼は帰っていった。
間もなくして、彼と、音楽をしている友人と、子ども達に読み聞かせをしている知人達が集まって何かを始めるという話を友人から聞いた。
しばらくして、私もそのグループに参加することになった。
また彼と一緒に始められることに期待しながらセンターに行ったら、彼はいなかった。
友人に訊いたら、言いにくそうにして教えてくれたのは、
「ここにはいないみたい。どこか遠くに入院しているらしい」
ということだった。
物足りなさを感じつつ、イベント準備はスタートした。
そして、リハーサルの日。
「明日の本番に彼を招待したの」
と、友人が言った。
訊けば、彼から手紙が来たからということだった。
イベント当日、彼がやってきた。
友人が打ち上げに誘っていたので、打ち上げの席にいたが、ほとんど話はしなかった。
この時、無表情で静かな彼を眼の隅に留めながら、私は初めてのイベントの打ち上げの雰囲気にこころを囚われてしまっていた。
その日から三日後、彼が亡くなったことを知らされた。
お通夜に向かう車の中で、友人から彼の手紙のことをくわしく聞いた。
恋文とも取れる内容だったという。
妻とは離婚し、アルコール依存症治療のために入院していて、外出許可をもらえてイベントに来てくれたのだという。
あの日、友人は彼を送る役目を私にふったのだった。
いろんなことを知らなかった、想像できなかった私は、込み入った話もせずに、もよりの駅まで送って行っただけだった。
彼はあれからどこでどうしていたのか?
離婚して家を追われたはずなのに、家の近くで亡くなっていたという。
お通夜もお葬式も家で執り行われた。
そして、喪主は妻だった。
彼は男尊女卑的な風土の地域で生まれ育った。
彼の父は職業柄、お酒を飲む機会が多く、家でも飲んだのだろうか、家で暴れることがあったようだ。
耐えかねて、母が実家に帰ったことがあった。
K少年が、母恋しさに実家まで行ってみたら、母は外で談笑しながら西瓜を食べていたところだった。
K少年に気がついた家の人が彼に気がついて手招きしたが、K少年は踵を返した。
k少年の見捨てられ感はどんなだったか、胸が詰まるような光景だ。
家には暴君の父親しかいない。
彼はそこに帰っていくしかないのだ。
そうしてアダルトチルドレンが長じてアルコホリックになっていく。
彼も家庭でアルコールを飲んで暴力を振るっていたようだ。
今回の入院もだまし討ちのようにして、身体を拘束され入院させられたらしい。
家族への恨みばかりがあったろうけれど、居心地のよかった時間をも思い出していたに違いない。
その思い出の中に、くだんの友人が登場しても不思議はない。
「居心地のいい時を過ごしてもらおう」という趣旨で集まった者ばかりだ。
閉鎖された環境で、居心地の良かった関係を思い出して恋心が芽生えてもおかしくはない。
家族に見捨てられた彼が、最後に恋心にすがることを、とがめることなどできはしない。
けれども友人は人妻だ。
彼の恋心に応えることはできない。
それでも、もっと彼に生きてほしかったと思う。
最期の見送りにお花を添えたとき、これほど寂しい顔はないのではないかと思うほど、彼は寂しい顔をしていた。
そして、彼の妻は般若の形相だった。
火葬場に向かう車に乗り込んだ彼の娘が、友達にであろうか、笑顔で手を振っていた光景と共に、彼と彼の妻の顔が思い出される。

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