『好きだ、』
石川寛 (監督)
宮崎あおい (主演女優)
瑛太 (主演男優)
西島秀俊 (主演男優)
永作博美 (主演女優)
小山田サユリ (女優)
2005年制作
2006年公開
☆☆☆☆

好きだ、こういう映画。普通の「ストーリーを楽しむ」映画ではない。その「雰囲気」に身を委ねる映画。非常に私的な映画、という印象を受けた。よくこんな映画の企画が通ったなぁ、と思う。
秋田のどこか凄んごい田舎の町に暮らす17歳のユウとヨースケと、17年後、偶然東京で再会した34歳の2人の物語。物語って言うか…、「物語」じゃないね。ストーリーは皆無。「雰囲気」映画。だけど好きだ、こういう映画。
「好きだ、」という、ただその一言のためだけにつくられた映画。言い忘れた、言い残した、そんな一言。この映画は、初恋を忘れなかったという話でもあるし、忘れていた初恋の話でもある。自分のファーストキスっていつどこで(誰と?)したんだっけ? どんなだったっけ?と思い起こそうとすること必至。

監督の石川寛は、CMの世界で活躍してきた人だそうだ。本作が劇場映画監督第2作(監督デビュー作は『tokyo.sora』(2001年))。CMってのは、15秒という非常に短い時間の中である種の世界観を表現しなくちゃならないわけで、この人は、そういう「ある状況における雰囲気」を映像的に描くのがとても上手い人なのだと思う。逆に言うと、ある雰囲気を醸し出したいときにどんな映像を撮ればいいか知ってる人、と言うか。本作では、監督だけでなく、脚本、撮影、編集までこなしている。製作もプロデュースも彼。完成図が監督の頭の中にしかなく、それを他者に伝えようとすれば出来上がった映画を見せるしかない、そうなると全てを1人でやらざるを得ない、そんな感じなのだろうか。
静かな映画。セリフは少ないが、いろんな音が録音されている。宮崎あおいの足音だとか、瑛太の鼻息だとか。そういう音によって、恋愛の始まる直前の気まずさが上手く表現されている。この監督は要するに、音声に関する変態なのだと思う。変態と言えば、僕にとっては岩井俊二なのだけど、岩井俊二が普通の人には見えないものを見せたり聴こえない音を聴かせる作家なのに対して、石川寛は聴こえているはずの音をどんどん消していく。その状況を説明するものが何もなく、音だけが手がかり。時間すら一定の方向に流れているのかどうかわからない。そこで何が起きているのかを知りたいなら、その気まずい空間に身をおいて、なりゆきを見守るしかない。そうやって観る者自身に想像させる。

僕はWindowsの「デフラグ」の画面をジーッと眺めてしまうクセがあるのだけど…、この映画もデフラグの画面のようなものだと思う。何が起きるというわけでもないのに、つい見つめてしまう。ロウソクの灯の揺らめきをジッと見つめてしまうようなもの。
この人の映画づくりは独特で、通常の意味での脚本は存在しないのだそうだ。状況設定だけして、ぶっつけ本番のアドリブ演技を撮影するらしい。何時間もカメラを回しっ放しにしておき、あとで編集する、というスタイル。演技というより役者の素の振る舞いを求めているようで、永作博美と西島秀俊なんて、撮影前に顔をあわせないよう要請され、ほぼ初対面の状態で17年後の再会を演じたのだそうだ。17歳という実年齢にもこだわり、17歳の宮崎あおいを撮影するためだけに撮影スケジュール全体を早めたのだとか。

宮崎あおいをちゃんと観るのはこれが初めて。彼女は何だか…、犬みたい。仔犬見て可愛いなーと思うのと同様に、彼女も可愛いと思う。可愛いだけじゃなくて、素っ気無い素振りや睨むような目つきもなかなかいい感じ。エンドロールを見るまで瑛太を妻夫木聡だと勘違いして観ていたのだけど、彼も可愛いと思う。特に、いつもの水門に呼び出したはいいが、何も言えず5分以上も意味不明の行動を取り続けるシーン。童貞男子高校生のイモ臭さが匂い立つ。西島秀俊は、『
トニー滝谷』(市川準 監督 2004年)のときも思ったのだけど、モノローグがいい感じ。
『
さよならCOLOR』(竹中直人 監督 2004年)とはまた違うけれど、この映画も童貞妄想芸術の1つのかたちなのだろうと思う。均衡を破ってくれた17歳のユウに、17歳のヨースケも34歳のヨースケも(監督も僕も)感謝しなくちゃいけない。
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「好きだ、」公式サイト

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