『パイラン』
ソン・ヘソン (監督)
チェ・ミンシク (主演男優)
セシリア・チャン (主演女優)
コン・ヒョンジン(男優)
2001年制作
2003年公開
☆☆☆

『力道山』(2004年)、『
私たちの幸福な時間』(2006年)のソン・ヘソン監督による監督第2作(実質的には、これが第1作らしいが)。日本でも『ラブ・レター』(森崎東 監督 1998年)として映画化された浅田次郎の短編小説『ラブ・レター』(『鉄道員(ぽっぽや)』(集英社 2000年)収録)を、舞台を韓国に移し映画化したヒューマンドラマ(日本映画『ラブ・レター』を観ていないので、本作がリメイクなのかどうかについてはわからない)。どんなダメ人間にもちょっとしたキッカケで、自分の人生を見つめ直し立ち直るチャンスが巡ってくる、という話。そのダメ男を、『
春が来れば』(リュ・ジャンハ監督 2004年)、『クライング・フィスト』(リュ・スンワン 監督 2005年)でもダメ男を演じていた名優チェ・ミンシクが、中国から親戚を頼って韓国に出てきた薄幸の美女を、『忘れえぬ想い』(イー・トンシン 監督 2003年)、『PROMISE プロミス』(チェン・カイコー 監督 2005年)のセシリア・チャンが演じる。オリジナルタイトルも「
파이란(パイラン)」(英語タイトルは「Failan」)。ちなみに、映画としての邦題は『パイラン』だが、そのビデオ・DVDのタイトルは何故か『ラブ・レター〜パイランより〜』となっているようだ。

舞台は、港があり中国人の溢れている街、仁川(インチョン)。主人公の中年男は、後輩にも完全にナメられているダメヤクザ。一緒に組を興した仲間は親分になったのに、彼はいまだ下っ端のチンピラのままだ。そんな彼の元に警察から「奥さんが亡くなった」という連絡が届く。彼は、1年前に自分と偽装結婚した中国人の若い女がいたことを思い出す。手続きのため彼女の暮らした町を訪れた彼は、一度も会ったことのない「妻」が自分の存在だけを心の支えに懸命に生きていたことを知る…。
実に馬鹿バカしい話。生きている価値もないとあらゆる人間に馬鹿にされているダメ男が、世界の片隅にたった1人だけ自分を頼りにしてくれていた女性がいたことを知り、真面目に生きようと心を入れ替える、という話。本当に馬鹿バカしい話なんだけど…、もしお酒を飲みながら観ていたとしたら、物語終盤に訪れるチェ・ミンシクの男泣きシーンで間違いなく一緒に泣いていただろう。この映画、自分をダメ人間だと思っているような人には、本当に胸に沁みると思う。

何と言っても、チェ・ミンシクのダメ男振りが凄まじい。上下関係の序列の厳しい韓国社会では、1歳でも年齢が上の方が偉い。それは偉くて当然であって、逆に言うと、「偉くない先輩」の存在する余地などどこにもないのだ。韓国社会において「不甲斐ない先輩」が置かれる立場は、日本社会では想像もできないほど悲惨なものだ。韓国社会には、公にはダメ人間の生きる道がないのである(「ダメ人間」にはルックス的に劣る人間も含まれる。だから、韓国では美容整形が大流行する)。映画は実に40分もかけて、この男のダメッ振りを描く。こんな単純な話に感動してしまうのは、このダメッ振りにリアリティーがあるからだろう。これまで韓国一の名優はアン・ソンギだと思っていたのだけど、ナンバーワンはチェ・ミンシクかも…(上述の海辺の男泣きシーンなんて本当に上手い)。計算してみると撮影時まだ30代後半のはずなのだが、どう見ても堕落した生活を送り続けてきた40代後半男にしか見えない。

物語も中盤に入り、映画は、遺体を引き取りに田舎町を訪れた彼と、その町で懸命に生きていた女のエピソードを、交互に繰り返すようになる。女は、身寄りのない中国から唯一の親戚を頼って韓国に出て来たのだが、その親戚は既に韓国にはおらず、不法滞在とならないために韓国人である主人公と偽装結婚をし(もちろん、この解決策そのものが不法だが)、流れ着いたその町のクリーニング店で住み込みで働いていた。偽装結婚の事実を隠し、言葉も通じない国での慣れない生活に耐える日々を送るうちに、いつの間にか彼女は一度も会ったことのない書類上の夫を唯一の心の支えとするようになっていく。ところが、彼女は難病(結核?)にかかり実にアッサリと死んでしまう。まだ見ぬ「夫」に感謝の気持ちを伝える手紙を遺して。
誰からも馬鹿にされ、自分自身ですら自分に愛想を尽かしている主人公の男。そんな自分に「ありがとう」と言ってくれる人がいる。世の中に、こんなダメ人間の自分を必要としてくれる人がいる。ただ、それだけのことで、男はヤクザな暮らしから足を洗って人生をやり直す決意をする。それが自分を想って死んでいった「妻」に報いる唯一の道なのだ。もちろん、現実はそんなに上手くはいかないが…(韓国版ポスターのようなハッピーな場面は実際には存在しない)。

この話、死んだ妻が「韓国語のネイティブスピーカーではない」ということが重要な仕掛けになっている。それと言うのも、主人公の心を揺さぶるのは彼女の手によるタドタドしい韓国語の手紙だからだ(ちなみに、中国人のタドタドしい韓国語と日本人のタドタドしい韓国語はだいぶ違っているようで、これはこれで興味深い)。この映画、彼女の韓国語のタドタドしさが実感できないと感動も半減してしまうかもしれない。言葉というものは、流暢であればあるほど、どんな凝った言い回しもすぐに切れ味を失ってしまう。ところが、彼女のタドタドしい言葉には、それが稚拙でストレートであるが故に、その言葉が本来持っていたザラザラした感触が甦る。彼の心を揺さぶったのは、そんな言葉なのだ。

その中国人妻を演じる(って言うか本当に中国人だけど…)セシリア・チャンは、表情だけで魅せる演技が素晴らしい。まぁ美人なので、困っていてもガッカリしてても笑っていても絵になる、ってことはあるけれども…。韓国語学習者として不思議だったのは、彼女の役名。漢字で書くと「康白蘭」でハングルで書くと「
강백란(カng ペkラn)」。ところが、皆彼女のことを「パイラン」と呼んでいる(1回だけ、彼女自ら韓国語による自己紹介として「ペkラn」と発音しているシーンがあるが)。これは「白蘭」の中国語読みってことで良いんだろうか? ところで、監督の第2作〜第4作の歴代ヒロイン(セシリア・チャン、中谷美紀、イ・ナヨン)を並べてみると、中国人・日本人・韓国人の別はあるけれども、監督の一貫した女優への好みがはっきりと見て取れる(美人でどこか寂しげだが、芯の強そうな凛とした雰囲気のある女優を、常にヒロインに据えている)。この人、完全に自分の好みでキャスティングしてますね。そして、監督の好みと僕の好みはどうも一致しているようなんですね。タマリませんね。
今日の一言韓国語は…、手紙の一節です。「
당신의 아내로 죽는다는 거 괜찮습니까?(タンシネ アネロ チュンヌンダヌンゴ ケンチャンスmニッカ?)」=「あなたの妻として死んでもいいですか?」 そりゃ泣くでしょう。

0