『サイボーグでも大丈夫』
パク・チャヌク (監督)
イム・スジョン (主演女優)
チョン・ジフン (主演男優)
チェ・ヒジン (女優)
2006年制作
2007年公開
☆☆☆

精神病院の閉鎖病棟(?)を舞台に描かれた、異色のファンタジック・ラブストーリー。不思議なお伽話。オリジナルタイトルも「
사이보그지만 괜찮아(サイボグヂマン ケンチャナ)」=「サイボークだけど大丈夫」。英語タイトルは“I am a cyborg, but that's ok.”のようだが、むしろ“You are a cyborg, but that's ok.”の方がいいと思う。傷ついている人に「大丈夫だよ」と言ってあげている映画のように感じたので。
ちょっと勘違いしていて…、本作と、クァク・ジェヨン監督の『
僕の彼女はサイボーグ』(2008年)、さらには日本のTVドラマ『セクシーボイスアンドロボ』(2007年)とが、頭の中でゴッチャになっていた。と言うわけで、クァク・ジェヨンテイストのクダらない韓流ラブコメディなんだと思っていた。クダらない韓流ラブコメディはそれはそれで好きなので、そのつもりでレンタルしてきて、そのつもりで観始めた。ところが冒頭からどうも雰囲気が違う。2000年代後半に入ってから、明らかに韓流映画のクォリティは上がったと思うのだけど(それは「グローバルスタンダードに近づいてきた」ということなので、逆に言うと「韓流映画らしさが失われつつある」ということでもある)、この作品も間違いなく2000年代後半のクォリティだと思う。

統合失調症の女のコが主人公。彼女、感電自殺未遂と拒食症の症状で病院に送られてきたのだが、それは、自分はサイボーグなのでご飯を食べるわけにはいかず(故障してしまう)、単に(聴こえてくる機械の声に従って)自分自身を充電しようとしたに過ぎない。彼女を育ててくれたおばあさんは、最近老人ホームに連れて行かれてしまった。おばあさんが好物の大根を食べられるように、何とかして入れ歯を届けねばならない。そのためには、ここを抜け出さなければならないのだが…。
精神病患者をバカにするわけでもなく、病院の対応や世間の無理解を批判するわけでもなく、患者同士(時に医師や看護師も)のやりとりをコミカルな笑いに包んで描いている。病院には一癖も二癖もある患者がたくさんいて、1人1人に少しずつスポットライトを当てていく。そんな患者の中で彼女に好意を寄せるようになるのが、かつて母に捨てられたトラウマが病的な窃盗癖となって現れている男のコ。映画初主演だという歌手のRain(ピ)が好演している(本名のチョン・ジフン名義で出演している)。

この映画について改めて調べてみて、本作の監督のパク・チャヌクが、『復讐者に憐れみを』(2002年)、『
オールド・ボーイ』(2003年)、『
親切なクムジャさん』(2005年)の、いわゆる「復讐3部作」の監督であることを知り驚いた。全然、イメージと違う(実は、彼の映画を観るのはこれが初めてなので、作風がかわったのかどうかよくわからないのだが)。この変化は単なる気まぐれなのだろうか? この映画の雰囲気は何かに似ている…。『シザーハンズ』(ティム・バートン 監督 1990年)だと思う。
ひょっとすると、もの凄く良い映画なのではないか、あるいは、もの凄く良い映画になるはずの映画だったのではないか、と思うのだけど、今一つどうも僕には監督の狙いがわからない…。『シザーハンズ』が傑作なのは、寓話の中に人間社会批判が含まれていたからで。本作が、何かを批判しようとしているものなのか、批判しようとしているのなら何を批判しようとしているのかが、僕にはどうもよくわからない。

彼女がご飯食べたところ(90分辺り)で終われば、一応ラブストーリーとして完結していたと思うのだけど、単なる(と言っても、「異色」の)ラブストーリーだと考えるには、余計なエピソードが入り込み過ぎているし、だいたい長過ぎる。前半で散りばめられたエピソードの断片のいくつかは、膨らみ続ける妄想の世界を構築するのに役立っていると思うのだけど、単なる思い付きなんじゃないかと思うようなものもあったし。ストーリーは「起承承承」といった感じで続いていくし…。まぁ、「人生は起承承承と続いていくものだ」というメッセージなのかもしれないけれど。
それでも僕がこの映画に反応しちゃったのは、(頭の中に血が溜まって)一時的に軽い痴呆症状を示していた父の様子を見に何度も病院に通った経験が、つい数ヶ月前にあったからだろうと思う。父は、1ヶ月近くかなりおかしなことを言っていた。例えば、「明日の朝のトイレを予約しておいてくれ」なんて僕に頼むのだ。もちろん、トイレに予約なんて必要なく、一見突拍子もないことを言っているように思える。ところが、父がこんなことを言うのにはそれなりの理由がある。第1に、看護師やヘルパーさんが自分の排泄の時刻や量、等を逐次記録していることを理解していること、第2に、トイレまで歩いていけるところまで回復してきたが、まだかなりゆっくりとしたペースでしか歩けないことを自覚していること、第3に、トイレの数には限りがあり、いつでも好きなときに用を足せるわけではないと考えたらしいこと(それまでは人を呼んでベッドでしていた)、第4に、他の病気の1ヶ月毎の定期的な検査(予約が必要)のことを思い出し、それが気がかりになってきているということ。こういう理由を本人がどの程度意識していたのかはわからないが、とにかくそういう理由がもとで生み出された発言なのだ(と僕は考えているのだけど…)。現実の認識は無茶苦茶だったが、その無茶苦茶な認識を使って行う思考の原理や、感情の流れそのものは何らおかしくないのである。

挙句の果てに、自分が入院していることすらわかっていないくせに、(いい年して働かない)僕の心配をしだし、ありもしない病院の名を挙げ「もう1回、病院に行ってみないか」なんてことを言い出す始末。ポイントは事実認識が無茶苦茶なこと。何1つ事実ではないのだが、言ってることが無茶苦茶なだけに、その発言を生み出す想いだけが明瞭に浮かび上がってくるのだ。要するに、「正常」なときより想いがストレートに伝わってくるのである。「伝わる」というか、「わかっちゃう」というか。あれは泣けたなぁ…。(その後、父の頭の血は抜け、「正常」に戻った。それに伴い親子の会話もまた減少した。めでたしめでたし。)そういう経験をしたばかりだったからか、僕にはこの映画に登場する患者たちの言動が少しもおかしく見えないばかりか、その背後にある想いがむしろストレートに表現されているように思えてならないのだ。
今日の一言韓国語は…、ちょっと長いよ。「
사이보그라고 밥 먹으면 안 돼?(サイボグラゴ パmモグミョン アンデェ?)
사이보그라고 밥 안 먹으면 돼?(サイボグラゴ パバンモグミョン テェ?)
사이보그지만 먹어도 괜찮아.(サイボグヂマン モゴド ケンチャナ)」=「サイボーグだから、ご飯を食べたらダメ? サイボーグだから、ご飯を食べない方がいい? サイボーグだけど、食べても大丈夫。」 2つ目のセリフは実はよくわからなかったんだけど、「
밥 안 먹어도(パバンモゴド)」ではなく「
밥 안 먹으면(パバンモグミョン)」と言ってるっぽく聴こえた。
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「サイボーグでも大丈夫」公式サイト(日本語)

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