『チャーミング・ガール』
イ・ユンギ (監督)
キム・ジス (主演女優)
2005年制作
2006年公開
☆☆☆

郵便局に勤める30代前半と思しき一人暮らし女性の日常生活を、ドキュメンタリー映画かと見紛うごときタッチで描いたアート系の作品。レンタル屋の韓流コーナーでDVDを見かけて以来、ずっと気になっていた。他の映画のDVDに収められていた予告編を観て、主演女優のあまりの薄幸美人振りに衝撃を受け、ついにDVDを手に取った。オリジナルタイトルは「
여자, 정혜(ヨヂャ, チョンヘ)」=「女、チョンヘ」。英語タイトルは“This Charming Girl”。主演女優は『ノートに眠った願いごと』(キム・デスン監督 2006年)のキム・ジス。
DVDパッケージの裏面に「第2のキム・ギドク」なる宣伝文句が。キム・ギドクとは明らかに作風が異なると思うが、最初のカットを観た瞬間に、普通のエンターテイメント作品ではないことがわかるのは確か。「難解」な映画ではないが、わかりやすい映画でもない。

あまりにも大きな悲しみを抱えてしまったゆえに、心の表面に硬い殻ができてしまったまま生きている女性。心を閉ざしている、というわけではないが、彼女の言葉は力なく宙に漂い、視線はいつもここではないどこかに向けられている。そんな彼女が捨て猫をうちで飼おうかと迷い始めたのは、彼女の心の殻が徐々に剥がれ落ち始めたことを意味していた…。
どうして自分は、こういうアート系の映画を無視してしまうことができないのかなぁ…。自分の理解できない映画を観ると、「自分に理解できないだけで、ここにはきっと何かがあるはず(そして、それをいずれ自分は理解できるはず)」とつい考えてしまう。

DVDに収録されていた日本での記者会見の様子では、監督は「芸術的な作品にしたいというより、原作小説のもっている雰囲気を生かして撮れれば、と思いました」というようなことを言っている。それを聞いて想い出したのが、日本映画『
blue』(安藤 尋 監督 2001年)。原作漫画(『
blue』(魚喃キリコ 1997年))は傑作だと思うんだけど、そして、作り手たちもその雰囲気を生かして撮ったはずだと思うんだけど、非常にショボい雰囲気の映画に終わってしまっていたのが残念だった。映画を観る前から漫画『blue』を映画化するとしたら普通のつくり方では無理ではないかという気はしていて、映画を観た後ますますそう思ったんだけど、では、どうすればよいのか?と考えてみても答えは全く思い浮かばなかった。この映画を観て、例えばこういうやり方があったのか、と思う。この映画には、映画『blue』が醸し出しているショボさがない。

説明的なセリフが一切なく、その上、主人公の女性はほとんど内面を吐露しないので、何が起きているのかを知るためには、じっと息を殺して彼女の日常生活を観察し続けるしかない。そうやって、彼女の一挙手一投足を追い、彼女の息遣いまで感じられるようになって初めて、深い悲しみに押し潰されないように彼女の心に出来てしまった殻の存在が見えてくる。
この「観客に状況を観察させる」というのは、日本映画『
好きだ、』(石川 寛 監督 2005年)でも取られていたやり方。ただ、『好きだ、』が僕にとって結局何を描きたかったのかよくわからない「雰囲気」映画であったのに対して(でも、大好きですが(笑))、この映画には描くべきテーマがある。この映画は、何年も何年も時間をかけて心の痛みを浄化する、というテーマ、そして、人には誰にでも自らの心の傷を癒す力がある、というテーマを描いた映画なのだろうと思う。彼女の記憶の断片をつないでいき、彼女の抱える大きな悲しみを描いた後、彼女の胸のつかえを洗い流して、映画は終わる。
本作はイ・ユンギ監督の長編監督デビュー作だそうだ。レンタル屋で見かけた第3作『アドリブ・ナイト』(2006年)も是非観てみたいと思う。
今日の一言韓国語は、「
오늘 저녁 저의 집에 오셔서 같이 식사하지 않을래요?(オヌr チョニョk チョイ チベ オショソ カチ シクサハヂ アヌrレヨ?)」=「今晩うちに来て、食事でもしませんか?」
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「チャーミング・ガール」公式サイト(日本語)

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