『私たちの幸せな時間』
ソン・ヘソン (監督)
イ・ナヨン (主演女優)
カン・ドンウォン (主演男優)
2006年制作
2007年公開
☆☆

韓国の女流作家コン・ジヨンによるベストセラー小説(ちなみに、日本語訳版の翻訳者は何とあの蓮池薫氏)を、若手スター俳優2人を用いて映画化したヒューマンドラマ。人生に意味を見出せず死だけを考えて生きている若い男女が、語らいの中で互いに癒し癒されていく様を描く。オリジナルタイトルも「
우리들의 행복한 시간(ウリデュレ ヘンボカン シガン)」=「私たちの幸福な時間」。英語タイトルは“Our Happy Time”。
裕福な家庭に生まれながら、母との長年の確執に疲弊し、自殺未遂を繰り返している大学講師の女。母を嫌いつつも、その母のコネによって現在の職を得て生活している自分自身を自嘲し、投げやりに暮らしている。シスターの叔母に連れられて訪れた刑務所で、彼女は、貧困の中で愛を知らずに育ち3人を殺した罪で服役中の死刑囚の男と、週に1度3時間面会する奉仕活動を行うことになる。初めはギコチない2人だったが、次第に心をかよわせるようになるにつれ、その時間は2人にとってカケガイのないものとなっていった…。

刑務所での面会場面を中心としたドラマで、キリスト教的な「赦し」をテーマとした映画なのかな、と思いながら観始めた。僕が韓流映画について厄介に思っているのが、まさにこの「キリスト教」。韓国の人口の1/4はキリスト教徒で、キリスト教的なテーマを扱った映画はわりと多い(例えば、軽いところでは『
恋する神父』(ホ・インム監督 2004年)から、重いところでは『
サマリア』(キム・ギドグ監督 2004年)や『
親切なクムジャさん』(パク・チャヌク監督 2005年)、等)。ところが、僕にはキリスト教的な素養がまるでないので、それらの映画が何を描こうとしているのかよくわからないことが多いのだ。
(ちなみに、主人公の男の「孤児育ち」という設定についてだが、実際、韓国では孤児の数(率?)が日本より多いのだそうだ(韓流映画を観ていると、しばしば孤児の兄弟が登場する)。韓国では、上述の通りキリスト教徒が多いことや、寄付文化が社会に根付いていることもあり、孤児が生きていけるだけの環境が日本より整っているらしい。)

この映画のメインテーマを「赦し」だと考えれば、圧巻は、男に殺された被害者の母が、泣きながら男を赦すと言う前半のシーンだと思う。ここで最初の変化が男に起きる。ただ、その変化は余りにも唐突過ぎて、アイドル的な若い俳優を用いて、この重いテーマを描き切ることは難しいのでは?と正直感じた。また、物語後半に入って、実はこの男がそれほど極悪人でもない、ということがわかってくると、「赦し」という難しいテーマの重さが軽くなってきてしまう。
主役の男女のうち男の方がより重要な主人公だと考えれば、単に「愛を知って生きる喜びを知る」というだけの話。それだけの話なら、彼と面会する女の「訳アリ」の設定に意味がない。

そう考えると、この話、通常は「死刑囚を導く側」と考えられている彼女が(彼女は(一応)シスターの代理として面会に来ている)、これまた通常は「シスターに導かれる側」と考えられている死刑囚との対話を通して、自らの傷を癒していく、という話なのだろう。彼女の身に起こる変化にとっても「赦し」は重要なキッカケとなっているけれども、「赦し」そのものが映画のテーマではないのかもしれない。「赦し」だなんだというのを全部取っ払ってラブストーリー色を若干強めれば、『ラストダンス』(ブルース・ベレスフォード監督 1996年)になるし、死刑囚と面会するシスターの葛藤に焦点を合わせれば、『デッドマン・ウォーキング』(ティム・ロビンス監督 1995年)になる。本作は、(似たような題材を扱っているものの)そのどちらとも違って、人生に絶望した2人が向かい合うことによって再生する、というテーマを扱っていると考えれば良いのだろう。

この監督の映画を観るのはこれが初めてだと思っていたのだけど、調べてみると、監督デビュー作『
ホワイトクリスマス〜恋しくて、逢いたくて〜』(1999年)を観ていたことがわかった。本作とはだいぶ作風が異なるので、同じ監督の映画だとは気がつかなかった。イ・ナヨンを見て「中谷美紀みたいだなぁ」と思っていたのだけど、第3作の『力道山』(2004年)で力道山の妻役を演じていたのが、まさに中谷美紀。このテの顔が監督の好みなんだったりして…? そのイ・ナヨン、『
フー・アー・ユー?』(チェ・ホ監督 2004年)では堅く心を閉ざしている女を演じていたが、本作では思い切りトゲトゲしい感じ。ヘの字に歪めた唇がクセにならないか心配だ。カン・ドンウォンは、何だかずっと鼻声で、「彼ってこんな声だったっけ?」と首を傾げた。確かに『
デュエリスト』(イ・ミョンセ監督 2005年)でも、鼻声だが…。
今日の一言韓国語は、「
얘기 들어 줄 사람이 필요해서.(イェギ トゥロ ジュル サラミ ピリョエソ)」=「話を聞いてくれる人が必要で」。字幕では「誰かに話を聞いてほしくて…」と訳されていた。
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「私たちの幸せな時間」公式サイト(日本語)

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