2014/9/29

地元の歴史05  図書室

 一番下の写真は以前紹介した昭和30(1955)年当時の阪急崇禅寺駅。
 下から2番目は、おそらくこの辺で撮影したと思われる場所からみた現在の風景。ライフ側の踏切の近くです。高架工事の真っ最中でこれ以上立ち入ることはできませんでした。焼夷弾の跡と思われる黒ずんだ「古ぼけた石垣」がかろうじて残っています。これも撤去される日は近いでしょう。
 ライフ側の踏切の正式名称は「大宮橋」。以前紹介した「飛鳥橋」とともに、「小川」に橋がかかっていたことが分かります。なぜ「大宮」なのか非常に気になります。

 その「大宮橋」の浄水場側に、柴高正門入ったところにあるコンクリート片と同じような戦跡があります。以下その説明文。

柴島浄水場壁面の空襲による弾痕
一九四五年六月七日・六月十三日・六月二十六日、東淀川区は米軍機による空襲にみまわれた。
 特に六月七日の空襲は激烈をきわめ、一トン爆弾や焼夷弾が雨あられと降りそそいだ。米軍機はさらに低空の機銃掃射を繰り返し、浄水場の崇禅寺駅側壁面に弾痕が約五十メートルにわたり残された。
 この弾痕は空襲に倒れ、傷つき、死んでいった物言わぬ多くの人々への生き証人として、私達に語りかけている。

 戦後1年経過した昭和21年の航空写真をみたことがあります。崇禅寺駅北側(中島惣社・崇禅寺あたり)には丸い穴のような爆弾跡が無数にあり(おそらく1トン爆弾)、浄水場とその淀川側の柴島地区はまったくの無傷です。その南の淀川の河川敷には、右岸(柴島地区の近く)、左岸(桜宮高校の近く)にたくさんの爆弾跡があります。
 地元の古老から「柴島浄水場はきっとアメリカが空襲するやろから、空襲があったら中島惣社に逃げようと話しあっていた」「そやけど、さすがアメリカや。占領後のことを考えて柴島浄水場はきれいに残しよったんや」と聞きました。浄水場付近では戦闘機による機銃掃射はしても、B29による焼夷弾や1トン爆弾の攻撃はなかたっということが航空写真からもわかります。

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