2015/10/21

NMB48のメンバー8名が柴高にきていたらしい  クラブ

 昨日の10月20日(火)。NMB48の5周年記念コンサートが大阪城ホールであり、その中で8名のメンバーが和太鼓を演奏をした。

 なんとその練習のため、8名が3回にわたり柴島高校に来校、和太鼓部メンバーと一緒に練習をしたという。

 詳細は和太鼓部ホームページにある活動報告のブログを見てください。

2015/10/21

アミティエ理科での発見  授業・HR

「中を見てみる」

 皆さんが普段、柿を食べて出てくる種は、円形ですよね。上の写真(以前ブログ担当者がレポートした時の写真)のような種の形がイメージに近いと思います。「お菓子の"柿の種"の形と似てないやん!」って思いませんでしたか?

 今回、アミティエ理科で果物の断面について観察していると、校内の渋柿の種が"柿の種"にそっくりなのを発見!(写真2枚目:生徒の記録、3枚目:種の写真)

 調べてみると、NHKの「考える科学」という番組で解説されていました。次回のアミティエ理科で観てみようと思います。気になる方は、番組名をネット検索すると公式サイトで観れますのでぜひ参考に。

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2015/10/21

アミティエのシンプルなポスター  学校行事・生徒会

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 職員室入口にさりげなく貼られていたポスター。「シンプル イズ ベスト」とでもいいたげなモノクロ版で、10月24日(土)朝8時30分から始まる「柴島SPIRITS」において、昨年の「ウォーターボーイズ」に続いて、「アミティーズ」9名は今年もダンスにチャレンジするようだ。しかもMJの「BEAT IT」。かっこええやんか。

 このMJの写真を選んだ担当教師は、相当な美術的センスのある方と推察する。

 昨年は大いに楽しませてもらった。今年も頑張って。みんなで応援しよう。

2015/10/21

誕生花366日  学校紹介

 校内某所で人知れずうずもれていた『植物からのメッセージ「誕生花366日」』と題するポスターを発見。某社が創立30周年を記念して特別に製作したもので、「もったいない」とばかりに最も人目につきやすい3階職員室近くの掲示板に展示した。

 さっそく見入っている生徒たち。誰が「誕生花366日」を決めたのかは知らないが、誕生日は誰もが持っているものなので、多くの生徒や先生方に興味を持ってもらえてポスターも本望だろう。

 一度自分の誕生日の花は何か、そして花言葉は何か確認してください。

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 ついでにこれまでブログで紹介した花たちの写真を撮影。

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2015/10/21

学校周辺の戦跡(2)  学校紹介

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 本校正門を出て右。目の前の飛鳥橋踏切をわたりすぐ左。当分まっすぐ自転車を走らせ、左にみえる踏切を越えて線路の南に出て、南方駅方面へ向かう。

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 ほどなく上をJR京都線が、下を阪急京都線が走る高架下に到着。地図の(A)地点。ここのレンガ積みがめちゃくちゃレトロでイケている。

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 片方のレンガ部分は完全に下半分がペンキで塗られており、「なんと無粋なことをしたのか」と怒りがこみ上げてくる。もしかしたらどうしようもない落書きがあったのかもしれない。

 明らかにレンガの高架は古く、もしかしたら明治時代のものかもしれない。その後、コンクリート部分を積み上げて、現在の高架となったに違いない。

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 その高架の南方駅側の側壁に穴ぼこが等間隔に並んでいるところがある。

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 これが10月17日のブログでも紹介したアメリカ軍による大空襲の痕跡である。「一九四五年六月七日・六月十三日・六月二十六日、東淀川区は米軍機による空襲にみまわれた」と説明文にあったように、この3回の空襲により東淀川区は壊滅的な打撃を受けた。

 B29による1トン爆弾と焼夷弾、そして一般市民や電車を狙った小型戦闘機グラマンによる低空飛行からの機銃掃射。おそらく高架下に逃げ込んだ人々を上空から機関銃で狙い撃ちしたのだろう。等間隔に弾痕跡が並んでいるのがその証拠だ。

 弾痕跡のある古ぼけたコンクリートとレンガ部分は、1945(昭和20)年6月以前のものということになる。

 その後、南にある(B)地点の高架を探ると、写真のようなプレートが設置されていた。そいつを望遠で撮影。「柴島架道橋」「着手昭和29年2月1日」「しゅん工昭和30年2月25日」とみえる。工事の完成を意味する「竣工」が「しゅん工」とあるのがかわいい。

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 今回は戦跡を紹介するのがメインなので、これ以上JR京都線の路盤がどう推移したかの探索はやめておこう。

 おそらく君たちの何人かはこの高架下を自転車で通っているだろう(C)地点にも、何か新しい発見があるかもしれない。

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