2016/1/6

中学校訪問 新しい発見  学校紹介

 年が明けていくつかの中学校を訪問した。中には自分が初めて訪問する中学校もあり、その行き帰りに新しい発見をすることがある。アトランダムに紹介しよう。

(1)某中学校の正門にあったクチナシ 「えーっ、クチナシってこんなにでかなるんか?」
 本校の自転車置き場の花壇に並んでいるクチナシと月とスッポンほどの違いがある。さぞかし梅雨明けの満開の頃、例えようのない芳(かぐわ)しき匂いで登校した生徒を迎えているのだろう。もしかしたらこの中学校のシンボルツリー的な存在なのかもしれない。

 本校のじょぼくれたクチナシを再生するためにも、ぜひ土壌改良に取り組みたい。その際、水やりや腐葉土が必需品だが、意外なところでミミズもおったらいいらしい。彼らが縦横無尽に穴を掘ることによって、土に空気が通って元気になるのだろうか。

某中学校のクチナシ 堂々とした素晴らしい姿だ 満開の時はどんな匂いを放っているのだろうか?

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本校のしょぼくれたクチナシ 芳しき匂いどころか花も咲かない せっかくラベルまでしているのに信じられない トホホ

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(2)菅原道真をまつり足の神様でもある服部天神宮。
 日本史BのFWで訪問した長岡天満宮と同じく「天神=菅原道真」をまつるが、こちらは「天神宮」が正式名称のようだ。以下公式ホームページをベースに分かりやすいように一部文章をかえた神社のプロフィール。

 昔、朝鮮を経由して日本へ渡ってきた渡来人の中で、機織りの技術を伝えた人々が「秦氏」という名前をあたえられ、「機織部」(はたおりべ)として各地に住み着いた。「服部」の地名も、このあたりに秦氏の人々が住んでいたことからできたと思われる。
 秦氏は、医薬の祖神・少彦名命(スクナビコナ)を尊崇していたので、この地にも祠(ほこら)を建てて少彦名命をまつっていた。

 秦氏がこの地に住んで数百年が過ぎ、時は901(延喜元)年の春。右大臣の菅原道真公は、無実の罪をきせられて九州太宰府へ左遷される途中、このあたりまで来て持病の脚気(かっけ)に悩まれ、足がむくんで一歩も歩くことが出来なくなった。
 その時、村人たちは、少彦名命をおまつりしてある祠にもうでて、足病の平癒(へいゆ)を祈願されるようにすすめた。

 そのかいあってか、菅原道真の足は回復して、その後無事に九州大宰府に到着することができたという。

 その後、菅原道真が「天神」としてまつられ、彼が頭脳明晰であったことから「学問の神様」としてもまつられるようになった。それに加えて、以上のようなエピソードから、「足の神様」としても有名となった。


 「天神宮」だけあって、菅原氏の家紋である「梅」のマークがある。「梅」&「牛」は「なんたら天神」「なんたら天満宮」の必須アイテムだ。

 菅原道真は平安京の自宅で梅を育てておりその花をめでるのが好きだったが、左遷されて大宰府に流されるときにその梅に送った和歌が以下のもの。

 東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな

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 1月9日・10日・11日に行われる「豊中えびす祭」の準備で大忙し。商売の神様である「えびす」と何の関係があると思うが、「服部天神宮」の中にある摂社のひとつ、豊中えびす神社のお祭りらしい。毎年有名人が来訪しており、看板には、元祖日本のエースストライカーこと釜本邦茂氏、ラジオパーソナリティーの浜村淳氏に交じって、宝塚花組の劇団員やガンバ大阪のガンバボーイ(?)も参加するとのこと。さすが「足の神様」。

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 神社を訪問した時のいつもの癖で、狛犬と灯籠の裏側を見る。本殿は近づけなかったので、摂社の一つに注目。

 狛犬には「北国屋利助」「柊屋○兵衛」、常夜燈には「文化十三年」とあり、江戸時代後半の1816年に奉納されたことが分かる。 

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 大きい道路沿いにあった服部天神宮の灯籠は、今の奈良県「大和五條」の「小倉屋儀兵衛」が、「元治元甲子年(1864)」に奉納したことが判明。

 服部天神宮から遠い遠い奈良の南部にある五條の商人が、なんでわざわざ奉納する必要があったのか。おそらく「足の神様」にすがりたい理由があったのだろう、などと想像は尽きない。奈良の五條まで行って調査したら何か分かるかもしれないが、そこまでの気力はない。

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 むむむ、このクスノキの巨木も気になったので調べてみた。

 服部天神駅は、1910(明治43)年に宝塚線が開通した時に開業。阪急でも最古の駅のひとつ。服部天神宮の境内の中に建設された駅ということで、ご神木のクスノキはそのまま残されたという。

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 下の写真は、先日ブログで紹介した社会科Y先生の秘蔵本『阪急電車駅めぐり 空から見た街と駅 神戸線の巻』(昭和55年発行)の表紙の一部を切りとったもの。明らかに戦前に発行された双六で、「梅田」と「神戸(三宮)」がふりだし、「宝塚少女歌劇」が上りになっている。「服部天神」に「武運長久」の垂れ幕が描かれているのが興味深い。

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2016/1/6

サザンカとツバキ  学校紹介

年末のブログで話題にしたサザンカとツバキの違い。ちょうど今の時期は両者が隣同士で咲いていてもおかしくない。以下の比較と写真で両者の違いを明確にしておこう。

(漢 字)サザンカ=山茶花   ツバキ=椿
(科属名)サザンカ=ツバキ科ツバキ属   ツバキ=ツバキ科ツバキ属
(開花期)サザンカ=10〜12月  ツバキ=12〜4月
(花 姿)サザンカ=平べっいたい  ツバキ=平べったくない
(落 花)サザンカ=バラバラに散る  ツバキ=首から落ちる
(葉っぱ)サザンカ<ツバキ
     サザンカ=鋸葉(細かいギザギザ) ツバキ=鋸葉
     サザンカ=楕円形で先が尖っている ツバキ=細長い
(香 り)サザンカ=あり  ツバキ=なし

サザンカ

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バラバラに散っているサザンカの花びら

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量販店で販売されていたツバキ

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本校校長室前のツバキ

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某中学校の正門前に咲いていたツバキ 真ん中の黄色いのが筒状になっているのがツバキともいえる

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このように花ごと落下する

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左の小さいのがサザンカ 右の大きいのがツバキ

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2016/1/6

くらべる柴高(15) 歓心寺 如意輪観音像  学校紹介

 今日は平安時代初期の弘仁貞観文化より大阪河内長野市の観心寺の如意輪観音像。

 仏像は「如来」「菩薩」「明王」「天部」の4つのランキングがある。

 悟りを開いてスーパーマンとなった「如来」は、邪念がないので一切余計なアクセサリーはなく、たいてい布1枚。まだ悟りを開いていない「菩薩」は、シャカの貴族時代の姿を表現しており、いろいろな装飾アクセサリーが多い。

 「観音」は「菩薩」のカテゴリーに属し、ダンスでも表現されている「千手観音(せんじゅかんのん)」や「十一面観音」など、非常にバラエティーに富んでいる。

 この如意輪観音は、当時の流行であった密教の影響を色濃く受け、これも当時の流行であった一木造(一本の太い材木から彫刻する)で色を塗っている。座高109.4cm。黒板の縦の幅が112cmだから、教卓の上に座ったらこんな感じかな。

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 「如意輪観音」は6本の腕、たて膝が特徴ゆえに、まるで不良が周囲を威圧するかのように座っているみたいだ。



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