2016/1/7

バドミントン部 年始スタートダッシュ  クラブ

 あけましておめでとうございます。本年もバドミントン部をよろしくお願いいたします。

 年始は4日のOG会に始まり、5日から7日まで強化練習でした。
 5日は1日中練習して追い込み、6日は午前ミーティングに午後から大冠高校との練習試合、7日は午前が金蘭会高校と、午後は刀根山高校におじゃまして練習試合をしました。

なんせ9日から府の大会が始まるんですもの・・・。

 でもみんな一生懸命、愚痴もこぼさず頑張っていました。頼もしい限りです。練習終わりのちょっとした差し入れでテンションが上がって笑みをこぼす部員たち。高校生らしくてかわいかったです。(笑)

 明日から学校も始まります。寒い冬も、熱い気持ちで乗りきろう!

2016/1/7

PJ研修会  学校紹介

 翌日に冬休み明け初日の授業をひかえた本日。午後よりPJ使用の説明会あり。PJを使いこなしている若い先生によって、学校のパソコンやタブレット、マイパソコン、スマホ、ブルーレイ、USBをPJにつなぐ方法や、ペンを活用して何ができるかなどの説明があった。

 視聴覚機器の有効利用は2時間連続授業が多くをしめる本校では必要で、自分が担当する日本史では説明の補足に動画や写真を使用することで生徒の印象はより深まったのではないかと思う。

 「蚕は口から糸を出して繭になるんや」「その繭から生糸をつくるねん」と何度説明するより、その動画を一度見せたらいいのである。まさに「百聞は一見にしかず」だ。

 かといって視聴覚教材が多すぎると、授業の進度がさらに遅くなってしまう。このあたりの兼ね合いは難しいが、PJが普通教室に導入された10月以降、授業に行くのが楽しくなったことは確かだ。 

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2016/1/7

フィールドワークのネタ(2) ユリカモメ  学校紹介

 フィールドワークのネタにと、某所への訪問の帰りに激写した。

 京都の鴨川で飛び交う彼らを見たことがあるが、これほどまでに「ユリカモメ」を間近で見たのは初めてかもしれない。

 冬鳥の代名詞である「ユリカモメ」、別名「都鳥」といえば、平安時代の10世紀中ごろの『伊勢物語』に登場する。主人公の在原業平(ありはらのなりひら)が、現在も東京を流れる隅田川にてよんだ歌だ。

 なぜか(理由は忘れました)平安京(=京都)から遠く遠く離れたド田舎の隅田川にやってきた稀代のプレイボーイ・在原業平が、夕暮れに「何でこんな遠いところまで来たんや」「ほんま平安京のことが思い出されてさびしいわ」「あの女は元気かなあ」とかなんとか思っていると、今まで見たこともない鳥(身体は白く嘴と足が赤い)がいる。

 「なんちゅう鳥なんや」と船頭に聞くと「都鳥」との返事。この答えにおそらく興奮気味に反応した業平がよんだのが次の歌だ。自分なりに関西弁で現代語訳したらこんな感じかな。

 「なんやて、都鳥!!??」「マジで」「都から来た鳥なんかいな」「そしたら教えてほしいねん」「あの女は元気にしているかどうかだけでも教えてくれ」

 あまりにも有名な歌なので、『伊勢物語』の文章も含めて原文を掲載しておこう。

 なほゆきゆきて、武蔵の国と下つ総の国との中に、いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。(中略)さるをりしも、白き鳥の嘴と脚と赤き、しぎの大きさなる、水の上に遊びつつ魚を食ふ。京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。渡しもりに問ひければ、「これなむ都鳥。」と言ふを聞きて、『名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと』とよめりければ、舟こぞりて泣きにけり。

 隅田川に架かる「言問橋(ことといばし)」の名前はこのエピソードからきている。また、東京湾岸を走るモノレールの愛称が「ゆりかもめ」というのも面白い。

 今や京都の鴨川に普通にいる鳥だが、京都に住みだしたのは1970年代半ばからで、それまでは文中にあるように「京には見えぬ鳥」だったそうだ。

 「自然観察と野生生物の保護」のFWでユリカモメを見たければ、大川と淀川が合流する毛馬閘門あたりが候補地のひとつだ。

 たしかに嘴(くちばし)と足が赤い。年末に紹介したアオサギと比較してこっちの方が品があってかわいいイメージ。

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 意外につぶらな瞳をしている。

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 おまけ なんとかガモもいました。目が赤いです。

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2016/1/7

くらべる柴高(16) 平等院鳳凰堂  学校紹介

 創建は1052(永承7)年。同年は、仏教ではブッダの教えがすたれる「末法」が広がるとされ、かの有名な藤原道長の息子の藤原頼通(ふじわらのよりみち)が父の別荘を寺院にあらためて平等院と名付けた。

 当時の貴族は「現世」での幸せを完全にあきらめ、「来世」には極楽へ往生(おうじょう)できることを願い、西方にあるとされた極楽浄土の主とされる阿弥陀如来(あみだにょらい)を本尊とする堂を盛んに造営した。阿弥陀如来像は有名な仏師である定朝(じょうちょう)の作品。

 「南無阿弥陀仏」(なむあみだぶつ)とは「阿弥陀仏に南無する」、つまり「阿弥陀仏にすがる」という意味。中央の鳳凰堂には本尊の阿弥陀如来像があり、写真のように扉をあけると金ぴかの阿弥陀如来像が現れる。当時の貴族はこの仏像に向かって、手を合わせて一心に念仏を唱えたのだろう。

 中央の阿弥陀堂の左右に回廊があり、それらをあわせた平等院鳳凰堂の全長は約50m。上空から見たら鳥が翼を広げているようであり、おまけに尾っぽまである。

 テニスコートが46mなのでこんな感じか。平等院鳳凰堂は10円硬貨の表面のデザインになっているが、想像以上に小さいことが分かる。

 地図の右(東)から見たら、池をはさんで西方に鳳凰堂があることが分かる。

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