2016/2/23

電信柱の謎(1)  学校紹介

 先日の「浪商(なみしょう)」のブログで、浪商が「東淀川区国次町」にあったと紹介した。「国次町」という名称は後年の町名変更でなくなってしまったことは明白で、今やその名を留めるものは何もないと思っていたが、ありました、ありました。さすがです。阪急淡路駅から梅田方面すぐの踏切です。ほんまに感動しました。

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 本校正門出て右の踏切は「飛鳥橋踏切」といい、その昔、この辺りに浄水場から小川が流れていて踏切のところに橋があった、と以前ブログでも紹介した。それと同じことで、おそらく踏切の名称は、その創設以来の名称を便宜上ずっと続けているのかもしれない。

 踏切と同じような理由で昔の地名をとどめているものに電信柱がある。一度電信柱をじっくり見てほしい。地面から3メートルあたりのところに白いプレートが固定されており、そこに電信柱の固有の名称が記されていることがある。

 さっそく検証してみた。

 柴島中学校近くのコンビニに昼食を買いに行ったついでに撮影。さてさてここの電信柱はどうなんかというと、なんと「浜町」とある。当然現在はどこをみてもない地名だ。「さっそくやないか」とひとり悦に入る。

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 体育館前の電信柱も「浜町」

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 むむむ、巨大なグリーンカーテン。何を植えているのだろうか。
 
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 その前の電信柱も「浜町」

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 ところがすぐ近くの電信柱には「浜町」に加えて「柴島」がある。

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 「春休みに時間ができたら徹底的に検証する必要があるなあ」と思いながら帰校したら、なんと本校の敷地内に電信柱があるではないか。しかも外につながっている本格的なやつ。こんなところに電信柱があったなんて。

 さっそくプレートを見てみると「水源地」とある。「浄水場」ではなく「水源地」というのが面白い。地元の古老から聞いた話で、「水源地」という表現は何度か聞いたことがある。

 「電信柱のプレートの名前は設置以来の名称を使っているんや」と確信した。今度さらに検証の範囲を広げて、そのつどブログでレポートしていきたい。

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2016/2/23

ユキヤナギ  学校紹介

 正面玄関左の花壇にあるユキヤナギが開花しそうである。以下ユキヤナギのプロフィール。いつもの[ヤサシイエンゲイ]より。

科名:バラ科
学名:Spiraea thunbergii
原産地:日本 中国
樹高:1〜2m
開花期:3月〜4月

 日本や中国に分布する落葉性の低木です。株元から枝をたくさん出してわさわさと茂ります。緩やかなアールを描きながら長くしなやかに枝垂れる枝と株を被うほど咲く白い花が特長です。

 丈夫で適応力が強く病害虫が少ない、春に咲く花がきれい、比較的場所をとらずにまとまりがよいなど利点が多く、古くから庭園や生け花に利用されてきました。今でも公園などで広く植えられており、切り花としても普及しています。

 枝が弓状に湾曲して真っ白い花を咲かせるのでユキヤナギ(雪柳)の名前があります。ヤナギのように枝が枝垂れると言うだけで、ヤナギの仲間ではありません。


 春の到来を告げる花は数多くあるが、ユキヤナギもそのひとつなのだ。

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(おまけ)本校に生息する鳩族の中に、他のオーソドックスな鳩に比べてひときわ白いのがいる。色からくるイメージなのか、他の鳩と違って何かしら気品を感じる。他のオーソドックスと一緒に移動しているので、鳩族の中でのイジメなどはないようだ。

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2016/2/23

鐘淵紡績中島工場  学校紹介

 1929(昭和4)年の地図をみると、むかし「鐘淵紡績中島工場」であった地に、現在「エバーグリーン」なる巨大マンションや、旧クレオ北大阪、東淀川区図書館が建っている。

1929(昭和4)年 地図

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[上の地図の拡大図]  skm_454e16021915540_0001.jpg

 以下『東淀川区史』(昭和31=1956年)の復刻版(昭和62年)より。

 紡績業は往昔より晒(さらし)工業殷盛の糸を引き、まさに二十二区中、事業所数・従業者数・生産額の何れを比較しても断然たる優位を示している。(中略)

 まず鐘淵紡績株式会社中島工場はその沿革特に古く明治32(1899)年12月当時の西成郡西中島村大字柴島に設立、鐘紡中島支店工場と呼ばれ、初め男工140人、女工692人運転錘数(すいすう)15,081(明治34年統計)で郡内有力の工場であったが、昭和初期に2万錘、ついで間もなく5万錘となった。

 しかし昭和17(1942)年2月大阪陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)へ貸与一時中断したが、幸い戦災をまぬがれ、21(1946)年5月復元初めて織機が据えつけられ、紡績2万錘、織機618台の綿紡績工場として再出発した。

 その後、昭和26(1951)年3月、新工場を増設同時に化繊を行い、全錘数30,368錘・織機790台となり、市内唯一の紡織一貫工場としてその偉容を示している。



紡績(ぼうせき)
○原料の繊維から糸の状態にするまでの工程。
○「紡」(紡ぐ/つむぐ)は寄り合わせること。「績」(績む/うむ)は引き伸ばすこと。
○主に綿や羊毛、麻などの短繊維を非常に長い糸にする工程をいう。

○要するに「紡績」といえば、主に「綿糸」「コットン」をつくることをいう。

○日本で最初の本格的紡績工場「大阪紡績会社」が建設されたのが明治16(1883)年7月。場所は現在の大阪市大正区三軒家東。発電機を使用して24時間操業を実施。あかあかと電灯がともり工場全体が不夜城のように浮かびあがっていたという。「大阪紡績会社」が現在の「東洋紡」となる。
○明治20年代、ここを中心に数多くの紡績・繊維会社ができ、日清戦争(明治27=1894年)から日露戦争(明治37=1904年)にかけて、大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれるにふさわしい発展をとげた。
○我らが鐘紡中島工場は、そういった時代の流れの中で建設された工場だった。

錘(すい=おもり)
○紡績に使う糸巻きのこと。当然たくさんあればあるほど事業規模が大きいことになる。
○下の写真は「大阪紡績会社」の工場内。白い筒のようなものが縦にたくさんあるが、「5万錘」とはこれが「5万」あるということ。

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 鐘淵紡績中島工場 『東淀川区史』より 残念ながらいつ中島工場が閉鎖となり、この地にマンションが建設されたのかは不明。さらに調べてみる必要がある。

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 左は東淀川図書館 真ん中に独特の段々が特徴のエバーグリーン 右は社会福祉法人メゾンリベルテ 

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 現在のエバーグリーン東淀川 1976(昭和51)年築造

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 同じ場所より撮影。数年前まで城東貨物線の老朽化した鉄橋と崩れ落ちそうな盛り土だったが、2018(平成30)年末の「おおさか東線(新大阪〜放出)」開業をめざし、真新しいコンクリートの鉄橋と盛り土に変身していた。「淡路」に新しい駅ができるそうだ。

 それにしてもその昔、淀川にかかっていた城東貨物線「赤川鉄橋」の橋の上を一度は歩きたかった。

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2016/2/23

生物部、がんばってます!!  クラブ

 町を歩いていてプランターやハンギングバスケットなどに花が美しくこんもりと咲いているのを見かけるが、その陰には土壌改良、水やり、肥料、そして花柄摘みなど、常日頃からのたえまない世話があるのである。

 そしてその世話が、すぐに「美しく」「こんもり」に直結するのがガーデニングの面白いところである。

 今日も水やり、花摘みに精を出す生物部の面々。よう頑張っとる。ありがとう。

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 心なしか「こんもり」としだしたように思いますが、どうでしょうか。

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