2016/9/16

生物部2年男子、奮闘する!!  クラブ

 本日3時間目で前期期末考査が終了。4時間目に学年集会とLHR、そして昼食後に2年生男子2人が参加して花壇の雑草抜きとペチュニア植えを行った。

 生物部が参加する前に、3年生女子2人も手伝ってくれた。さすがに雑草抜きまでは頼めなかったがアジサイ花壇全体に花苗を植えてもらった。 

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 昼食後に花壇の雑草抜きにチャレンジ。

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 彼らに言わせると、あれやこれや道具を使うより手でやった方が速かったとのこと。ご覧のようにきれいになったぞ。

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 今回の花苗は郵送された時点でかなり傷んでおり、80苗のうちこの数はあまりにひどい。一応ダメ元でメールを送る予定。

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 その後、PTA役員の方からもらったカブトムシの成虫と幼虫を裏庭に埋める。成虫はエサのゼリーを抱え込むようにしてじっとしており、明らかに動きが鈍っているので寿命も近いと思われる。

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 「生物部やったら生物部らしく、プラスティックのケースではなく、自然にかえしたろうや」「世の中のカブトムシはみんな飼育箱で育ってるわけではない」と主張する顧問に従い、コスモスが群生する校舎の裏庭に穴を掘る2人。

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 その前に幼虫の数をかぞえる2人。成虫1匹と幼虫8匹を確認した。数匹の幼虫は元気にうごめいており、「閲覧注意」であるが後日その動画をアップします。

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 結局2年生のキャプテンの提案で、成虫と幼虫の半分をプラスティックの飼育箱で、残り幼虫の半分をケースにあった腐葉土と共に地面に埋めた。

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 自然の中でカブトムシを探す場合のコツが以下の通り。

 カブトムシはどんな雑木林にもいるわけではない。クヌギやコナラの混じった広葉樹の雑木林に暮らしているんだ。スギやヒノキなどの針葉樹林はパス! まずは昼間のうちに、広葉樹の雑木林を探そう。うっそうとした山奥の森でなくても大丈夫。河川敷や広い公園などの、ちょっとした雑木林でOK。たいてい、クヌギは生えているはずだ。

 雑木林を見つけたら、クヌギの木を見つけよう。幹よりも葉で見分けるのがわかりやすいよ。細長い楕円形で、フチがギザギザしているのが特徴だ。実際に雑木林に足を運んで、葉や幹の特徴、樹形、生え方などを意識しながら見てまわれば、遠くからでも見分けられるようになるぞ。


 クヌギの葉っぱ 生徒諸君は校内でこの葉っぱを見たら教えてください。

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 ここ、コスモスの群生にチャレンジした裏庭に「クヌギ」があるのかどうかは知らない。確実にあるのは「クスノキ」。「クスノキ」は葉っぱが虫除けになるので、ここに埋めていいものかどうか不明だが、雑木林といえる場所は校内ではここが一番だ。

 さてさて来年の夏前頃、この裏庭にカブトムシがおったらマジでアメージングである。

2016/9/16

会議室  学校紹介

 本日は前期期末考査の最終日。時間割をみると、1年生は全員自分のクラスで1時間目「コミュニケーション英語T」・2時間目「ライフプランニング」・3時間目「LHR」となっているが、2・3年生の1時間目は2つの教室で実施された「観光学」しかテストがない。

 よって「観光学」を受講している60名あまり以外の2.3年生は、2時間目以降の時間割に合わせて登校する。2時間目は2・3年生ともに「科学と人間生活」。これを受講していない生徒は、3時間目に学年全員が受験する2年「現代文B1」&3年「マナトレ」に合わせて登校するのである。そして試験終了後の4時間目に、自分のHR教室にて「LHR」がある。

 例えば2年生でこんな生徒がいる。1時間目に「観光学」を受験した後、2時間目は試験がないので「自習」、3時間目は学年全員が選択している「現代文B1」を受験して、4時間目は自分のHR教室で「LHR」という具合。

 そしてこの4つが全部異なる教室で実施されるという、普通科では考えられない複雑極まりないこともあるのだ。

 外部で実施される高校説明会などで、保護者の方が「そんなこと、子供たちはできるんですか?」とたまに言われることがあるが、「なんかできてますねえ」「2年生の最初はさすがに間違う生徒もいますが、3年生はほとんどいません」「それが総合学科ですから」と答えている。

 このシステムだと、どこかの教室で試験をやっているのに、試験がない生徒が廊下や空き教室でしゃべったりということも考えられる。よって期間内考査の期間中は会議室は自習室となり、試験のない生徒が集まって次の時間のテスト勉強をしたりしている。 

 本日1時間目の会議室の風景。次の2時間目の試験に備えて自習している。

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 本来ならそういう生徒は会議室に行くべきなのだが、会議室隣の長椅子に横並びになって「最後の晩餐」のように自習している生徒たちがいた。

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2016/9/15

『OKU NO HOSOMICHI』 第15回   国語科S先生の『OKU NO HOSOMICHI』

〜A long time ago in TOHOKU far,far away(昔々、遠い遠い東北の地で(「STARWARS」?)〜

1986 OKU NO HOSOMICHI(SHOWA〜HEISEI)

国語科 副島勇夫

第15回「そもそも、なぜ『奥の細道』を歩くことになったのか」

 第15回ということで、少し振り返ってみたい。

 私は教師になった年、つまり1986年の夏に、かつて松尾芭蕉が歩いた「奥の細道」を歩こうと、東京深川の芭蕉庵跡(今は芭蕉稲荷神社になっている)を出発した。カルロス・トシキ&オメガトライブの「君は1000%」やKUWATA・BANDの「BANBANBAN」が流行り、台風が関東地方に猛威を振った暑い夏だった。

 この計画は大学時代(教員養成系の大学です)から考えていたことだったのだが、結局バイトばかりで実行に移せないまま教師になっていた。この旅を思いついたのは大学1年生で出会ったある友人の影響からだ。

 彼の名前は、あえてイニシャルで記すとIという。しかし、その名前よりも「万蔵(まんぞう)」という呼び名で知られていた男だった。彼は2浪、私は1浪で同じ大学の小学校教員を養成する学科に入学した。彼は人脈を広げるために、浪人時代から予備校や模試会場で、裏に「万蔵」と記された名刺を配り回っており、そのため浪人生の中では有名な人物だった。私も初対面の時に「万蔵や、よろしゅうな。」と名刺を渡されたが、「何やねんこいつ。俺、こんなやつと友達にならんで。」というのが第一印象だった。彼は角刈りに黒縁眼鏡、そしてピンクのトレーナーがトレードマークの、一見して独特な、そしてどこか修行僧を思わせる男だった。

 大学入学後も彼の人脈作りは盛んで、また一方で様々な行事を企画、実行していった。ハイキング、コンパ、ボーリング大会、スポーツ大会、学園祭はもちろん、梅田から和歌山までの85キロをぶつ通しで歩く徹夜ハイク。途中の数キロは親切な?暴走族に乗せられて、パトカーに追われたりのおまけつきだったが、26時間26分後に南海和歌山駅に到着した。

 あと2、3キロで着くという時に道を間違えて同じ道をひき返し、誰が間違えたかという些細なことで喧嘩になりかけ、メンバー間に険悪ムードが流れたり、11名で歩き始めたのが、夜が明ける頃から1人また1人とリタイアしていったりもした。

 夜の道を歩く中で、様々な組み合わせで話をした。時間はたっぷりある、話でもしていないと気が重くなる。家の事、将来のこと、高校時代のこと、普通の話もあればかなりヘビーな話もあった。夜という雰囲気の中で20歳の私たちは、まさに「歩くクラスミーティング」をしていたようなものだ。、これが私の歩く旅の原点だった。恩田陸の『夜のピクニック』そのものだった。(よかったら読んでください)

 その後も、彼は姫路までの100キロハイクを企画実行。大学を休学し、「日本見てくるわ。」の言葉を残し、日本一周自転車の旅に出た。数か月後、大学に戻ってくると今度は「外から見てくるわ。」と台湾へ自転車ごと移動、現地の大学の寮に潜り込み、台湾から見た日本人とはどのような存在なのか、アジアの中で日本の何が問われているのかを体感して戻ってきた。その後はインドへ渡ったが、この時は病気で送り返されてしまった。さらに、その後、中学生対象の小さな塾を経営し、当然のごとく大学は留年し、卒業後は奈良と和歌山の県境の山奥で臨時の教員を努め、次は離島で教えたいと考えていたところまでは知っているが、その後は消息不明だった。

 ところが、最近、柴島高校の某先生(この先生と私と万蔵は大学時代のバイトが同じ。誰かは内緒。)から、大阪市の小学校でちゃんと教員をし、学年代表だかなんだかをしているという情報を入手。「なあんだ、普通やん」となぜか思ってしまった。山小屋の主や仙人にでもなっていてほしかった。

 話は戻るが、私は彼の行動力にすっかり圧倒されてしまった。そして変化を求めない自分の小ささがつくづく嫌になった。彼は常々語っていた。「みんな教師になるって言うてるけど、どんな教師になりたいんや。」「日本の教育は俺に任せろとウソでも言えるヤツはおらんか。」この自信に満ちた言葉と行動力に、何となく憧れだけで教師になろうと思っていた自分が恥ずかしくなってしまった。

 そう私は「熱中時代」と「金八先生」という教師を主人公にしたドラマに影響された熱中教師ブームの時代の学生だった。そして私は彼の行動力を少しでも身につけたいと思い、旅の本を読み漁った。『深夜特急』『印度放浪』『全東洋街道』など、そしていつか自分も旅に出ようと決めたのだった。

 「お前は何すんねん」と迫られ、彼との約束で、勢いで「俺、教師になったら、夏休みの度に『奥の細道』歩くわ。」そう言ってしまったのが、この旅のきっかけだ。歩く旅、その魅力を知ったのが大学時代の彼との出会いであり、歩き始めて、次第にはまっていく自分がいた。

 結局旅は(自分も含めた)人なんだ。

 名所観光もいいが、どんな出会いがあり、何を考えるか。そのためには、電車や車は速すぎる。私が歩こうと思ったのは、多くの人に出会い、また自分を見直す時間を必要とし、そしてあくせくした時間からの解放を味わいたかったのだと思う。

 旅の初めの数年間は時計を付けず、身元を証明するものも持たず旅をしていた。もちろんその頃は携帯電話さえなかった時代だ。自分が誰なのか、それは誰も知らない。そういう状況になってみたかった。(こういうのを「若気の至り」というのだろう。その後は万一のことを考え、保険証さえ携行するようになった。結婚してからは、毎日、所在地を報告し安否確認された。)

 とにかく芭蕉の記した「風雲の中に旅寝するこそ、あやしきまで妙なる心地はせらるれ。」という心境で、この広い日本をふらふらとしてみたかったのだ。1986年夏。こうして、私は旅に出た。

 次回は、第16回「ジェイソンの恐怖、A・K牧場の決闘、八百年前の墓標」(平泉、岩手県。1989年 夏)です。

 多賀城跡にある「つぼのいしぶみ」。この中に奈良時代に造られた石碑がある。江戸時代に土の中に埋もれていたのを発見され、かの松尾芭蕉もこれを見たことが『奥の細道』でも紹介されている。

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 松島にある瑞巌寺

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2016/9/15

9月15日木曜日の風景  学校紹介

 今日の朝は夏の終わりを思わせるような爽やかさで「あーっ、ついに猛暑も終わったなあ」と感慨深かったが、いざ学校に登校してみると蒸し暑さは相変わらずだった。しかし「猛暑」という表現はもう終わってもいいかな。

 明日は前期の期末考査最終日。そして3年生学校斡旋(あっせん)就職希望者の入社試験が始まる。これまで頑張った面接練習や試験勉強は必ず報われる。

 信ぜよ、さらは救われん!! 就職試験にチャレンジする生徒諸君の健闘を祈る!!

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 超強豪校を相手に初戦敗退したが、マネージャーの前向きなコメントに感動した。これからの野球部の成長を見守りたい。みんなで野球部を応援しよう!!

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 阪急崇禅寺駅側の高架工事。屋上より淡路駅方面をのぞむ。向こうに見える高架の柱の列は2年ぐらい前に完成したもの。一気に工事が進むと期待したが、それ以外の高架の柱の列は今もなお建っていない。

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 これと同じ高架の柱の列ができるはずだが、手前にできるのか向こうにできるのかどっちだ?

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 屋上より南方駅方面をのぞむ。

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 柴島浄水場にある旧水道局記念館。1914(大正3)年から1986(昭和61)年まで大阪市の主力ポンプ場であった柴島浄水場「旧第1配水ポンプ場」を保存活用したもので、赤レンガと御影石との調和が美しい建物だ。

 琵琶湖・淀川水系の淡水魚・貝類など多くの生物の飼育&展示をしていたので、休館前は本校の授業のフィールドワークで何度か訪問したことがある。市政改革により2012(平成24)年4月より休館となっているが、できるだけ早く再開してほしいものだ。

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 重厚なトラス式の阪急千里線淀川鉄橋。

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 得体の知れない小さな花が睡蓮鉢に咲いていた。

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 毛虫の発生で立ち入り禁止になっていた「学園の森」。

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 どんな毛虫かと探してみたがこれしか発見できず。

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2016/9/14

生徒にみてほしい映画(8)  一般

 今回の作品は『ブタがいた教室』(2008/日活)。今回も年会費3900円の見放題某ネットサービスより。以下そのプロフィール。

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 ドキュメンタリーとしてテレビ放映され話題を呼んだ、大阪の小学校の新任教師による実践教育を基に映画化した感動作。1年間大切に育ててきたブタを食べるかどうかで大論争を巻き起こす子どもたちの、うそ偽りのない表情にカメラが肉迫する。『涙そうそう』の妻夫木聡が教師役に初挑戦し、子どもたちと素晴らしいコラボレーションをみせる。大切な命をどうするかという結論を自らの力で出そうとする生徒たちの姿勢が、痛いほどダイレクトに伝わり心打たれる。

 6年2組を担任することになった新米教師の星(妻夫木聡)は、食べることを前提として子ブタを飼うことをクラスの生徒たちに提案する。校長先生(原田美枝子)にも相談し、卒業までの1年間26人の生徒が子ブタの面倒を交代でみることになる。最初は戸惑っていた子どもたちも、“Pちゃん”と名付けた子ブタを次第にかわいがるようになり……


○まず最初に興味をそそられるのは「大阪の小学校」というところ。さっそくネットで調べたら、この映画のモデルは黒田恭史という新任の先生が、1990年7月から豊能町立東能勢小学校で実際に900日間にかけて行った授業を基にしているとのこと。その取り組みの詳細は、黒田恭史先生が著した『豚のPちゃんと32人の小学生 命の授業900日』(ミネルヴァ書房/2003年)に詳しい。

○映画の舞台は東京の北区赤羽であったが、できることなら、モデルとなった小学校が大阪なんやから、大阪のどこかを舞台にしてほしかったと大阪人は思うのである。

○おそらくこの映画のテーマは「食育」というところにあるが、その面でのみ鑑賞すると「?」という思いが強くなるかも。賛否両論があるだろう。

○冒頭、4月早々、新任の妻夫木先生(ややこしいので俳優の名前で表現しました)が突然教室の教卓に「ブタ」を置く。生徒たちは「かわいい」などとがやがやした後、「先生、そのブタどうすんの」と質問。妻夫木先生「このブタを先生はみんなで育てて、最後には食べようと思っています」と言い放つ。

 「えーっ」とざわつく生徒に、妻夫木先生は「人間は生きるために何が必要だと思う?」と問いかける。生徒の数々の反応の中から「食べ物」という答えが出て、妻夫木先生は「そうです、食べ物です」「人間は生きるためには食べなければいけません」「生き物を食べるということ、その命をいただているということをみんなで身体で感じてほしい」と、まさに「食育開始宣言」をするのである。

○学校を舞台とした映画を鑑賞したときに、必ずと言っていいほど「こんなこと、絶対にない」などとケチをつけたくなるのは担当者の悪い癖だが、やっぱり言わせてもらいます。

 初めて教壇に立つ新採教師が6年生を担任するなんてありえない。3年生か4年生を担任するのが超常識である。

 これを読んでいる生徒の皆さんの中に、小学校教師を目指している人がいたら覚えておいてください。

○ついでに申せば、クラスの生徒との人間関係も構築できていない、そしてクラス指導や教科指導、新人研修、同僚や保護者との関係など、なにもかもが初めての新任の4月に、生徒に相談することなく、生徒が決めたことでもないのに突然ブタを教室に連れてきて、「食育」のために「みんなで育てて、最後には食べようと思っています」とは、あまりにもすご過ぎる新人である。

○そんな破天荒な妻夫木先生に、「杓子定規」「融通のきかない」ステレオタイプで描かれている教頭の大杉蓮が渋い態度を見せるが、校長の原田美枝子が、条件付きながらもその熱意にうたれて許可を出す。映画後半では、正月にわざわざ登校してブタの世話までする優しくて人格者の校長先生なのだ。

○もしも自分が教頭だったら「今、先にせなあかんことは生徒との人間関係を築くことではありませんか」「それもせんでブタを飼って食べるとは何事か」と激怒していただろう。しかし、原田美枝子先生のそんな寛大な包容力を目の当たりにして、急に態度を変えて「頑張りなさい」と励ましていたかもしれない。とほほ。

○それほど50代後半の自分の世代にとって、原田美枝子先生は絶大なあこがれであったのだ。(?)

○「食育」という部分だけなら、妻夫木先生の破天荒な企てより、生徒の父親で料理店を営む大将が肉をさばきながら息子に言った内容の方がよっぽど重みがある。その父親を家庭科の調理実習の講師としてまねき、肉を裁きながら生徒に父親の経験談を伝えた方が効果絶大と思ったのである。

 みなさんもぜひ映画をみてこの父親の言葉を聞いてほしい。

○自分はこの映画のよさは「食育」ではなく「子供のぶつかり合い」「子供の葛藤」「子供の成長」であると思う。

○出演している生徒役の26人の演技が素晴らしい。自分たちが決めたことでも相談されたことでもないのに突然ブタを飼うはめになり、「食べようと思います」と宣言したはずの妻夫木先生に、「さて、どうする?」とか「あと卒業まで〇○日しかないよ」などと言われ、食べるか食べないかの究極の選択を迫られたときの学級会での迫真の演技は涙なくしては見れない。

○映画の監督は、大人の俳優にはセリフ付きの台本を渡していたが、生徒役26人には学級会での討論のシーンは白紙の台本であったという。映画の撮影が始まる前に、26人は養豚場や食肉センターを見学、ブタの飼育まで経験した上での台本なしのマジ撮影だったのだ。

○この議論の過程で、当初自分と異なる意見にまったく聞く耳を持たなかった生徒も、徐々に相手の意見に耳を傾け、かといって自分の意見は変わらないが、とにかく意見を聞こうとする態度の変化がいい。

○そして行き詰まった時に、打開策をみつけようとするまとめ役が出てくるところも、彼らの成長がうかがえる。

○この白熱した議論の最中、生徒を静かに見守り極力口をはさまない妻夫木先生の態度や表情もいい。「食育」に関して自分は「?」の妻夫木先生であるが、その他の面では小学6年生の生徒をひとりの人間としてリスペクトしており非常に好感がもてる。自分も見習わなアカンと反省して、できるなら最後にもう一度担任をしてみたくなった。

〇要するに、クラス内での意見の違いはあって当たり前で、それを解決するために議論や話し合いという場がある。当然、言い合いも喧嘩もあるかもしれないが、それを恐れて避けてばかりの集団は結局まとまりに欠けるのかもしれない。そういう意味で、あまりにも大きすぎる一石を投じた妻夫木先生は、大物ともいえるし、若さゆえの非常識ともいえる。

○これ以上、あれやこれやと論じたら完全な「ネタバレ」になってしまう。とにかく小学校の先生を目指している生徒がいたら、ぜひ見てほしい作品である。

(追伸1)魚や鳥を飼っている小学校はよくあるが、神戸市立妙法寺小学校は70年前に一般市民から寄付された2ヘクタールの裏山で羊2頭を飼っている。生徒のアイドル的存在で、5年生が世話をするのがきまり。「食育」という概念はないが、羊とのふれあいを通じて生き物の大切さを学んでいる。

(追伸2)この映画のロケ地は東京の北区赤羽。小学校のグラウンドにはトラックのコースが描かれており、「赤羽東小学校」で撮影された。

 すこし北に行くと「荒川」が流れており、川を渡るとそこは埼玉県で、なんと『キューポラのある街』の舞台である川口市となる。主人公ジュンが通っていた中学校のロケ地が「川口市立南中学校」。「なんちゅう偶然!!」「なんか運命的なものを感じる」と興奮しているのは、当然自分ひとりだろう。

(追伸3)ブタを探す生徒が学校正門を出て神社を走るシーンがある。神社には定番の鳥居や灯篭(とうろう)、手水舎(ちょうずや)などには、いつ作られた、なんで作られたなどの文字が刻まれている。この映画のテーマとはまったく関係がないが、どうしても自分はそこに目が行ってしまう。

 なんとその神社の灯篭に「併合記念」とあり、近くの鳥居は「昭和二年四月」の文字が刻まれている。「併合記念」とは1910(明治43)年の「韓国併合」のことだろう。そして1923(大正12)年9月の関東大震災で鳥居が倒れ、その後、氏子たちがお金を出し合って1927(昭和2)4月に鳥居が再建されたと想像される。

 また、黒ずんだ「八幡宮」という石柱が地面に埋まっているので、この神社は「○○八幡宮」というのだろう。空襲でやられたのかもしれない。近くにJRらしき電車が走っていたので、地図で確認すると間違いなく「若宮八幡宮」であることが分かった。

 次のシーンでは、境内のノボリに「武芳稲荷」(たけよしいなり)とある神社で生徒がブタを探す。伏見稲荷ほどではないが赤い鳥居がずらっと並んでいる。ネットで確認したら豊島区雑司ヶ谷(てしまくぞうしがや)の「武芳稲荷神社」であることが分かった。

 ということは、以下のような位置関係となる。

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 JR赤羽駅近くにある「赤羽東小学校」からブタが逃げて生徒が手分けして探す。「若宮八幡」まで生徒がいく。地図上で距離の計測は「Yahoo Map」がめちゃくちゃ便利。「赤羽東小学校」から「若宮八幡」まで「約1.3km」とでた。小学6年生にすればまあまあの距離である。

 一方、「赤羽東小学校」から「武芳稲荷」まで探しに行ったグループもあった。計測すると「約6km」もある。かなりの距離で柴島高校から梅田よりも遠い。「武芳稲荷」へ行った小学6年生のグループは、オリンピック選手並みの走力と持久力があるということか。さすがのブタもそこまではいかんやろ。


 ネットの発達により、鳥になったような気分で地図を自在に操作できるのが社会科教師として本当にうれしい。そのおかげで上記のような馬鹿げた妄想も可能となった。

 「若宮八幡」だけでなく、わざわざ6km離れた「武芳稲荷神社」もロケ地に選んだのは、監督の思い出の場所なのかもしれない。

2016/9/13

就職試験本番迫る!!  進路

 今年の高校生就職試験本番は9月16日(金)ぐらいから本格的に始まる。

 9月16日(金)は前期の期末考査最終日。就職試験を受ける3年生にとっては、試験の勉強もせなあかんは、就職試験の準備もせなあかんはで大変とは思うが、就職した先輩の誰もが乗り越えてきた道なので必ずできるはずだ。

 今日は3年生必修科目である現代社会の試験があったが、午後より面接練習で頑張っている3年生。本校では毎年30人前後の就職希望者(学校斡旋)がいる。この時期、写真のような面接練習が校内各所で行われている。

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 就職試験にチャレンジする生徒の皆さん、しっかり頑張ってほしい。

 教職員&全校生徒&柴島高校に咲く花たち&睡蓮鉢のメダカも応援しているぞ。

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(追記)大雨が降った後、写真のように睡蓮鉢の水面はあふれんばかりのキレキレになるが、不思議なことにメダカが鉢の周囲で干からびているのを見たことはない。きっと彼らは本能的にやばいなあと感じたとき、水面から深いところに移動するのではないかと思う。生命とは不思議だ。

2016/9/13

社会科、ワイヤレスポータブル拡声器を購入す!!  授業・HR

 本校は総合学科であり普通科にはない科目がたくさんある。パンフレットの科目を紹介したページをみてもらっても分かるように、今まで聞いたこともないような名前のオンパレードだ。

 自分は社会科教師なので社会科的な科目でいえば、「災害と安全を考える」「地域社会論」「観光学」「なにわ学」「メディアリテラシー」「社会生活と法律」「文化人類学入門」「世界の人権」「ワールドスタディーズ」「ジャパンスタディーズ」などがそれにあたる。

 これらの科目は教科書がない。しかも2時間連続授業で、半期1単位(週2時間授業)や半期2単位(週4時間授業)のいずれかだ。

 「教科書なし」「2時間連続授業」ということで、普通に考えれば我々の講義だけで授業するのは我々も生徒もかなりつらいものがある。

 よって「観光学」のように「アクティブラーニング」の一環として「フィールドワーク」を取り入れ、生徒の興味関心を引き出そうとしている科目も多い。

 「フィールドワーク」を実施するにあたり社会科的科目の場合、たいてい昼休みに正門に集合して午後からの5・6時間目を利用して各所を訪問する。現地解散ゆえに、参加生徒はHR教室で行われる終礼は欠席(出席扱いだが)する。

 今年度前期「観光学」では、4月JR新大阪駅、5月梅田第3ビル、6月京都、9月大阪城へ行った。昨年度は前期に祇園祭、後期に箕面の紅葉狩りなどが加わった。

 その際、30人前後の生徒を引率してあれやこれやの指示&説明をするのだが、周囲の喧騒に阻まれてなかなかその内容が行き渡らないことがあり、かといって一般市民が行き交う場所で大声を張り上げることもはばかられる。

 よくあるラッパ型の拡声器を持ち歩くのも邪魔くさい。なにかいいものはないかと探していたところ、一気にすべてを解決してくれるスグレモノが見つかった。

 「ワイヤレスポータブル拡声器」

○屋外での使用目安として30人程度、屋内の比較的静かな環境では50人〜60人程度への案内が可能。
○ワイヤレスのインカムとスピーカーは、最大20m離れていてもOK。
○スピーカーは10W。充電式で連続使用8時間までOK。
○インカム付きの送信機は、連続使用5〜6時間。

 例えば30人前後の生徒を引率する際、自分がインカムをつけて説明する。両手があいてベリーグッド。最後尾の教師もしくは生徒にスピーカーをもってもらうと、自分の説明が間延びした列の全体に行き渡るという仕組みだ。

 普通の授業でも、教室の最後尾にスピーカーを置いておけば声を張り上げる必要もなくなる。

 社会科で2個も購入しました。興味のある先生、使用したい先生は社会科主任までよろしく。

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2016/9/12

MIKADO  授業・HR

 この夏休み、フランスにて研鑽を積んだ同僚が、授業に役に立つかもしれないグッズを買ってきてくれた。右はフランス、左はトランジットで立ち寄ったベトナムで購入してくれたもの。

 ともにポッキータイプのお菓子だが、フランスのは「GLICO」と明記されており商品名は「MIKADO」。「FUJIYAMA」や「HARAKIRI」の類で日本のイメージ「帝(みかど)=天皇」を商品名にしたんやな、えらい直球的な名前の付け方やな、と思ったが、よくよく調べてみると、細い竹の棒を使って遊ぶヨーロッパのボードゲーム「MIKADO」から来ているとのこと。

 ところが、「すぐに頭によぎった考えがそのまま真実として自分の記憶に残るところだった」「調べてみてよかった」と思っていたら、なんとそのゲーム自体の名前の由来が日本の「帝」であるらしい。「竹」→「日本」→「帝」となって「MIKADO」となったのかもしれない。このへん、また調べてみる必要がある。

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 フランス語とイタリア語が併記されていた。イタリアでも販売されているのか?

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 一方の「Gap」はタイ製で、なんとイスラム教徒も食べることができますよと「ハラル」認証のマークが付いているではないか。タイに住んでいるイスラム教徒の組織が、この商品は「ハラル」であると証明したものだ。

 イスラム教の決まりでは、豚や飲酒を禁止している。消毒用のアルコールもだめだ。「ハラル」はアラビア語で「許されている」という意味。このマークは、その国のイスラム教組織が「この商品はハラルである」と認めたと証明するもの。

 おそらくタイ製の「Gap」は、同じ東南アジアで世界最大のイスラム教の国であるインドネシアやマレーシアなどにも輸出されているのだろう。

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 お土産のお菓子のパッケージをみただけで、いろいろなことが分かるのだ。

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2016/9/12

この雑草、イケてるやん!!  学校紹介

 最近ブログで何度か登場している「1個120円ペチュニア」。先週金曜日に80個の苗を花壇手前の空きスペースに植えたが、1つを除いてなんとかみんな頑張っている。

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 唯一やる気なし状態がこれ。ここだけ特別に日差しがきついということもないし、水はけや土壌が悪いわけでもない。なぜこれだけなんだろうか。

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 ガーデニングをやり始めてから分かったことだが、大量に苗を購入したとき、必ずひとつぐらいは「不適応」なのがいる。「120円」で「80苗」に「1苗」ぐらいならよしとすべきか。

 種もたくさんまいてすべてが育つわけではない。生命とは不思議だ。

 「生命とは不思議」ついでに、校内某所にて繁殖する雑草の黄色い花がイケてるのでびっくり。背が高いのが欠点で「ロウバイ」ほどの透明感はないが、誰も見向きもしない名も知らぬ雑草の割に気品があって美しい。

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2016/9/12

重要連絡 中学生の皆さんへ  学校紹介

中学生の皆さんへ

★中学生向け説明会プリントPDF 20160628rwqz.pdf 

★10月22日(土)の文化祭は、中学校の制服と生徒手帳を受付で提示すれば入場できます。事前申込やチケットは不要です。同伴の保護者の方および小学生6年までの弟妹さんも受付で手続きをしてもらって一緒に入場できます。ただし、高校生以上の兄姉は同伴の対象とはなりませんので、入場できません。よろしくお願いします。(2016/09/16)

★12月10日(土)第2回のオープンスクールの申し込みは、[中学生の皆さんへ]に掲載しています。申し込みフォームから、メールを使って、FAXで、の3つの申込方法があります。ぜひご覧ください。

■12月10日(土)府内全中学校対象 第2回オープンスクール

■1月14日(土)説明見学会


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2016/9/12

重要連絡 在校生の皆さんへ  学校紹介

在校生の皆さんへ

★電車内や公共の場などでは周囲の人に気を使うことができる若者になろう!!

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○特にデイバッグやギターなどの楽器を背負っている生徒は、満員電車の中では下して足元におくなどのマナーが大切と思うがどうだろうか。背中にもうひとりの自分を背負っているぐらい、満員電車のスペースを占領していることを忘れてはならない。

○また、修学旅行や合宿でキャリーバッグを使用する生徒は、身体の横においてガラガラすることがマナーでもあり安全でもある。

○阪急電車&メトロ文化財団の許可を得て、阪急電車と東京メトロのポスターを掲載しておきます。

2016/9/12

重要連絡 保護者の皆様へ  PTA

保護者の皆様へ

○お子様の部活動の試合などで他校を訪問する時は、公共の交通機関などを利用してください。クルマやバイクでの訪問は相手校の迷惑になりますので絶対にやめてください。校内で事故などがおこると大変なことになります。「どうしても」という場合は、近隣の有料駐車場をご利用ください。

 また、正門付近での喫煙も絶対にやめてください。試合会場となる相手校に対するリスペクトをもって、精一杯お子様の応援をしてほしいと思います。

○2016(平成28)年度のPTA活動予定をホームページにアップしました。トップページの「在校生・保護者の皆さんへ」→「保護者の方へ・PTA活動予定」をご覧ください。

○PTAに加入しておられる会員の皆様へ。「保護者の方へ」のページにて、PTA会費より年間300円で自動的に加入してもらっている「全国高P連賠償責任補償制度」のホームページとリンクしました。詳細はホームページをご覧ください。

○入学式、体育祭、文化祭、卒業式などの学校行事日、また部活動の試合などにおいて、お車で来校されるのはご遠慮ください。
○正門すぐ近くに踏切があり、正門前の道は淀川キリスト教病院への緊急車両のルートであること、路線バスが通ることなどから、一時停車も極力控えてください。
○お子様のケガや通院などでやむを得ない場合は、事前に担任などにご連絡していただき、正門前の道での一時停車ではなく、正門から入って校内に停車してください。
○また、お隣の淀川キリスト教病院駐車場に駐車するのは、病院の利用者の迷惑になりますのでやめてください。

2016/9/12

生徒にみてほしい映画(7)その2  一般

(3)吉永小百合 1945(昭和20)年3月13日〜

○『キューポラのある街』で中学3年生のジュンを演じた女優。当時17歳の高校2年生。

○彼女が生まれる3日前の3月10日、アメリカ軍による東京大空襲があり約10万人の死者が出た。東京都出身なので、物資も不足している大変な時に生まれたことになる。

○『キューポラのある街』が撮影&公開された1962(昭和37)年、橋幸夫とデュエットで歌った『いつでも夢を』が大ヒットするなど歌手としても活躍した。

○1960年代の彼女の絶大なる人気は現在の誰にも例えようがないほどで、テレビゲームもスマホもパソコンもなかった時代、数少ない娯楽のひとつの映画にさっそうと登場した清純派の美人女優に当時の若者は夢中になった。

○彼女が演じたジュンと同じく、彼女自身も成績優秀で、多忙を極める芸能生活の中、大学検定を経て早稲田大学第二文学部に合格している。そして正規の4年間で優秀な成績で卒業した。

○彼女のファンのことを特別に「サユリスト」と呼び、同時期に早稲田大学第二文学部でまなんだタモリもそのひとり。特に「団塊の世代」の大半の男性は「サユリスト」だったと言っても過言ではない。

○そんな彼女だったが1973(昭和48)年、15歳年上のテレビ局ディレクターと電撃結婚する。世にあまた存在した「サユリスト」の喪失感は、最近の「福山ロス」とは比較できないほどで、当時中学2年生だった担当者は、授業開始早々、なぜ自分は「サユリスト」になったか、どこに憧れたか、結婚してめちゃくちゃショックである、しかも15歳年上の男性と結婚するなんて、などと延々しゃべりまくった「団塊の世代」の新任教師を今でも覚えている。

○生徒諸君には、シャープ液晶テレビ「アクオス」のCMに着物で出ていた、広島で原爆詩の朗読をボランティアでやっている、嵐の二宮某と『母と暮らせば』で共演した、あの優しそうなおばさんといった方がいいかもしれない。

○最近は女優業のかたわら、脱原発などの活動もしているようだ。

(4)北朝鮮への帰還事業

○1945(昭和20)年8月15日は、日本にとっては終戦記念日だが、朝鮮半島の人々にとっては独立を回復した日でもある。

○1910(明治43)年、日本は韓国併合で朝鮮半島を植民地として朝鮮総督府をおいた。総督府は朝鮮半島で土地調査事業をすすめ、持ち主のいない共有地や持ち主の申告のない土地を日本の国有地とした。このため、土地を失い、日本に移住する農民が続出した。(日本史B教科書:清水書院より)

○現在、大阪市生野区にはコリアンタウンがあり韓国料理の店などが軒を連ねているが、その始まりは、大正から昭和にかけて、南北に流れる「平野運河(=平野川分水路)」が開削され、その工事に多くの朝鮮半島から来日した労働者が参加、その後、この地に定住したことによる。

○また、戦争中の1943(昭和18)年より、労働力不足の深刻な鉱山や土木建築業では、多数の朝鮮人に加え、占領地域の中国人も強制連行し、酷使した。(日本史B教科書:清水書院より)

○以上に加え、戦後に朝鮮半島に帰っても仕事がない、1948(昭和23)年に済州島(チェジュド)でおこった韓国政府による虐殺事件や1950(昭和25)年の朝鮮戦争の混乱から逃れるため、数多くの在日コリアンが日本に住んでいた。済州島と大阪が定期航路で結ばれていたことから、大阪に住む在日コリアンは済州島がルーツという人が多い。

○1953(昭和28)年の朝鮮戦争の休戦後、しばらくすると、今と違って「南」よりも「北」の方が発展がめざましく、「社会主義」による「地上の楽園」が建設されつつあると報道されていた。「南」の政治は軍隊が握った軍事政権で、「北」と比べてなにかと評判が悪かった。

○そんな中、高度経済成長の恩恵にあずかれた在日コリアンはほとんどおらず、日本での民族差別もあって、子供の教育や自分の将来を考えたとき、日本を離れて「北」へ帰ろうとする在日コリアンがいた。

○「北朝鮮への帰還事業」とは、1950年代から1984年にかけて、在日コリアンとその家族(日本人妻も含む)が「北」へ集団移住したことをいう。その間、93340人が帰還したとされ、そのうちの6839人は日本人妻などの日本国籍であった。帰国船の費用は「北」が持ち、新潟港から船で北朝鮮を目指した。

○「北」は「地上の楽園」と期待したが、大半の帰還者は期待を裏切られた。「北」に帰還した9万人以上のうち、消息が分かっている人はほとんどいない。


○『キューポラのある街』では、ジュンと一緒にパチンコ屋でアルバイトしている女子生徒と、ジュンの弟タカユキの遊び仲間で子分であるテツハルが、在日コリアンとして登場する。2人は姉弟であり、朝鮮人の父親とともに、川口駅前でジュンや担任らの見送りを受けて北朝鮮に帰還する。現在90歳の「菅井きん」が演じる離婚した日本人の母は、「北」には行かず駅前でそっと子供たちを見送る。

○93340人が帰還したということだから、映画で描かれた川口駅前のような別れのシーンが日本の各所で見られた。北朝鮮への帰還に関しては、京都を舞台に日本の男子高校生と朝鮮人学校の女子高校生(沢尻エリカ)の交流を描いた『パッチギ』でも取り上げられている。

○『キューポラのある街』では「北朝鮮への帰還事業」のことを肯定的に表現しているとして、この映画を批判する人もいる。

2016/9/11

生徒にみてほしい映画(7)その1   一般

 今年1月3日以来、久々の「生徒にみてほしい映画」シリーズ。第7弾は『キューポラのある街』(1962/松竹)。

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 以下そのあらすじ。[all cinema]より。

 鋳物の町として有名な埼玉県川口市。

 この街にはキューポラという煙突が立ち並ぶ。昔カタギの職人の町にも時代の波が押し寄せる。旧来型の鋳物職人であるジュンの父は、働いていた工場が大工場に買収されたことからクビになってしまう。

 困窮に苦しむ一家だったが、ジュンはそんな境遇の中でも、自分の進路について一生懸命考え、パチンコ屋でバイトしながらも高校進学の学費を稼ごうとがんばる……。吉永小百合主演で、高度経済成長期の庶民の暮らしを温かなまなざしで描いた青春ドラマ。


 最近のブログで「団塊の世代」についてあれこれ書いた。「団塊の世代」とは、戦後間もない1947(昭和22)年、1948年、1949年の3年間に生まれた世代をさし、1年間で260万人以上の赤ちゃんが生まれたので「第1次ベビーブーマー」とも呼ばれる。今年度、67歳、68歳、69歳となる皆さんで日本の人口ピラミッドで一番人口が多い。というより、今後20年ぐらいは日本で一番人口の多い世代であり続けるだろう。

 生徒の中には祖父母が「団塊の世代」である場合もあり、また、将来生徒がいろいろな職業に就いたとき、この世代のことを理解するとしないとでは、仕事をする上で大きな違いが生じることもあるはずだ。なぜなら「団塊の世代」は今もなお日本の消費活動の中心を担っているし、近い将来、看護や介護の現場では「団塊の世代」が大半を占めることも予想されるからだ。

 その「団塊の世代」を理解するのに、めちゃくちゃ適した映画が『キューポラのある街』なのだ。

 それでは映画のどんなところに注目してほしいか箇条書きしてみよう。興味がわいた人は、レンタルするもよし、入会すれば映画が見放題のネットサービスを利用するのもよし。現に担当者は、年会費3900円で某サイトに入会しており、この映画を布団の中で寝転がりながらタブレットで鑑賞したのである。

(1)映画製作と公開が1962(昭和37)年。東京オリンピックの2年前。

○当然カラーではなくモノクロ映画。現在、CGを駆使した『シン・ゴジラ』ちゅうのが大ヒットしているらしいが、シリーズ第1作『ゴジラ』(1954)はモノクロであった。

○吉永小百合が演じる主人公ジュンは中学校3年生。1962年の公開時に15歳という設定なので、まさにジュンは1947(昭和22)年生まれの「団塊の世代」である。生徒の祖父母が中学生の頃の都会の風景が、埼玉県の川口市を舞台にあますところなく描かれている。ちなみに撮影当時の吉永小百合は高校2年生の17歳ぐらい。

○ジュンの家庭は父親が鋳物(いもの)職人。仕事中に足を怪我して身体が不自由。職人気質(かたぎ)の頑固者で、男尊女卑的な思考回路、おまけに酒飲みときている。野球アニメの名作『巨人の星』のオヤジと似ているが、残念ながら「ちゃぶ台返し」のシーンはない。

○かたやジュンと小学6年生の弟タカユキは、戦後の民主主義教育を学校で学んでいる。親子の間で「職業」や「進学」、「男女」に関する認識の違いが原因で、口論するシーンがある。

○ジュンの親父が酒を飲みながら気持ちよさそうに「都都逸(どどいつ)」を唸っているシーンがある。「都都逸(どどいつ)」とまではいかないが、「団塊の世代」の保護者の世代、つまり現在90歳以上の人にとって、歌といえば戦争中の「軍歌」や「唱歌」、シャレた人ならクラシックやシャンソン、そして戦後の「演歌」などが定番だろう。

 そんな保護者をもつ「団塊の世代」は、占領軍が持ち込んだアメリカの音楽や「ビートルズ」「ローリング・ストーンズ」「ボブ・デュラン」などに目覚めて、日本文化史上初めて「ロック」や「フォーク」に夢中になった世代でもある。

 例えば、グループサウンズの代表格である「ザ・タイガース」の「沢田研二(ジュリー)」
や『心の旅』などのヒット曲のある「チューリップ」の「財津和夫」は1948(昭和23)年、『神田川』で有名な「かぐや姫」の「南こうせつ」は1949(昭和24)年生まれの「団塊の世代」である。

 ということはどういうことが想像されるか。そんな「ロック」や「フォーク」に傾倒する子供のことを、戦前派&戦中派の保護者はなかなか理解できなかっただろう。単なるやかましい不良の音楽、エレキギターは不良、男が長髪するなんて許せん、などと文句を言う保護者と「団塊の世代」は日々戦ってきたと思われる。

 その「団塊の世代」が結婚して子供を授かり、その子供が成長して「ユーミン」や「サザン」、「チェッカーズ」や「おにゃん子クラブ」などのヒット曲に夢中になっても、さほど抵抗なく受け入れられたはずだ。

 「団塊の世代」は、保護者とのジェネレーションギャップに最も苦しんだ世代であったかもしれない。

○親父は就職したり失業したりを繰り返しているので、ジュンの家庭はかなり経済的に苦しい。路地が舗装もされていない木造の老朽化した狭い長屋に住んでいるが、そんな風景は都会のそこかしこにあった。ジュンとタカユキは自分の部屋などあるはずもなく、帰宅後、家族が食事をする部屋で2人が着替えるシーンがある。

○ジュンは成績優秀。高校進学の資金を貯金すべく、親や学校に隠れてパチンコ屋で在日コリアンの同級生と一緒にアルバイトをしている。現在ならば労働基準法などの違反で、雇用したパチンコ屋は罰せられていただろう。

○中学校は木造校舎。基本的にこの時代の学校はどこも木造で、コンクリートの方が珍しい。床も長い平板を敷いたもので、「油引き」の独特匂いが教室中に充満していた。「フローリング」のようなシャレたものではなく、歩くとミシミシと音がした。1960年代半ばごろからコンクリート建築に立て替わり、今やその校舎も築50年に近づこうとしている。

○さすがに映画では「便所」のシーンはないが、洋式トイレや水洗などあるはずもなく、いわゆる「くみ取り式」で、現在の学校のトイレとは比べものにならないほど悪臭が漂っていた。

○教室でのシーン。とにかく生徒数が多く教室が狭く感じる。ざっと数えても50人ぐらいは在籍している。

○ちなみに日本でも有数のマンモス校として有名だったのが、大阪市阿倍野区の文の里(ふみのさと)中学校。1962(昭和37)年に全校生徒3700人、1学年26クラスというネット情報もある。グラス替えのとき、「何組になった?」「俺、1組」「ほんまか、俺、24組や」なんて会話が普通に交わされていたのだろう。

○ジュンはソフトボール部に所属。投手の投球フォームが今より単純であるのが興味深い。

○ジュンの担任は生徒思いの熱血漢。ジュンが修学旅行に行けるように、公的な資金援助の世話もした。しかし、職員室では平気でタバコを吸いながらジュンと面談している。「嫌煙」「分煙」「禁煙」という概念のない時代の映画は、このようにひっきりなしにタバコを吸うシーンが出てくる。

(2)1954(昭和29)〜1973(昭和48) 高度経済成長時代

関係年表

1945(昭和20) 日中戦争&太平洋戦争おわる アメリカなど連合軍が日本を占領

○日本は戦後の混乱の中で、戦後復興期が始まる。

○世界では、「日本・ドイツ・イタリア」という共通の敵がいなくなった「アメリカ」と「ソ連」の二大親分の対立が始まる。これを「東西冷戦」という。

1947(昭和22)〜1949(昭和24) 「団塊の世代」が誕生

1949(昭和24) 「東西冷戦」により朝鮮半島が南北に分断される。


 南「大韓民国=アメリカ側=西側=資本主義」
 北「朝鮮民主主義人民共和国=ソ連側=東側=社会主義」

1950(昭和25) 朝鮮戦争はじまる → 日本は朝鮮特需

○朝鮮民族どうしの戦争。「南」にアメリカ、「北」に中国が参戦。ソ連は「北」を援助。
○休戦までの3年間、アメリカは日本に物資やサービスを大量に注文する。例えば、兵器の修理や軍服、軍靴、クスリ、包帯などなど。
○「戦争による特別な需要=特需」により、日本の景気はV字回復。

1953(昭和28) 日本の経済が戦争前の状態に回復。

1954(昭和29)〜1973(昭和48) 高度経済成長時代


○19年間にも及び、日本経済は年平均10%の成長を続ける。

1956(昭和31) 経済白書で「もはや戦後でない」 流行語となる。

1960(昭和35) 池田内閣 所得倍増計画


○要するに「日本の景気をよくして10年後には所得を倍増して国民の皆さんの生活を豊かにします」と宣言した。実際、10年後には日本一人当たりの消費支出は2.3倍になった。

1964(昭和39) 東海道新幹線&名神高速道路が開通 東京オリンピック開幕

○学校近くのJR新大阪駅はこの年に開業。
○敗戦の焼け跡から奇跡の復興を成し遂げた日本の姿を世界にアピールできた。

1970(昭和45) 大阪・千里で万国博覧会

○現在の「太陽の塔」を中心とした万博公園が会場。6か月で6000万人が入場。人気のアメリカ館やソ連館は長蛇の列で3時間待ちなど当たり前。
○担当者は小学校の遠足も含めて6回訪問した。
○最寄りの駅は「千里中央」「北千里」や「JR茨木」。万博をきっかけに大阪南部からの交通の便を考えて、「天六」止まりだった阪急千里線が地下鉄の堺筋線とつながった。

1973(昭和48) 第4次中東戦争 オイルショック 高度経済成長おわる

○「第4次中東戦争」は「イスラエル=ユダヤ人=ユダヤ教」と「周辺アラブ諸国=アラブ人=イスラム教」の戦争のこと。

○日本は石油のほとんどを輸入に頼っており、中東の「アラブ諸国」(サウジアラビア、UAE、イラクなど)から大量に輸入していた。その「アラブ諸国」は「イスラエルを支援する国に対して石油を値上げする」と宣言。

○「イスラエル」の最大の支援国は「アメリカ」。日本は「イスラエル」を直接支援したことはなかったが、アメリカ側なので「支援国」とみなされ、輸入する石油の価格が上昇した。

○よって日本の物価は上昇してインフレとなり「狂乱物価」という言葉が生まれた。政府はインフレを抑えるため公定歩合を上げて、企業は設備投資をおさえる。

○1974(昭和49)年の経済成長率は「−1.2%」という戦後初めてのマイナス成長となり、「高度経済成長時代」は終わりを告げた。


 めちゃくちゃ長い関係年表だったが、映画ではこれに関してどんなシーンがあったか。

○ジュンの弟タカユキがお小遣いか何かを上げてくれと、「所得倍増」と何回か訴えるシーンがある。映画の2年前に池田内閣が「所得倍増計画」をぶちあげたのだから、当時の小学生がその言葉を知っていて当然か。

○とにかく成長しまくっていた「イケイケドンドン」の雰囲気の中、今のように「環境」とか「景観」「建物保存」などの概念はない。町には子供や若者があふれかえり、大人も働いたら給料が上がるのでギラギラした目をしていた時代だ。10年ぐらいまでの中国、現在の東南アジアなどは、こんな感じなのかなと思う。

○よって、映画で何度も出てくる川や水路は、経済活動最優先で埋め立てられたり、蓋(ふた)をかぶせて暗渠(あんきょ)となって、道路に姿を変えた。大阪市内には橋がないのに「心斎橋」とか「四ツ橋」いう地名があるが、現在の長堀通には「長堀川」が流れていたが、1960年に埋め立てが始まり1971年に埋め立てが完了、橋はなくなり地名として残った。

○徐々にトラックや自家用車などクルマの数も増えるので、高速道路や線路をまたぐ道路が必要となる。東京オリンピックに開催にあわせて、東京では川や運河の上に高速道路が建設された。現在、その高速道路の老朽化が大問題となっている。

○映画のラストでジュンとタカユキがJR(当時は国鉄)をまたぐ橋を走るが、いかにも真新しい立派な橋である。

○「環境」という概念がないので、大気汚染や水質汚染などの「公害」が1970年代に激しくなる。映画でも川岸がゴミで汚染された水路が登場する。

○国民の生活が豊かになるにつれて、テレビを購入する家庭も増えてくる。ジュンの家は貧しいのでテレビはないが、お隣には「白黒テレビ」がありジュンの弟たちが相撲を見ているシーンがある。

○当時の白黒テレビがいかに重宝されていたかは、吉岡秀隆や堀北真希が出演していた『ALWAYS 三丁目の夕日』が詳しい。

○それでもまだまだ貧しい家庭が多く、高校進学をあきらめて就職したり、就職しながら定時制高校に通う生徒も多くいた。現在、高校進学率は男女合わせて「96.5%」だが、「団塊の世代」が高校に進学する1962(昭和37)年は男女合わせて「64%」で、男子より女子の方が2%ぐらい低い。

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○ネタバレになってしまうが、おそらくジュンは大企業の勤務時間にあわせた「隔週定時制」などの高校に進学したと思われる。大阪府では現在総合学科となっている「貝塚高等学校」が有名で、学校周辺にあった紡績工場で働く工員(主に女子)が、交代勤務などにあわせて通学していたが、その数も年々減少して2006年に廃止されている。

○成績優秀なジュンが、第1志望の高校を訪問して正門前でたたずむシーンがある。映画では「埼玉県立第一高等学校」とあるが、モデルとなり映画でも登場する高校は「埼玉県立浦和第一女子高等学校」のことで、なんと埼玉県では県立の女子校がいまだに存在しているのである。さらに浦和市(現在はさいたま市)には「埼玉県立浦和高等学校」という男子校もあり、ともに受験雑誌などで難関校としてよく登場する伝統校である。

○そういえば、2003(平成)年に大ヒットした森山直太朗『さくら』で、合唱のコーラスを担当したのが「宮城県立第三女子高等学校」であったことを思い出した。調べてみると2010年に共学化され「宮城県立三桜(さんおう)高等学校」と改名されたが、共学化するにあたり在校生と卒業生から大反対があったという。

○大阪府で長年勤務してきた者として「公立は男女共学」が当然と思っていたが、どうやら関東以北とはその点に関しては文化が異なるようである。日本は狭いようで広いのだ。

以下次号

2016/9/10

廉価版ペチュニア、頑張ってます!!  学校紹介

 昨日の夕刻に撮影。廉価版ペチュニアではあるが、斜めから差し込む陽光に透かされたときの美しさは得も言われぬものがある。

 先日ブログで紹介したアニメ映画『君の名は。』が大ヒットしている。話の内容もさることながら、ジブリに優るとも劣らぬ映像の美しさが際立っているという。特に木漏れ日など光の表現にこだわりがあり、新海誠氏の才能が100%発揮された作品とのこと。

 夏が終わり秋となって日没が徐々に早まるが、生徒諸君がロッカー室から正門に向かって歩くとき、少しでもいいから陽光に透かされたペチュニアの花と繊毛が白く輝いている茎や葉っぱに注目してほしい。

 1苗120円の廉価版ペチュニア、結構キレイですよ。

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これは正門左右にあるサンビーナス。ニチニチソウをサントリーフラワーズが品種改良したもので、正門の裏から撮影してみた。

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