2016/9/7

9月7日水曜日 朝の風景  クラブ

 早朝より野球部とソフトボール部の朝練を撮影。そこに体育館に行く前にランニングする女子バスケットボール部も加わって、元気な声が淀キリにはねかえってこだまする。

 台風が近づいているらしが、今朝の空はそんなことも感じさせない爽やかな雲が広がっていた。

 明後日9月9日金曜日より全校一斉の前期の期末考査(期間内考査)が始まる。すでに先週の9月2日金曜日より前期の期末考査(期間外考査)は始まっているが、この(期間外考査)(期間内考査)の別が他校ではなかなかないだろう。

 要するに科目数が多いので単独講座(大半は2時間連続授業)で試験をする科目は、できるだけ(期間外考査)で実施する。隣は試験をしているがこっちは授業をしている、(期間外考査)なのに生徒によっては1日に3科目も考査がある、(期間外)の方が(期間内)より受験科目数が多い生徒もいる、などなど。

 このように本人がしっかり自分の授業の時間割や考査の時間割をしっかり把握しておかねばあかんというのが本校であり、3年生ともなればミスをする生徒はほとんどいないが、2年生前期ぐらいにはミスをする生徒がちらほらいる。 

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2016/9/7

『OKU NO HOSOMICHI』 第14回  国語科S先生の『OKU NO HOSOMICHI』

〜A long time ago in TOHOKU far,far away(昔々、遠い遠い東北の地で(「STARWARS」?)〜

1986OKU NO HOSOMICHI(SHOWA〜HEISEI)

国語科 副島勇夫

第14回「仙台のからくり時計・国宝ののりピー」(仙台・松島、宮城県。1988年夏)

 「松島や ああ松島や 松島や」という句は松尾芭蕉の作品だというのはウソである。

 確かに芭蕉は「奥の細道」の旅の中で、この松島を最大の目的地の一つと考えていた。「松島の月まづ心にかかりて」という表現にもそれが読み取れる。また「松島は扶桑第一の好風にして、およし洞庭。西湖を恥ず。」という讃辞にも松島を訪れた芭蕉の感動の深さが感じられる。しかし、その感動のあまり句成らず、というのは後世の作り話だ。

 芭蕉がそうしたように塩竃(しおがま)港から船に乗り、船上から松島を見ようと考えた。ここまで歩き続けた旅だから、交通機関を利用することに多少のうしろめたさもあったが、芭蕉がそうしているのだから仕方がない。そう割り切って乗った松島行きの遊覧船だったが、それが船首が竜の顔になっている「奥の細道」気分ぶち壊しの船だった。

 おまけに先ほどからもう3組くらいの2人連れの写真を撮ってあげている。ひどいのになると別のペアの写真を撮り終わるのを待っていたかのようにすかさず「すいません。シャッター押してもらえますか。」である。そして頼んでもいないのに「あなたのカメラも撮ってあげましょう」と写真を撮ってくれる。8年前のその時の写真は、あえて掲載しない。やっぱりウエストポーチをしている。

 さて芭蕉がそれほど感動した松島だが、期待しすぎたためか、私にはあまり良いとは思えなかった。写真のような文字通りの松の島が点在する海岸である。確かに珍しい景色であり名所と呼べるだろうが、感動を覚えるほどのものではなかった。小雨降る曇り空という状況も悪かったのだろうが、前々回に記した果てしない水平線とその彼方から次々と生まれてくる波の方が遥かに私にとっての名所だった。

 船が松島の港につき、私は歩いてすぐの瑞巌寺(ずいがんじ)へと向かった。瑞巌寺は伊達政宗が5年がかりで造営した大寺で、伊達家の菩提寺である。広い境内、巨大で重厚な造りの本堂、狩野派の襖絵、極彩色の彫刻欄間。寺というより武家屋敷である。隠し部屋さえある。伊達家の拠点の一つとも考えられ、ここを詳細に観てまわったことも芭蕉忍者説を唱える人々の根拠の一つとなっているぐらいだ。

 「芭蕉忍者説」というのが昔からある。46歳という当時としては初老の人間に1日40キロ以上の歩き旅は困難だとか、随行した弟子の日記に謎の暗号のような記号があるとか、伊達藩の調査が旅の目的だとか、芭蕉が生まれた伊賀上野は忍者の里だとか様々である。直感的に思うが、それらは全部こじつけだ。芭蕉はそろそろ死を意識した40半ばになって、歌に詠まれた名所を訪ねずにはおれなかったのだ。そう思う。

 話を瑞巌寺に戻そう。国宝の建造物が並ぶ中に非公開の庫裡(くり)(今の台所)があり、これも国宝である。非公開と言われると中を覗いてみたくなるのが人情だ。幸い扉が少し開いている。そっと近づき中を覗くと、庫裡は現在でもその本来の役割を担っていた。おばさんが二人食事を作っていたのだ。冷蔵庫やテーブルが見え、壁には火の用心の酒井法子のポスターさえ貼ってあった。

 この頃酒井法子は全盛期で、まさかその後あんなことになるとは誰も思わず、中高校生は「うれピー」や「マンモスラッピー」などの「のりピー語」を使っており、「ちょべりば」などの死語でさえ、まだ誰も口にしたことさえなかった。それはともかく、再び「奥の細道」気分は壊されてしまった。やはり非公開のものにはそれなりの理由があったのだ。これではただの食堂である。

 瑞巌寺を出た私は松島で宿を探すことにした。芭蕉が松島滞在の際、「窓をひらき二階を作りて、風雲の中に旅寝するこそ、あやしきまで妙なる心地とはせらるれ。」と記した旅の夜の解放感と寂蓼感を同じこの松島で味わいたかったのだ。一人旅の夜の何とも言えないせつなさ、孤独感とそれを上回る自由さはこの旅の大きな魅力である。ところが天下の景勝地松島の宿はどこも満室で、私は仕方なく今回の旅は松島までとし、仙台にひき返すことにした。再び、仙台七夕祭を見物しようと考えたからだ。

 仙台は小雨。七夕飾りに大慌てで雨よけのビニールが掛けられる。街には昔流行った「青葉城恋唄」が流れる。「時は巡り、また夏が来て、あの日と同じ七夕飾り」ああこれなんだ。このノスタルジー。来年もこの時期に来よう。前年の到達地点を次の年に再び訪れ出発する旅。知らなかった街が、翌年には懐かしい街として迎えてくれる。来年この街で耳にするだろう「青葉城恋唄」はきっと今年のことを思い出させてくれるはずだ。

 私はこの旅の形がすっかり気に入っていた。仙台一番町通り商店街のアーケードにあるからくり大時計が2時間ごとに扉を開け、中の人形が動き、音楽が流れる度に沸き起こる観光客の歓声と拍手。旅先で人は日常から解放され素直になるのだ。さもなければ、たかが、からくり時計が動くのを見て涙ぐむ人が何人もいるわけがない。人はからくり時計を見たいのではなく、それが動くのを今か今かと待ちたいのだ。私自身、奇数時に開く時計と偶数時に開く時計の両方を見るために、1時間半ほど、この時計の下で待っていた。毎回数十人の観光客が集まり、その時、商店街は大混雑する。

 何かを待つ期待感。それもこの旅の魅力だ。「歩く」という速度が、交通機関に「乗る」以上に目的地への期待を増幅させ、通り過ぎた街や辿り着いた街の印象を鮮明にする。次の夏、再びこの地に戻ってくることを楽しみにして私はようやくからくり時計の下を離れた。

次回は、第15回「そもそも、なぜ『奥の細道』を歩くことになったのか」です。

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2016/9/7

家庭園芸 前期の授業が終わりました!  授業・HR

前期の家庭園芸の授業、すべて終了しましたっ!

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自分からよく動いてくれるメンバーが多く、授業をしていて楽しかったです。
授業で体験した、身につけただけで終わることなく、学んだことを生かして、ぜひ、お家でも何か野菜を育ててみてくれたら、嬉しいです。
受講者の皆さん、半年間おつかれさま!
来週の期末考査、しっかり勉強して頑張りましょうね!
(一応、テストがある科目です・・・)



後期の家庭園芸では、前期とは違った野菜を育てたり、収穫したりします。
受講者のみなさん、お楽しみに!



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