2016/11/2

3年生 進路HR  進路

今日の6時間目、3年生は「進路ホームルーム」でした。

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これから受験を控える生徒は、ひたすら勉強、勉強、勉強…
面接試験を控えている看護・医療系進学の生徒は、面接練習。
就職試験を控えている生徒は、進路指導室で求人票閲覧や面談など。
就職先が決まった生徒は、内定者挨拶、社会人としての心構えについてのお話。
それ以外の生徒には、一般常識問題に挑戦してもらいました。

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以下、すべての3年生に配布した学年通信より、一部抜粋して紹介します。



■ これから入試本番の人へ。
 周りの人たちの進路が次々に決まっていきますが、焦る必要はありません。周りに流されることなく、自分をしっかり持って、勉強に励みましょう。
 対策も怠らないようにしましょう。模擬試験や実力テストの結果を見て、あとどれだけ点を伸ばせば目標に到達できるのか、確かめてください。

■ 進路が決まっても…
 どの進路を目指すことになっても、新たなことを身につけるための「勉強」は必要になります。むしろ、高校を卒業してから勉強することのほうが多いかもしれません。勉強しなくていい進路なんて、ないんです。
 今まで頑張った人も、あまり勉強をしてこなかった人も、残りの高校生活は、勉強する習慣をつけるための絶好のチャンスです!
 そして、「これから入試に挑む人」を学年・クラスみんなで応援しましょう!「毎朝8時30分に全員そろう」ことで、「みんなで頑張る雰囲気」をつくることができますよ!

 がんばれ!「金の卵」40期生!
 高校生活の最後、殻を破って、一回り成長して卒業しよう!
 応援しています!

2016/11/2

生物の形態  授業・HR

先週作成したお手製のプランクトンネットをもって、淀川に行きました。
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ケンミジンコ、クンショウモ、アオミドロなどが観察できました。
↓ケンミジンコ
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↓アオミドロ(顕微鏡 150倍)
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2週間前に「自然観察と野生生物の保護」でも訪れた淀川!
生き物達への理解や興味が深まっていれば嬉しいです^^
来週は、さらに他の微生物を観察しながら、大きさの測定方法も勉強しましょう。

2016/11/2

11月2日 水曜日の風景  学校紹介

 体育館が白とオレンジでペイントされたのがちょうど12、3年前。当時オレンジには賛否両論があり、自分もオレンジと聞いて「えっ、なんで」と訝(いぶか)った。

 この係となった先生がどういう理由でオレンジに決めたかは知らないが、この写真を見てもらっても分かるように、紅葉の季節を想定してオレンジにしたのではないかと思う。

 「学園の森」の緑と紅葉とのコラボを考えたとき、もしもブルーだったら、もしもミドリだったらと考えただけでもおぞましい。

 紅葉と同じ暖色系のオレンジでほんまに正解やったなと思うのである。

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 白亜の校舎とオレンジ色の体育館

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 本日1年生を対象に行われる進路ガイダンスで、某美容専門学校で頑張っているダンス部OGが説明会に参加すべく母校に戻ってきた(といっても先日の文化祭も来ていたが・・・)。

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2016/11/2

『OKU NO HOSOMICHI』 第21回  国語科S先生の『OKU NO HOSOMICHI』

〜A long time ago in TOHOKU far,far away(昔々、遠い遠い東北の地で(「STARWARS」?)〜

1986OKU NOHOSOMICHI(SHOWA〜HEISEI)

第21回「ある日森の中、出会ったもの・・・それはクマさん〜前編(出羽街道中山越、宮城県。1991年、夏)」

副島 勇夫(国語科)

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 「森のクマさん」という童謡ほど現実にほど遠い歌はない。

 「ある日、森の中、クマさんに出会った。花咲く森の道、クマさんに出会った。」と何ともうれしそうである。おまけにこのクマさんに出会ったお嬢さんは「すたこらさつさのさ」と間の抜けた逃げ方をし、クマはクマでお嬢さんの落とした「白い貝がらの小さなイヤリング」を拾って届けてくれる。最後にはお嬢さんがお礼に「ララララ ランランラン ランラン」と謎の歌を歌って終わりとなる。まことに結構と言いたくなる展開だ。

 しかし、現実はそんなに甘くはない。山の中で1人、クマに本当に会ってしまったらどうするか。いや、人はどうなるか。その答えは・・・ただ「笑う」である。笑ったら助かるとかクマが見逃してくれるというのではない。極度の緊張状態に陥ると人は「笑う」のである。ひきつった笑い。少なくとも私はそうだった。今回はそういう話である。

 前回の話の通り無人駅で1泊した後、翌日に温泉地で名高い鳴子に到着した私は、野宿の疲れを湯につかって落とし、8月10日の朝、山形県入りを目指して歩き出した。8時45分に歩き始め、9時10分には尿前(しとまえ)の関に到着。この旧関から芭蕉も難儀した「中山越え」の始まりである。現在は歴史の道として整備されたが、それでも尿前の関から山形県との県境までの約9キロ、2〜3時間かかる山の中の道である。

 登り下りの繰り返す山中の小道に、芭蕉と同行の弟子である曾良(そら)は疲労困憊、「奥の細道」の原文では「大山をのぼって日既に暮れければ、」としか記されていない。途中「小深沢」「大深沢」という深い谷底へ下りてはまた登るという険しい沢があり、後者は出羽街道中最大の難所である。

 国道47号から中山越の道に入ると次第に道は下り、深い谷底へと降りていく。辺りは鬱蒼とし、底の小川にだけ日光が当たりキラキラとしている。それを下ると次はきつい九十九折(つづらおり)の登り。そこを過ぎると次は今の1.5倍ぐらいの深さの谷。それが「小深沢」と「大深沢」だった。これを今から約400年前、整備も何もされていない頃に歩くのは大変なことだったろう。しかし、私にとって大変だったのはここからだった。

 「大深沢」を越えると突然辺りが開け、小さな住宅地が現われた。かつての難所も今や住民の魚とり、水遊びの場になっているのだろう。確かにきつかったが難儀したというほどではなかった。それが現代なのだろう。

 国道47号に合流した後、しばらく歩くと畑と民家の間に山中へと続きそうな一本道。見ると「出羽街道」の標識。民家の人にこの道が再び47号に出るかどうかを尋ねると、1時間半ほどで合流し、その先で山形県に入るとのことだった。

 天気は快晴。雲一つないまっ青な空。私は先ほどの難所越えがやや肩透かしだったのであえて山中に入る道を選んだ。そう。私はこの時わざわざ選んでしまったのだった。「出羽街道」の道は右手が青々とした稲穂の実る田んぼ、その向うは緑の濃い森林であり、左手も同じような林である。道幅は2〜3メートル。もちろん舗装もされていない道だ。農家の軽トラの轍(わだち)がついている。

 その道を10分ほど歩くと一軒の農家があり、その隣の畑から声がする。「にいちゃん。何時だ。」いきなり知らないおばあちゃんから時間を聞かれた。その後どこへ行くのか、何をしているのか、どこから来たのかという、いつもの質問をされ、それではという時にこのおばあちゃんが戦傑の一言を発した。「熊が出るから、大きな声で喋って行きな。ここも時々畑がやられる。」

 私の頭の中に「熊」と言う字が書道のように白い紙に黒い字で浮かんだ。熊、クマ、くま……。そんなことガイドブックにも「奥の細道を歩く事典」(三省堂)にも「るるぶ」にも載っていない。どうする。引き返すか。しかし私は青い空にだまされた。これがいかにも重苦しい曇り空なら私は引き返していた。そしておばあちゃんの笑顔に勘違いをした。あの笑顔は「まあそんなに心配しなくていいよ」という意味ではなく、人生を70年あまり生きてきた余裕というか達観とでも言うべき笑顔だったのだ。

 私は現代日本という時代の自然をどこかでなめていたのかも知れない。私はその道を山中に向って歩き始めた。道は次第にそれらしくなってきた。道はいつしか左手の木立ちの中に吸い込まれていく。道幅2メートル、左右は茂み、その奥に無数の木。すっかり山中に入り込んでいた。それでも1キロも離れていない所に国道が通っているのだからと気を取り直して歩いていた。

 そうだ歌を歌おう。ところがなぜか口をついて出てくるのは「五匹の子豚が五匹の子豚が…」どうも力が出ない。これではダメだ。「大きなのっぽの古時計。おじいさんの時計…」だめだ暗い。「ある日、森の中…」禁句だ。それにしてもどうして日頃は歌わない童謡ばかり出てくるのだろう。それでも私はいろいろな歌を取っかえ引っかえ歌っていた。

 軽井沢という標識の立った小川の一本橋を渡る。青い空が見える。日が当たりのどかだ。私は何となくほっとした。道はうねうねと登っていく。何度目かの角を曲がると山道の草刈りをしているおじいちゃんに会った。恐る恐るクマの話を切り出すと「出るよ」と事も無げに言う。「そこの軽井沢はクマの通り道。わしも昨日会うた。そこの(と私が来た道を指さし)低い所も通り道じゃ。」と恐しいことを平気でおっしゃる。そして「この先の休憩所の所、屋根の付いた場所にベンチと出羽街道の説明板がある所じゃが、そこもクマの通り道じゃ。そんな所によっこらしょっと座って、クマが出たんでは、まったく県も何を考えよるのか。」と笑った。

 笑い事ではない。私の持つガイドブックには「旧道も整備され」と記されているのだ。実情も知らない、とんだ整備である。おじいちゃんは続けた。「まあ今はウロウロする季節ではない。冬眠明けでおなかのすいた春先と冬眠前の頃は危ない。まあ今は大丈夫。と言っても安心というわけじゃないが。」「わしも何度も会うとる。クマは臆病な生き物だから、驚かしてはいけない。急に出会うと驚いてかかってくる。曲がり角は止まって角の向こうをそっと確かめる。30メートルぐらいあればクマの方から逃げる。」

 私は安心どころか不安が募った。思わず尋ねた。「もし出会ってしまったら、どうしたらいいんですか。死んだふりですか。」おじいちゃんはフシと笑った。「死んだふりをしたら、クマは確かめにやって来よる。臭いをかいでクマの鼻が足やら腹やら顔をかぎよる。動いてしもうたら終わりじゃ。いきなり前足が来る。クマと出会ったら、それも少し離れていたら、クマをにらみつけることじゃ。わしの方が強いと自分を大きく見せて、にらみつけて、ウォーッとか何とかどなりつける。にらみつけて、時々目をそらしてやる。そうするとクマはそのすきに逃げる。クマは臆病だ。戦うことじゃ。逃げれば、まず助からねえ。あれでもクマの足は速い。ウォッ、ウォッと来る。」

 おじいちゃんの話は絶望的だった。国道までは30分ぐらいらしい。引き返せば1時間弱ぐらいだ。それにしてもおじいちゃんはこんな所で何をしているのだろう。「歌を歌っていくといい。」約1時間前に同じ言葉を聞いた。その時とは重さが全く違っていた。確実にこの山のどこかにいる。それも近くに。そのことが実感された。

 次回は第22回「ある日森の中、出会ったもの・・・それはクマさん〜後編」(出羽街道中山越、宮城県。1991年、夏)です。

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