2016/12/6

12月6日火曜日の風景  学校紹介

 真夏の厳しいただただ暑いだけの太陽と比べて、今日のような初冬の太陽は愛に満ちた優しさがある。いつもの超個性的デジカメでその光を撮影してみた。

 朝の薄曇りが午後からは一転して陽光降り注ぐ晴天となった。テスト勉強に疲れた(?)生徒たちも、太陽の光を浴びて気持ちよさそうだ。

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 今日もまた「柴高に咲く花たち」

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 明日は後期中間考査の最終日。寸暇を惜しんで練習に没頭する軽音楽部。

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2016/12/6

『OKU NO HOSOMICHI』 第24回  国語科S先生の『OKU NO HOSOMICHI』

〜A long time ago in TOHOKU far,far away(昔々、遠い遠い東北の地で(「STARWARS」?)〜

1986 OKU NO HOSOMICHI(SHOWA〜HEISEI)

第24回「「空のグラデーション」(羽黒山、山形県。1993年、夏)

副島勇夫(国語科)

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 羽黒山、月山、湯殿山を称して出羽三山という。

 この三山はまさに隣り合う形で並び、羽黒山頂がそのまま月山の登山口となり、月山を下っていくと湯殿山に行き当たる。そしてこの三山は平安時代より信仰の山であり、大和の大峰山(崖から腰ひも付きで突き落とされそうになり「親孝行するかぁーっ」と怒鳴られる山である)、九州の英彦山と並ぶ三大修験道場であった。

 古代の霊山信仰と、平安時代の山中に浄土があるという考えが結びつき、修行により法力を得ようとする修験者や救われたい庶民が100人、500人、1000人と列をなして押しかけた。交通不便の時代に東日本各地から年間15万7千人が登山参拝したという記録が残っている。当時は約300件の宿坊があったそうだが、今では35軒、それでもさまざまな県名が記された看板が掛けられ、信仰の今に至ることを示している。

 出羽三山登山がいかに大変なものかということは次回記したいが、羽黒山419メートル、月山1984メートル、湯殿山1504メートルであり、中でも月山は8合目以上は夏でも雪が残り、夏の朝の気温でさえ零度ということもざらである。そろそろ話を始めようと思う。

 8月2日、天気は晴れ。前日雨の中を20キロ歩き、羽黒山の門前町の手向(とうげ)に到着した私は今回のこの旅の最終目的地である、羽黒山頂を目指していた。

 目の前には羽黒山の入り口とも言える随神門がある。これより遥か湯殿山までが神域である。登るのかと思いきや下りの石段。少し拍子抜けしながら跳ねるように駆け下りる。朱塗りの神橋を渡ると杉木立が深くなる。樹齢1000年の天然記念物「爺杉」が立っている。

 羽黒山は樹齢300から600年の杉が多いが、この木は中でも飛び抜けて老木である。1000年という圧倒的な時の重なりに敬意を表し一礼した私の目に次に映ったものは、杉木立の密集がやや開けた空間の中に立つ、奥羽最古の五重塔だった。この室町初期に作られた素木作りの国宝は、華美な装飾、彩色を排し質実な飾り気のない見事な美しさだった。そしてその風雪に耐え鄙(ひな)びた姿、木材の色は塔ではなく土中より生じた一本の木を思わせた。

 眺め続けていたい心を抑え歩きだした私を待ち受けていたのは、これこそ羽黒山、名所中の名所、そして難所、杉並木の中、約2キロ、果てしなく続く2246段の石段であった。のぼり50分、下りは40分の一段一段が普通よりやや低い平たい石段である。このときの旅では2日目に立石寺の1018段の石段を往復しており、合計6528段を上り下りすることになる。

 目の前のだらだらと登っていく石段道に足を踏み入れる。すぐに「一の坂」と呼ばれる急な石段道。少ししんどいがまだまだ余裕でクリアー。何人も追い越し得意気であった。しかし、それもここまで、次の二の坂を前にして私は立ちつくしていた。

 これはすごい、そしてひどい。まるで壁だ。途中からは手前に反りかえっているかのように見える。「よしっ」と声を出すが、足が上ることを拒否している。今回はここまでに130キロほど歩いている。その最後に2246段はきつかった。仕方がないので登り始める。汗があごや耳、指先や肘からポタポタと落ち、息は乱れ、目の前には、☆◎?△□のような図形が見える。倒れそうだ。後ろから「ほい。ほい。ほい。ほい。」という声が登ってくる。振り返ると先ほど一の坂で追い越したおばあちゃんだった。

 悔しかった。そして情けなかった。これではまるで教訓おとぎ話である。しかし、私はあっさりと追い越された。その時のおばあちゃんの目が「まだまだ甘いわ。お若いの。」と語っていたことは言うまでもない。ハアハア、ヒイヒイ、フウフウと誰もが息を切らしながら登っている。そんな五段活用の中、私も覚悟を決め一気に登り始めた。荷物が重い。膝がわなわなとする。全身から湯気が立つかのようである。

 頭の中がツンと痛くなった頃ようやく「二の坂」を登り切る。するとそこには一軒の茶店。ありがたいと思うとともに卑怯者めと言ってやりたくなる。商売上手だ。誰もが、ここで休みたいだろう。

 名物「力餅」をいささか手遅れの感はあるが食べる。「力」はこの石段を登る前にほしかった。一休みの後、歩き始める。「三の坂」の脇に芭蕉が滞在した南谷別院の跡がある。木立がわずかに開けたところに草地と池がある。蚊の大群がいたので引き返す。この辺りの杉並木は樹齢300年というから、芭蕉が訪れた頃はまだ芽が出たぐらいである。

 そしてダメ押しの「三の坂」をゆっくりと自分のペースで登り、ようやく本殿の三神合祭殿に到着する。1818年の建造というから芭蕉が訪れた1689年には当然なかったものである。茅葺き屋根が巨大で、朱塗りの重厚かつ豪壮な大建築である。

 雪深い冬に月山、湯殿山への参拝ができないため、もともとの出羽神社に月山神社、湯殿山神社の二神を合わせ「三神合祭」と言い、出羽三山神社と呼ぶのだそうだ。本殿前には鏡池があり、この池から500枚以上の鏡が引き上げられている。今回の旅の到達点はこの出羽三山神社と決めていた。来年はこの地点から月山に登るところから始まるのだ。

 境内でしばらく過ごした後、今度は「三の坂」、「二の坂」、「一の坂」の順で坂を下る。膝が笑うどころか砕けそうだ。痛い。「二の坂」は下ると言うより落ちそうだ。もう一度五重塔で時間を過ごし、ゆっくりと眺める。周囲を杉の巨木に囲まれ、のしかかられるような中、しゃんと立っている素朴な塔。森林特有の靄(もや)が、呼吸しているかのようだ。

 何かとてもありがたい気持ちで随神門を出る。手向の村を通り抜け、鶴岡の町を目指して歩く。このあたりは町と町の間は田畑ばかりで、その中を道路がまっすぐに延びていく。だから高い所から見下ろすと、夏は水田の緑の海に町が島のように浮かんで見える。来年は月山から見下ろそうと思う。

 鶴岡へ向かう舗装されたバス道を下って行く。角を曲がり視野が開けると朱塗りの大鳥居。最近作られたものだろう。あまりに巨大すぎる。立派ではあるが、五重塔のような枯れた風情がない。それでも雲のほとんどない青い空を背景に鮮やかにそびえ立っている。残っていたカメラのフィルムを使い切ってしまおうと数枚写真を撮る。振り返ると羽黒山が丘のように見え、その右奥に月山が半ば雲に隠れている。

 当時はまだ、デジカメやスマホなどない時代、フィルムのカメラしかない。

 ところが、この時までまったく気がついていなかったのだが、進行方向の鶴岡の右後方に美しい山が見える。標高2337メートル、なだらかな稜線を持つ、東北最高峰の鳥海山だった。

 山頂付近は雪のため白く、陽光に輝いている。薄雲がかかり、その雲も白と薄いクリーム色に輝いている。その上は薄いオレンジ色に染まった空である。その空の上は薄い黄色の空であり、その上は白みがかった青緑色の空、そしてそこから上方に行くにつれ少しずつ青味が増していく。青緑から青へ、青から濃い青へ。薄い層になった空が平たい山頂の稜線にまとわりつく虹のように重なり、美しい空のグラデーションを作り出していた。私はその夢のような美しさに見とれていた。現実の光景ではないように思えた。

 しばらくして私はカメラ、カメラと思ったが、何ということかフィルムがない。近くに店もない。田んぼの海の中に赤い大鳥居と「大鳥居」という名のバス停があるだけだ。当時の旅日記を見ると次のように記されている。「残りのフィルムを使い切って、ふと見ると、見事な鳥海山。雲の上に雪をのせて、そびえ立つ山。空の青が薄いから濃いへ。言葉もない。フィルムもない。来年はこの山を見ながら歩こう。」

 私は誰も来ない、そしてバスも来ない大鳥居のバス停のベンチで、白い烏海山と虹のような空を見つめ続けていた。

追記 その後、1995年、1997年と2度、鳥海山が見えるあたりを歩いたのですが、天候にも恵まれず鳥海山を見ることができたのは1日だけ、この時のような空を見ることは2度とありませんでした。

次回は第25回「白い神、赤い神」(月山、湯殿山、山形県。1995年、夏)です。

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