2016/12/10

第2回オープンスクール(1)  学校紹介

 中学生および保護者のみなさん、本日は今季一番寒いと思われる天気の中、本当に長い間ありがとうございました。途中プロジェクターや放送機材のトラブルがありプログラム全体が30分もおし、来ていただいた皆さんにご迷惑をおかけして申し訳ありません。

 なんとか無事終了できたのも、教職員は言わずもがなですが、卒業生と在校生の踏ん張りに頼るところが大きかったと思います。担当者として今日ほど彼らに助けられたなと感じたことはありません。校長先生の挨拶でもありましたが、「みんな、ありがとう」という気持ちで一杯です。

 そして「来年もよろしく頼む」です。今日は本当にご苦労様でした。

 中学生のみんなさん、いつもオープンスクール終了後のブログに書いていることですが、今回もまた書かせてください。

 中学3年生の皆さんへ。どの高校を受験するかは最後は自分で決めなければなりません。まだ15歳の君たちにとって大変なことかもしれませんが、誰しもが通ってきた道です。できないはずはありません。そして自分で決めた第1志望の高校に合格できるようしっかり勉強してください。流した汗は必ず報われます。

 本日のオープンスクールがその志望校選びのきっかけになればと思います。

 受験勉強、頑張ってください。そして今日は寒い中、来てくれてありがとう。


 補助役員の面々

クリックすると元のサイズで表示します

 男バス&女バス

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 照明と生徒誘導を担当してくれた2人

クリックすると元のサイズで表示します

 ダンス部を見守る顧問

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 担当者の諸々の要求に応えてくれたケイオン3年男子。他にも女子サッカーなども手伝ってくれた。午後からは陸上部も加わった。

クリックすると元のサイズで表示します

 本日の被害者のひとりにして功労者のひとりでもある38期生卒業生

 せっかく準備していた高校3年間の変遷の写真が無駄になったが、何かの機会にまたリベンジできればさせてください。

 この4月よりフラワー業界大手の正社員として就職する。今日経験したトラブル対応力は必ずや将来役に立つはずだ。ブライダルフラワーの頂点目指して頑張ってください。今日はほんまにありがとう。

クリックすると元のサイズで表示します

 体育館ではショートの原因の一つとなった9200ルーメンのプロジェクター。場所を移して白亜の校舎に中学生の皆さんへのメッセージを投影してみた。以下次号。

2016/12/10

過去ログ 第2回オープンスクールについて  学校紹介

★正門から受付、体育館までのルートです!!


(↓)正門入ってまっすぐ行ってください。正面玄関に到着します。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

(↓)ここでスリッパに履き替えてください。

 右側に事務室がありますが、その廊下を右にまっすぐ歩いてください。途中に校長室や図書室、放送室などがあります。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

(↓)右に生徒ロッカー、左に体育祭で撮影したタペストリーの場所が受付場所です。ここに「西淀川・淀川・東淀川」「それ以外の大阪市」「豊中、吹田等のその他」の3つに分かれた机で、中学校名と個人名を言ってください。体験授業の科目をそこでお知らせします。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

(↓)受付を左に曲がると食堂や体育館へ至る渡り廊下があります。

クリックすると元のサイズで表示します

(↓)体育館を道なりに歩くと途中に階段がありますが、これは上らないでください。そのまま水飲み場に沿って歩いてください。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

(↓)体育館下の入口です。スリッパのまま階段を上がってください。2階のフロアに出ます。

クリックすると元のサイズで表示します

★中学生および保護者の方は、申し訳ありませんが必ずスリッパ(上履き)をご持参ください。(2016/12/08)

★体験授業がどの科目に決まったかは、当日受付にてお知らせすることになりました。メールなどでの事前連絡を計画していましたが、事務作業がおいつかず断念しました。ご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします。(2016/12/08)

★来校された方は必ず受付を通ってください。受付は正面玄関を右に入って、まっすぐ行った生徒ロッカー室前です。「東淀川区・淀川区・西淀川区」「それ以外の大阪市内」「その他」の3つの机をもうけていますので、そちらで体験授業の科目をチェックできます。

 午前中の体験入部に参加した人も、受付を通ってください。(2016/12/08)


★和太鼓演習を第一志望で希望された方は、体操服をご持参ください。ただし遅めに申し込まれた方は他の科目にまわっている可能性があります。(2016/12/08)

★当日配布するパンフレットに以下のプリントとアンケートをはさむ予定です。オープンスクールが始まる前にご覧ください。(2016/12/08)

オープンスクールスケジュール表.pdf

学校案内図.pdf  必ず受付を通っていただき、手続きをしてください。

体験講座一覧&クラブ体験一覧.pdf

★体験入部で「コンピュータ部」が参加することになっていましたが、当日は不参加となりました。オープンスクール担当者のミスです。申し訳ありません。(2016/12/7)

★12月10日オープンスクール当日の天気予報は曇り時々晴れ、最高気温が12度とかなり気温が低いようです。校舎の教室は暖房設備があるので大丈夫ですが、13時から始まる全体会は体育館で実施しますが暖房設備がありません。本校生徒のミニライブなどで暖かくなると思われますが、防寒の用意をよろしくお願いします。

★いよいよ来週に迫ってきましたオープンスクールですが、フォームとFAXでの申し込みを12月8日(木)に締め切らせていただきます。できるだけお早めに申し込んでください。(2016/12/3)

★ダンス部は体験入部【U】【V】に参加しますが、人数の関係で毎回「クラブ見学&説明会」の形式をとっています。ゆえにダンス部の見学を希望している人は、体操服や体育館シューズなどの用意はなしでOKです。(2016/12/02)

★オープンスクール終了後、保護者の方にアンケートを配布しております。できましたら、保護者の方も筆記用具をご持参ください。よろしくお願いします。

★男子サッカー部、体験入部の「U」&「V」に参加します。[中学生の皆さんへ]には空欄になっていましたが、速報としてブログで紹介します。(2016/11/19)

★ミニライブに出演する部活動、体験入部のスケジュールをアップしました。体験入部は事前の申し込みは不要。直接活動場所に行ってもらって、入口で名前と中学校名を書いてください。体験入部だけの参加もOKです。なお、午前10時から始まる「体験入部T」に参加する人は、正門で在校生が活動場所まで案内します。体験入部に必要なグッズは、各自で用意してください。(2016/11/17)

★12月10日(土)第2回オープンスクールの申し込みができるようになりました。

 本校ホームページの[中学生の皆さんへ]をご覧ください。自立支援コース専用の申込フォームもつくりました。ぜひご覧ください。クリックすると元のサイズで表示します


2016/12/10

FILE7 ジョーカー  先輩 K先生の映画学ガイド

担当者 国語科 小柳優斗


 物語を通して、様々なことを伝えたり、考えさせたりすることができる・・・・・・それこそが文学の力。当時の中国を変えようと、体の医者ではなく心の医者になろうと決意した文学者がいたように(魯迅『藤野先生』)、様々な空想、想像に現実の諸問題を託し、それをメッセージとして読者や観客に届けることは可能です。
文学的物語のほかに、映像や音楽など、様々な要素を併せ持つ映画表現は、そうした機能を持つものとしては、非常に大きな力を持っています。数多の機能を駆使することで、観る者に直接的あるいは間接的に訴えかけてくる。意識的にしろ無意識的にしろ観客はそれを享受し、何かを考える。いや、考えないではいられなくなる。影響を受けた瞬間です。

作り手たちが映画に託して伝えたいメッセージは、全てが楽しいものとは限らない。このガイドの決まり文句。「映画は、現実では絶対に経験したくないことを、経験させてくれるもの」。映画が送り込んでくるメッセージは、時に破壊的で、時に悲劇的で、時にアイロニカルで、時に批判的で、嘲笑的ですらある。普段忘れていること、あるいは意識しないようにしていることを、そのままズバリ指摘する映画はたくさんあり、そうした映画の持つ機能は、現実の世界で言う宮廷道化師の役割とよく似ています。宮廷道化師(ジェスター)は、トランプのジョーカーに描かれる絵柄です。ここではより名の知れたジョーカーで統一しておきましょう。

ジョーカー、それは真理に忠実な道化師。王でさえ、彼からの謗りを拒むことはできなかった。映画の中に潜むジョーカーは、様々な表現を通して、我々の世界を論い、嘲弄し、批難、問うてくる。スクリーンの向こうを越えて「現実」の喉元に突きつけられる、究極のワイルドカード。今回は、そんな映画たちをご紹介しましょう。



 ガイド8「ジョーカー」

 誰もが誉めそやす中で、その少年だけは叫んだ。「王様は裸だ」と。
他の誰がなんと言おうと、相手がどんな地位であろうと、自由に物が言え、自由に振舞える。そうした特権を持つジェスター(ジョーカー)的な魅力を持つ映画は、実は多い。
ジョーカーと言うと、ぱっと思いつくのは『バットマン』に登場するキャラクターだろうか(Yahooで検索すると一番上に出てくるし)。1940年にコミックスに登場し、バットマンが映画化されるたびに、シーザー・ロメロ、ジャック・ニコルソン、ヒース・レジャー、ジャレット・レトらがジョーカーに扮した。
最近では『ダークナイト』のヒース・レジャー版ジョーカーが有名となったが、実際「ジョーカーの本質」を考える上でも、『ダークナイト』のジョーカーは分かりやすい。ゴッサムシティを舞台に、次々と犯罪を重ねるジョーカー。その目的はバットマンの活躍により、正義に目覚め始めているゴッサムシティの化けの皮を剥がすこと。バットマンを圧倒し、その是非を問い、正義を掲げる者を次々と堕落させてゆくことで、「人間の本質は邪悪である」ということを証明することである。
最終的にはバットマンの前に破れ、捕縛されるジョーカーだが、彼が犯罪を用いて問うてくるものの中身には決して看過できないものがある。実際、劇中でもバットマンの完全勝利とはならなかった。ジョーカーが言う笑えないジョーク――全ての人間は本質的に邪悪であるというその指摘は、バットマンの心に楔として打ち込まれ、残り続けることになる。
 道徳・・・・・・モラル・・・・・・人道・・・・・・人情・・・・・・そういったもので幾ら取り繕おうと、人間の心の中にある邪悪さは、誰にも否定することができない。人間が邪悪でなければ、残酷でなければ、人間の築いてきた歴史は、これほど血腥いものにはならなかったはずだ。(そういう意味でも、「残酷な小説やホラー映画が社会に悪影響を与える!」という指摘が、トンデモない的外れであることが分かる。詳しくは別のガイドで)。邪悪な本性を隠して、正義を掲げようとする人々に、ジョーカーは徹底したNOを突きつける。街の守護者・ダークナイトですら、それには抗えない。まさに、ジョーカーの役割である。

同じアメコミ映画『ウォッチメン』に登場するコメディアンと呼ばれるヒーロー。彼もまた、ジョーカー的である。ヒーローと呼ばれているはずが、彼の活動は極めて暴力的で、ベトナム戦争にも参加し、何十万という人々を殺傷した。そんな彼のスタイル――生き様は、こんな具合である。世の中は、人は生来邪悪なものである。そして自分自身は、そんな人々の、時代のパロディとして生き、「正しさ」を掲げようとする「善人たちのジョーク」を面白おかしく(暴力を以て)笑い飛ばすことに決めた。――と。そんな彼のスタイルは、一方で激しいバッシングに晒されながらも、一方では「20世紀に生きる知恵者」と賞賛されていた。「取り繕い」という人間の愚かさを、コメディとして笑い飛ばすというところで、ジョーカーの本質を突いている。

映画作品全体として、ジョーカー的なものもある。たとえばヤコペッティの「モンド映画」などだそうだ。『世界残酷物語』は未開の地に生きる人々と都会に生きる人々とを代わる代わる描写し、「本質的にはどちらも残酷な生き物だ」と指摘している。ルッジェロ・デオダートも同じ。『食人族』が描いているのは「野蛮を撮影する文明人こそ野蛮」というモチーフだ。そうした作品の中で個人的に好きなのは『アメリカン・サイコ』である。

これはウォール街に住むヤッピー、パトリック・ベイトマンを主人公にしたサイコ・ホラーだが、恐ろしいくらいに笑える映画である。主人公初め、本作に登場する人物のほとんどは、ビックリするくらいに中身がない。誰もが判で押したように、高級なレストランで食事し、高級品を身につけ、高級クラブで遊び、高級なアパートに住み、自分以外を野卑だと見下して過ごしている。大金をはたいて工夫させて作らせた名刺を見せあいっこしたり、「明日はどこそこの超お高いレストランでディナーなの」などとのたまってみたり、そういうことばかりしている。だが何よりもビックリ・・・・・・というかショッキングなのは、また別の所にあるわけで、それをついて言及する前に、まずは主人公のベイトマンの話をたどっていきたい。若干のネタバレがあるので、注意されたし。

何もかも満たされた不自由ない暮らしの中で、ベイトマンは一人倦怠感に包まれて生き、殺人を繰り返す。時には嫉妬した同僚を、時には何の罪もない相手を手にかけてゆく。そして彼は最後まで捕まることはない。なんと、彼の殺人が露見することはないのである。そこまで巧妙に隠されているわけではない。むしろ杜撰である。被害者が旅行に行っていたことにしようと、あれこれ細工し、電話にメッセージを吹き込むのだが、声色一つ変えようとしない。それくらい幼稚である。にもかかわらず、なぜ彼は捕まらないのか・・・・・。

ベイトマンは言う。「ぼくはここにはいないんだ」。それこそが理由である。
 別に幽霊であるとか、そういうことではない。ベイトマン含め、登場してくる人物のほとんど全てに、「個人としての存在」がないのだ。

 それを最も強烈に、ショッキングに証明するのが「名前」である。ベイトマンを取り囲む人々は、ふざけてるのかと思うくらい、名前を間違える。個性などないのだ。誰も彼も、同じような高級品を着て、同じような高級レストランで食事をしているマネキンのようなものだから。だから物語終盤、自分が殺したはずの男と食事をしたと言う弁護士に出会う。しかしそれだって、本当にそうだったかは分からない。しかもその弁護士、他ならぬベイトマン自身の顧問弁護士だというのに、ベイトマンの顔をまるで知らず、他人だとばかり思っている。

 しかし現場は――? 血腥い惨劇が行われた現場は、どうやって隠し通せたのか。実は、ここでもベイトマンは何もしていない。ベイトマンは被害者のアパートで強行に及んだが、数日後に行ってみると、血のほとばしった壁は綺麗に塗り替えられ、次の入居人を募集している。前の入居人――被害者など、まるで初めからそこに住んでいなかったかのごとく。愕然とするベイトマンに、管理人と思しき女性は言う。

「もう二度と来ないで。面倒を起こしたくないんです」
 それが真相なのだ。ベイトマンの犯行を覆い隠し、一切を葬ってしまうのは、都会と言う場所が持つ「無関心」という圧倒的な闇である。

 上級社会に生きる人々は、驚くほど互いに関心がない。薄っぺらい交友関係で済む話ではなく、一緒の空間にいても恐ろしいくらいに空虚である。会話すらまともに通じない。それはアパートの例でも同じである。殺人があったかなかったなど、管理人にはまるで関心がない。だから殺人の形跡すら、さっさと覆い隠してしまう。そこに、笑えはするが同時にどうしようもなく戦慄を覚える恐怖が存在する。

 ベイトマン自身は、そうした都会に翻弄される側である。命を弄ぶ行為=命を支配する行為と見ていたベイトマンにとって、殺人は自分自身への自己防衛でもあった。しかし、都会は、それすらも闇に覆い隠してしまう。それに気付いた時、彼には殺人という行為すら、完全に無意味なものに成り果てるのである。これはいわば、ジョーカーの勝利である。そして本作における『ジョーカー』は、ウォール街という場所そのものであるということになる。

『食人族』『アメリカン・サイコ』はホラー映画だが、元々ホラー映画というのは「観たくないもの」を見せるジャンルだから、こうしたジョーカー的メッセージと愛称が良いのだろう。だがホラーは苦手という人もいるだろうから、コメディ方向でも一本オススメしておこう。マイク・ジャッジ監督『26世紀青年』(原題『イデオクラシー』)。これは、何をやっても平均的な青年が、500年後に冬眠実験から覚めてみると、極端にIQが低い世界になっていて、さあどうしようという話である。「元気がでるから」という理由で、畑にゲータレイド(外国とかである、ビックリする色をしたスポーツドリンク)をまいていたり、ひたすら誰のとも分からない尻を延々観続けるだけの『しり』という映画が大ヒットしていたりと、ああもうダメだというトンでも世界。そんな世界だから、500年前は平均でしかなかった主人公が、世界で一番の天才になってしまう。

 『イデオクラシー』の描く世界は本当にしょうもなく、とにかく笑えるが、笑ってばかりではいられないのが恐ろしいところだ。というのも、500年後の世界で描かれる「バカ」さが、現在の世界でもあてはまりそうなものだからである。荒唐無稽で、まったく現実と乖離していれば、ただ笑っていれば良い。「そんなことあるわけなかろうに」と言えば良い。だが――それがもし、現実の世界と地続きだったら? もはや笑ってはいられない。お前は愚かであると、ジョーカーに突きつけられたも同然だ。その瞬間、映画の中のジョーカーはスクリーンを越えて我々に問うてくる。普段見えないもの、見えないようにしているもの、背を向け、心の奥底にしまっている見たくないもの、それを無理やりこじ開けに来る。なんだか、居住まいを正さずにはいられない気になる。他人を愚かだと笑っている場合ではないという気になる。それがジョーカーの力だ。ジョーカーの存在を通じて、我々は己自身を、この世界自体をもう一度見つめ直す。容赦なく突きつけられた、この世界の真理を射貫く問いを、もう一度考え直さなくてはならぬ立場に追い込まれる。ゆえにジョーカーは厭わしく、恐ろしく、ただ同時に底知れぬ魅力を担う要素でもあるのだろう。

 真理に従う道化師は、分け隔てなく一切にNOを突きつける。世の欺瞞の全てを笑い飛ばす。映画を観ていて、時に皮肉られているように感じることはないだろうか。それは映画に潜むジョーカーが哄笑をあげている時なのだ。その瞬間我々は、飾り立てのない剥き出しの真理を前に、どう足掻くべきかの決断を迫られているのである。



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ