2017/3/22

今日のバドミントン部 生徒ブログ  クラブ

 本日は、中央体育館で大阪社会体育専門学校主催のバドミントン大会に参加させてもらいました。

 今回の大会は、レベルに分かれリーグごとに順位を決めました。女子のリーグはD〜Hグループまであり、T・HペアはDグループに、N・SペアはHグループに出場しました。

 結果は、T・Hペア優勝! N・Sペアは3位となりました。打ったことのない会場での試合は慣れるのには時間がかかりましたが、試合を楽しむことができ、よかったです。

 2年は残りの試合が片手でおさまる回数となってきました。

 1日1日一球一球を大切に残りの練習、励んでいきたいと思います。

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2017/3/22

野球部春合宿1日目 その6  クラブ

春合宿1日目、終わりには今日とこれまでのことを振り返るミーティングです。

主顧問の話の後には野球部恒例のハガキ書きです。
さて宛先は…?
それは届いてからのお楽しみですね!

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2017/3/22

野球部春合宿1日目 その5  クラブ

春合宿1日目、体調不良者はいません。
美味しいおかずにみんなご飯もすすんでます!

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2017/3/22

野球部春合宿1日目 その4  クラブ

無事に宿舎に到着しました。

これから遅めの夕食です。

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2017/3/22

野球部春合宿1日目 その3  クラブ

練習試合2試合目
先攻 柴島
後攻 法隆寺国際

ピッチャーは岩塚くん。
柴島 - 法隆寺国際
1回 0-7
2回 0-3
3回裏からピッチャーは大前くんに交代。
3回 0-1
4回 0-4
5回 0-0
6回 0-1
7回裏からピッチャーは山川くんに交代。
7回 0-0
8回 0-0
9回 0-X
結果 0-16

着替えも終わり、今から宿舎に向けて移動です。

2017/3/22

野球部春合宿1日目 その2  クラブ

練習試合1試合目
先攻 法隆寺国際
後攻 柴島

ピッチャーは中川くん。
法隆寺国際 - 柴島
1回 2-0
2回 0-0
3回 1-0
4回 0-0
5回 2-0
6回 0-2
7回 0-1
8回 0-0
9回 2-0
結果 7-2

安打の方では中川くんに2ベースヒットが出ました。
ミスはミスとして、その後どんなことに挑戦できるかと試合後に主顧問からコメントがありました。

引き続き練習試合2試合目を行います。

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2017/3/22

野球部春合宿1日目 その1  クラブ

今日から野球部は2泊3日の春合宿です!
奈良は大阪より肌寒いですが無事、法隆寺国際高等学校に到着しました。
相手チームのマネージャーさんは校門まで出迎えてくださり、心配りに感謝です。
これから2試合行う予定です。

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2017/3/21

過去ログ 3月21日(火)の連絡  学校行事・生徒会

 在校生のみなさん、3月21日(火)は終業式です。8:30に体育館で点呼になります。遅れないようにしましょう。

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 その後、来年度の通年科目及び前期科目の教科書販売があります。教科書代をおつりが出ないよう合計金額にぴったりでもってきてください。(欠席やお金忘れなど当日購入できない場合は、後日個人で青谷書店に行き、購入することになります。)

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2017/3/21

第110回ワープロ検定合格発表  学校紹介

 大変お待たせました。

 職員室横の階段ホール掲示板に、受験番号で合格発表を行っています。2年生の合格者には本日HRで担任より証書が手渡されます。3年生の合格者には、今週末には証書が届く予定です。

 証書は大切に保管してください。

2017/3/21

『OKU NO HOSOMICHI』 第30回  国語科S先生の『OKU NO HOSOMICHI』

〜A long time ago in TOHOKU far,far away(昔々、遠い遠い東北の地で(「STARWARS」?)〜

1986 OKU NO HOSOMICHI(SHOWA〜HEISEI)

第30回「「道ならぬ恋の聖地、トンネル駅の村」(青海川、筒石 新潟県。2000年 夏)

副島勇夫(国語科)

 「春の木漏れ日の中で 君の優しさに埋もれていた僕は 弱虫だったんだよね……」

 今から25年ほど前、森田童子の歌う『僕たちの失敗』をリバイバルヒットさせたTBSドラマ「高校教師」は、主演の真田広之、桜井幸子を中心に、いくつかの禁断の愛を描いて茶の間の話題を集めた。当時としてはなかなか衝撃的な内容で、放送翌日は授業でもその話題になった。

 そのドラマの最終回で死を決意した2人が訪れるある駅は、ホームの向こうがすぐ冬の日本海で白い波が寒々しく立ち、印象的だった。レンタルDVD店に行って、「高校教師」第4巻のパッケージを見れば、裏側にこのシーンが載っている。この駅は新潟県の西部にあるJR青海川(おうめがわ)駅といい、日本一海に近いことでも有名な無人駅だ。(ちなみに日本一海に近いとアピールしている駅は多数ある。)

 2000年7月22日、奥の細道を歩く旅の第12回目。前年の到達地出雲崎を出発し柏崎で一泊。歩き出して2日目のこの日、途中雨に降られながら国道を歩き、2時間もしないうちに青海川駅を限下に見下ろす高台に着いた。ここから駅までの近道を下りていく。

[photo library]フリー写真より 現在の青海川駅

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 本当に海の横であることがよくわかる。駅の右手、つまり北側は小さな狭い海水浴場。海の家も売店さえもない、地元の人しか来ないような砂浜だ。左手は駅のすぐ近くまで山が迫り、その斜面に家がへばりつくように建っている。落ちそうと言いたいぐらいだ。山が入り組み、谷のようなところに集落がある。小さな集落だ。ロケの時はたいへんな騒ぎだっただろう。小さな駅だがホームは2本ある。

 10分ほどかかって駅舎の前に出た。振り返り見上げると、今下りてきた細い山道の上に国道がある。普通は同一平面に並ぶことの多い駅と民家と国道が、下から順にあるという奇妙な風景だ。駅には誰もいない。無人駅なので勝手に改札を抜け、離れた陸橋を渡るのも面倒なので線路に下りて海側のホームに行く。その下を覗くと真下に砂浜。天気が悪いせいもあって5、6人の海水浴客しかいない。山側のホームに戻り腰を下ろす。

 ドラマの場面は思い出せなかった。主演の二人がこのホームに立っていたようなという程度の記憶だ。駅舎に戻り中を見ると、電気も付かない薄暗い中に1冊の自由帳か置かれている。無人駅にはこの手のものがよくある。パラパラとめくると、やはりドラマのことに触れた記述が多い。

 それにしてもこの寂れた無人駅に実に多くの男女か訪れていることかわかる。夕陽の名所にもなっているようで、夕陽を見に来ました的な内容も目立つ。そんな中に48歳で会社を辞めた男性が若い女性とここに来て、明日から海外に逃げる。これからの人生などどうなるかも、どうしたいかも考えたくないという記述。他にも詳しくは記せないようなドロドロとした人間関係がいくつもいくつも記されている。どうやらここはあのドラマ以降、道ならぬ恋の聖地になっているようだ。

 学校のブログなので、あえて記さない、記せないが、ドラマの中の主演2人の関係もいわく付きだった。そのためこの場所は秘められた関係を持つ者を引き寄せるようだ。

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 そして、この自由帳を見ていると気になる記述が何箇所も出てくる。ノートの片隅に、記された文の途中に、「あの虫、何だ」とか「虫、ムシ」の文字。ページをめくると、また「あの虫」。少し気持ち悪くなって振り返ると一匹の蛾が目の前を過る。駅舎の中を見回すと壁のいたる所に薄茶色のマユのようなものや、おそらくそれが潰れた跡がある。そして天井を見上げると、いるわいるわという感じで3〜5センチぐらいの蛾が何十匹といる。これがアメリカのドラマ「Xファイル」なら、私は血液を全て吸い取られ、数時間後にはモルダーとスカリー(登場人物)がこの小さな無人駅に到着するはずだ。ノートの「あの虫」とはきっとこの蛾のことなのだろう。恋の聖地は蛾のサンクチュアリでもあるようだ。

 興がそがれた私はこの場所を発つことにした。

 それから2日後の24日、私は新潟県最西部の街である糸魚川を目指して歩いていた。しかし、この日も少し寄り道があった。それはトンネル内に駅があるというJR筒石駅を見ることだった。どうも今回の旅は駅に縁があるようだ。海沿いの国道8号線は歩道も狭く、トラックが猛スピードで横を擦り抜け危ないため、そこから3、4メートル高い自転車道を歩くことにした。左側はすぐ山で、右下に国道、さらに下は日本海だ。天気は晴れ。それほど暑くもなく快適だった。

 人気のない場所が続いた後、数軒の民家が現れたと思うと次第にその数を増し、やや大きな集落になった。自転車道はいつの間にか民家の間の道になっている。この辺りか筒石のようだ。私のいる所は高台で、見下ろすと川沿いに3階建ての民家がまるで温泉宿のようにびっしりと並んでいる。その一方で一番下の国道と同じ高さに一層目の民家か建ち、そこから数メートル高い所に二層目の民家、そして私がいる辺りが三層目で小さなスーパー、郵便局などがあり、保育園からは子供の声が聞こえてくる。

 当たり前のことだが、そこには生活があった。小さな村だ。人通りもほとんどない。小さな寺の見晴らしの良い境内で休憩する。山の方を見上げるとさらに民家が建ち並んでいる。つまり大きな段々畑に家か建ち並んでいるようだった。

 日本海側を歩いているとこういった海と山の間のわずかな平地に、肩を寄せ合うような集落を多く見かける。日本海からの風と雪、冬の厳しさが想像される。周囲を見回すが目当ての駅らしいものはない。トンネル駅なので線路など見えないだろうとは思っていたか、駅がありそうな気配さえもない。きっと山側にあるのだろうと上り坂を山へ山へと進んでいくことにした。

 そのうちに小学校が現れ、ますます民家はなくなっていく。見上げると左右の山と山の間を空中に道路が架かっている。それは鉄道ではなく高速道路だった。駅はさらに奥のようだ。左側の谷の向こうの山肌には、むき出しの巨大な地層が見える。この道は絶えず上り坂でほとんど山道と言っても良かった。歩くこと20分ほどして「筒石駅(JRトンネル駅)」の看板に出くわす。

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 そこから左に曲がると少し広い空間があり、山の斜面にへばりつくように駅舎がある。小さな待合室を駅長さんと思しき人が掃除している。無人駅だろうと思っていたが、やはりこの駅が無人では問題も多いのだろう。中を覗くと後ろの山に向かって暗い通路が口を開けている。私は入場券で中に入り、薄暗い通路を下りていった。しばらく行くと突然ホームに出た。ホームは幅か狭く、暗かった。大阪の地下鉄の駅をイメージしてはダメだ。まるで鍾乳洞や炭坑の中のような感じだ。不思議な駅だ。今か何時なのか、まるでわからない。この駅を毎日利用し生活している人々がいるということが何よりも不思議だった。私はその異空間を後にして筒石の集落への道を下りながら考えていた。

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 大阪に比べここでの生活は何百倍も不便に違いない。電車やバスの本数、駅からの距離、平地の少なさ、店の数、厳しい冬。何もないと言えば何もない集落。私たちの中の欲求はこういった場所を否定しながら増大していく。我慢できない。面倒だ。その言葉とともに自分の中で壊れていくもの。我慢の許容量の変化とともに変わっていく社会。せめて自分は不便を当たり前と思うようにしよう。何も起こらない平凡な時の流れをありがたく思うようにしよう。漱石の頃から山路は人を考える生き物にするようだ。擦れ違うクラブ帰りの高校生の表情はやはり晴れやかだった。

 次回は第31回「イチローの夏、日本の夏」(親不知、市振、新潟県。2001年、夏)です。

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2017/3/20

今週の野球部 生徒ブログ  クラブ

 こんにちは!野球部です!

 まずは、柴島を受けてくれた中学生のみなさん、合格おめでとうございます! そしてお疲れ様でした。

 野球部は入試期間が終わり、金曜日から練習が再開して、春の大会までの追い込みが始まっています! 日曜日には今シーズン最初の試合をしました。結果は負けましたが、内容は悪くはなかったので、今後も試合で出た課題を練習の中で無くしていきます!

 また、水曜日から合宿が始まります。色々なことを勉強して試合にいかしていきたいと思います!

 そして、今後も試合が柴島で行われることが多くあります。興味があるない関わらずどんなものか練習でもいいので見学しに来てください!

 最後に、みなさんと春から会えることを楽しみにしています!

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(担当者追記)

 これからは「今週」にこだわらず、1週間に何度「生徒ブログ」を発信しても「今週」で行くので、ガンガン発信してください。他のクラブも野球部に負けないよう情報発信してください。

 新入部員の勧誘は入学前から始まっているのだ。

2017/3/20

『OKU NO HOSOMICHI』 第29回  国語科S先生の『OKU NO HOSOMICHI』

〜A long time ago in TOHOKU far,far away(昔々、遠い遠い東北の地で(「STARWARS」?)〜

1986 OKU NO HOSOMICHI(SHOWA〜HEISEI)

第29回「弥彦祭りの夜、新潟で一番の景色」(弥彦、出雲崎、新潟県。1999年 夏)

副島勇夫(国語科)

 「お父さんは今、山の上にいます。弥彦山。海が見えます。船はいません。青と黒と緑の混ざったような色。天気は晴れてる。紫陽花がいっぱい咲いていて、後ろを見ると山の下の方に田んぼがいっぱいで、その中に家とか学校とか駅が見える。え、弥彦山。や・ひ・こ……」

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 この年の旅から携帯電話を持つようになった。当時3歳の娘が電話で話したいと言うので、なるべく文明の利器は持たないように、少しでも松尾芭蕉の気分に近づきたいという考えを曲げて持って来たのだった。

 弥彦山

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 奥の細道踏破の旅は、この年で11回目を迎えた。弥彦山は638メートルの海に面した山で、南には越後平野に点在する吉田、巻、燕、三条といった町の様子が一望できる。芭蕉は登らなかったようだが、来た道行く道を上から眺めてみようと登ってみた。そして山頂で休憩しているところに着メロが鳴ったのだった。当然圏外だろうと思っていただけに驚いたが、やはり山頂だけに入りやすいのかと感心した。風が心地よい。日本海を眺めながら娘と話しているのが不思議だった。弥彦山の麓には越後の国の一宮である弥彦神社がある。その神社の御神体がこの山なのである。そしてこの日、7月25日は弥彦祭りだった。

 祭りの当日にそれほど大きくない町で宿探しをするのはひと苦労だ。何軒か尋ねたあげく、ようやく旅館の離れならと言われ、部屋に向かうとプレハブ小屋の不思議な建物だった。20数キロ歩いた上に山まで登ったので、早速風呂に入り、夕食を食べた。部屋に戻り、何となくウトウトとしながら松坂大輔(今や見る影もないが)の初オールスターゲームを観ていた。時計を見ると午後8時前だ。

 その時だった。ドーンという轟音とともに部屋が揺れた。次いでバーンという音。慌てて窓を開けると旅館に隣接する公園で花火を打ち上げている。続いて2発目。部屋の机の上のコップが震動で音を立てる。部屋から飛び出し裏口から路地へ出る。3発目。頭上一面の花火。思わず笑ってしまった。人は予想外の事に出会うと笑うものである。それが楽しいことなら尚更だ。

 私はそのまま引き寄せられるように祭りの中心まで歩いていった。かろうじて部屋には鍵をかけたが、フロントも通らず宿の下駄履きのままだ。カランコロンと下駄を鳴らしながら車輌通行禁止となった道の真ん中を歩く。道の左右はシートを敷いた人で埋まっている。旅館の窓、民家の屋根の上の人々が皆うれしそうだ。屋台でイカ焼きを買い、路上に座り込んで花火見物をする。一発一発の大型花火を、町内の会社や店が費用を出して打ち上げている。どこの何という団体による花火なのかということが放送で一発ずつ説明される。

 30分ほど夜空を見上げていると、山の方からたいまつの行列が来たので、私は腰を上げた。ちょうどいい。宿にカメラを取りに帰ろうと思った。ところが宿の近くまで来て、ポケットに入れたはずの部屋の鍵がないことに気がついた。部屋の名前が記されたプラスチックの棒がついた、よくあるタイプのものだ。落とせばわかりそうなものだが、それに気づかないのが祭りの夜だ。路上に座りこんでいたときに滑り落ちたのかも知れない。

 急いでもとの場所に戻ったが、たいまつの行列が通り過ぎた後、再びレジャーシートが敷かれ大勢の人が座っている。私は仕方なく事情を告げ、20人ぐらいの人にシートの下を見てもらった。こういう文章の常として、皆、心安く調べてくれたといいたいところだが、実際は露骨に嫌な顔をされた。「え−っ。弁当広げたのに。」とか言われてしまった。恥ずかしく情けなかった。仕方ない、持ち出した方が悪いのだ。

 鍵は出て来ず、私は宿に戻り頭を下げた。すると、宿の主人が言うには鍵の落とし物の連絡があり、今バイトの学生を祭りの本部まで取りに行かせているとのことだった。宿の主人は丁寧な口調でそう言ったが、目は冷ややかだった。ホッとしたと同時に反省した。こういうことになるから横着は禁物だ。見つかってよかった。そうでなければ何人もの人が嫌な思いをした。

 今度はフロントに鍵を預けて祭りに戻る。花火は9時前に終わり、次いで灯籠祭りが始まっていた。1000年続くこの神事は、男たちが歌いながら、燈篭と呼ばれる花や低木で飾られた台を差し上げ、回し、練り歩くというものだ。その灯籠が歌声とともに次々とやって来る。若い者も年配の者も一緒になり、熱気と酒で真っ赤になって見物人にいいところを見せようとする。伝統あるそれでいて身内意識の高い祭りだ。

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 周囲から掛け声か掛かり、担ぎ手の男たちかそれに応える。「若い者にはまだまだ負けん」と「まあ自分たち若い者に任せて少しは気を抜いて」という世代ごとの思いがぶつかり合うこともなく収まっている。男たちの「よーいとこ、よーいとこだー。」の歌声か心地よく耳に残る。ふと見ると通りの反対側に宿の主人かいる。目が合うと笑って手を上げて下さった。うれしかった。その目が「いい祭りでしょう」と語りているようだった。

 弥彦祭りの日から2日後、私は出雲崎を目指して歩いていた。この日は朝から異様な暑さで、宿を出た時から空気は淀んでいた。ものすごい気温になりそうだ。前年の日射病のことを思い出した。しかし、この日の行程はわずか15キロと今回の旅の中で最短である。1日平均25キロを昼食、休憩含めて7、8時聞で歩くのが、この旅の基本パターンなので、15キロは楽勝だった。

 昼頃には出雲崎に着く。その後はのんびりとこの古い港町を味わおうという狙いなのだ。それにしても暑かった。小さな海水浴場を時々右手に見ながら海岸線を歩く。平日ということで人は少ない。快晴。海の家の白い柱に掛けられたラジオが、今日の予想最高気温が38度以上であることを告げていた。暑いはずだった。それにしても38度以上とはどういうことなのだろう。そもそもそういう予報はありなのだろうか。38度なのか40度なのか、はっきりしてほしい。一番暑い時間帯までに着こうとの思いで先を急いだ。

 昼を過ぎた頃、出雲崎町に入る。出雲崎は日本海と背後の低い山に挟まれた細長い小さな町だ。その山を越えるとJRの駅があり、その周辺は現代の小さな町という感じだが、海沿いの方は芭蕉が訪れた往時を偲ばせる。古い木造りの二階家か道の両側を埋める町並みになっている。当時は佐渡ヶ島への渡船場として賑わっていたのだが、今ではすっかり鄙びた田舎町だ。

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 ところがその鄙びた感じに、狭い道に、背後に迫る低い山の中腹に町を見下ろすようにある社寺に、何とも言えぬ風情があるのだ。またこの町は芭蔦か通過した約70年後に生を受けた、良寛和尚生誕の地として有名である。町の中ほどの生家跡に小さな堂が建ち、その裏に日本海を見つめて良寛坐像がたたずむ。それほど古い像ではないだろうが、あまり大きくないのがなかなか良い。このまま何百年も海を見つめていてほしいものだ。どこか高い所からこの小さな町を眺めてみたいと思い、急坂を登り裏山の頂上付近の良寛記念館を目指す。そこには夕日の丘公園があり、日本海を見下ろす眺めは新潟一だと何かの観光案内で読んだことかあった。

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 記念館から木の生い茂る丘を蜂に追われながら登る。うねうねとした道を進んでいくと突然目の前が開け、公園の遊具のような、山頂から突き出た見晴らし台がある。登ると目の前を遮るものは何もなく、空中に投げ出されたような感じである。眼下に薄く伸びたような町並み。黒を基調とした屋根瓦の二階家。良寛堂が小さく見える。狭い道。そしてその向こうにどこまでも広がる日本海。思わず声か出る。これこそ新潟一の眺めだ。町が鄙びているからまた良い。

 電話をしようかと携帯を出すと圏外。でも、まあいいか。これは電話で伝えても意味かない。いつか自分の目で見るべき眺めなのだ。「お前が3歳の夏、お父さんはこの眺めを見せたい」と思った。そんな話をしながら再びこの場所に立ちたいものだ。そう思い見つめる紺碧の海の向うで、夏の霞の中から佐渡ヶ島が姿を現わしはじめていた。

 次回は第30回「道ならぬ恋の聖地、トンネル駅の村」(柏崎、青海川、筒石 新潟県。2000年 夏)です。

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2017/3/20

卒業生バイオリン演奏&ピアノ伴奏  学校紹介

 3月17日の合格者説明会の終了後の待ち時間を利用して、卒業生2人に演奏してもらったときの動画。例によってこのブログの動画の1ファイルは2MBまで。いくつかに分割して「You Raise Me Up」と「Wake Me Up」の全曲をアップします。

 ほんまによかったぞ。もう一度こんな機会を設けてじっくり聴いてみたい。お疲れ様でした。ありがとう。

You Raise Me Up

You Raise Me Up 1.mp4

You Raise Me Up 2.mp4

You Raise Me Up 3.mp4

You Raise Me Up 4.mp4

You Raise Me Up 5.mp4

You Raise Me Up 6.mp4

You Raise Me Up 7.mp4

Wake Me Up

Wake Me Up 1.mp4

Wake Me Up 2.mp4

Wake Me Up 3.mp4

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Wake Me Up 5.mp4

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Wake Me Up 7.mp4

2017/3/20

体育祭団長からのメッセージ 2団  学校行事・生徒会

 41期生2団団長になりました、2年2組 O です。

 軽音楽部に所属しています。軽音楽部ではギターを担当していて、ギターチーフやロック研究会会長を任されています。2組では前期 学級代表でした。

 2組は活発な人が多く、授業と休憩時間の区別ができてないと注意を受けることがあります…。でも、逆に言えばなんでも積極的に取り組んでくれる人が多いということです! なので、その良さを引き出して2組らしい雰囲気で体育祭に挑みたいと思っています。

 2団としてはテーマも決まり、それに続いて衣装やマスコットなどの案も決まり順調に進んでいます。4月に入れば各部門のチーフを中心にもっと細かいこともどんどん決めていき、衣装やマスコットの製作にも取り掛かっていきます。

 今は、団長としてはまだまだな部分がほとんどでみんなをうまくまとめきれていないですが、これから体育祭に向けて2団や学年をまとめていきたいです。

 今回は例年とは違い、総団長を置かないことになりました。そのことにより、デメリットもあるかもしれませんが7人の団長・各クラスの三役・生徒会・先生方などで力を合わせて少しでも"良い"体育祭にできるように頑張ります。


 新1年生は柴島高校での初めての体育祭を思う存分楽しんでください。そのためにも何か分からないことがあれば近くの先輩などにいつでも聞いてください!

 新2年生は2回目の体育祭で、新しいクラスになってすぐの行事ですがみんなで協力していきましょう! 1年生同様分からないことがあればいつでも聞きにきてください!

 新3年生は高校生活最後の体育祭です。自分にも他人にも最高の体育祭になるように心がけて行動してほしいです!振り返ったときに一番楽しかったと思えるような体育祭にしましょう!!

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2017/3/19

我、雑草と格闘す!!  学校紹介

 ガーデニングにとって一番厄介なのが「雑草」。まさに「不倶戴天の敵(ふぐたいてんのてき)」「天敵(てんてき)」「仇敵(きゅうてき)」「大敵」「対抗勢力」などの罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせても浴びせきれないほどである。

 本日、PTA会費で購入したアリッサムや「日本四大香木」の3つ、ジンチョウゲ、クチナシ、キンモクセイが並ぶ花壇の雑草抜きにチャレンジした。花壇の縁に並ぶアリッサムの中には、雑草に埋もれて瀕死状態になっていたものもあり、一刻も早い救援が緊急の課題であった。

 50代後半の自分の雑草抜きパワーを「5」として、生徒諸君の雑草抜きパワーを男子「8」女子「4」としよう。かれこれ自分ひとりで5時間はかかったので、仕事量は「5×5=25」と考えられる。ということは、男子「8」が3人がかりでやっても、女子「4」が6人でやっても1時間余りでやれたことになる。

 PTA会費で花壇に花を植えるのは簡単だが、水やりや雑草抜きなどそれを維持するのが一番大変なのである。生徒諸君の中でだれか手伝ってくれる人はおらんやろか。

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 数ある雑草の中でもこれが一番手ごわい。左が抜いたものでその根の深さやしつこさは天下一品。右は地面に生えているやつ。

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 90リットル5袋の収穫がありました。トホホです。

 今日のジンチョウゲ匂い人

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(追記)今日は硬式テニス部の同窓会があり、多くのOB・OGが花壇の間を通ったが、その中で数人のOGの一団が、「精が出ますね」「いろんな花が増えてありがとうございます」「頑張ってください」と声をかけてくれた。こういう声をかけてくれると、やっぱりうれしい。在校生諸君もそんな一言が言える若者になってほしいものだ。この一団に「ジンチョウゲ、匂ってくれへん」と言わなかったことが悔やまれる。



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