2017/5/7

5月7日 日曜日の風景  学校紹介

 種から育てたのが土から芽を出した。なんの種か不明だが、これを調べるのは生物部としての責務だろう。頑張ってほしい。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 この4月にプロに植えてもらったヒラドツツジ。葉っぱを見ると下を向いて元気がないのが多く、なんか心配する。そういえば前年度に反対の花壇にジンチョウゲを植えた時も下を向いて元気がなかった木があったが、この春、見事全部のジンチョウゲが花を咲かせたので、まあ大丈夫だろう。

クリックすると元のサイズで表示します

 中には上を向いてイキイキとした葉っぱもある。

クリックすると元のサイズで表示します

 明日よりクラブより団活動優先となり、校内各所で各団が練習している風景を見ることができるだろう。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 外が晴れて明るいときは、タペストリーの色鮮やかさがより一層鮮やかになる。

クリックすると元のサイズで表示します

2017/5/7

この地図が欲しい!! この地図を使って授業がしたい!!  授業・HR

 5月連休某日の夜、大江橋にて堂島川の川面に揺らぐ夜景などを撮影する。

クリックすると元のサイズで表示します

 ライトアップされた中之島ガーデンブリッジ。

クリックすると元のサイズで表示します

 御堂筋が走る大江橋。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 JR大阪駅。ひと昔の大阪駅を知るものにとって、ここ最近の駅周辺の激変ぶりは目を見張るものがある。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 さて中之島ガーデンブリッジであるが、橋の北詰になにやら工事現場らしきフェンスがあり、その壁面に古地図や昔の大坂を描いた錦絵がギャラリーのように貼られている。

 中でも自分が注目したのが、日本史の資料集にも掲載されている「改正増補国宝大坂全図」(大阪城天守閣蔵)であり、江戸時代末期の文久三(1863)年当時の「水の都」大坂の様子がよくわかる地図だ。この春休み、社会科の先生方と一緒に中之島界隈をめぐるフィールドワークにチャレンジして、中之島に架かる橋をすべて制覇したが、その時からこの古地図が気になって仕方がなかった。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 工事が終了すればこのギャラリーの古地図や錦絵は無用の長物となるはず。少し分厚めの巨大な古地図を関係団体に電話してなんとか譲ってもらい、日本史の授業で教室の真ん中において生徒に見せたり、あれやこれやと説明したい。

 なんでもダメもとでチャレンジするのである。

 古地図と現在の地図を重ねちゃいました。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 現在の地図で「肥後橋」の文字がある辺に南北に走る高速道路があるが、そこは江戸時代、運河のような川が南北にあったことがわかる。その川が「西横堀川」で、関ケ原の戦いがあった1600年に開削され、物資を運搬する船が行き来した。

 そして日本が高度経済成長期真っ只中の1962(昭和37)年、物資運搬の主役が自動車に代わり、運河としての役割を終えた「西横堀川」は埋め立てられ、その上に阪神高速1号環状線が建設された。

クリックすると元のサイズで表示します

 大阪には「長堀橋」「心斎橋」「四ツ橋」「桜橋」など、その地に川や運河がないのに「〜橋」とつく地名が多いが、それはその昔、そこに川や運河があったことを示す。

 何を隠そう(隠すつもりはないが)、本校正門を出て右にある阪急の踏切の正式名称は「飛鳥橋踏切」といい、現在、阪急の高架工事が行われている場所に昭和40年代ぐらいまで川が流れていた。今から70年以上前の戦前、春になると川に稚鮎が遡上するような清流であったと、地元の古老から聞いたことがある。

クリックすると元のサイズで表示します

 地名や踏切の名前、ついでに申せば電信柱の名前には、歴史好きにはたまらないヒントが隠されているのだ。



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ