2017/6/8

3年生 木曜日6時間目  進路

 木曜日の6時間目。3年生は進路別に分かれて、問題の取り組んだり面接練習をしたり。

 ここは公務員志望グループ。君たちの先輩で同じ志を持つ者たちが集まって、放課後、おそくまで問題を一緒に解いたりして、見事全員志望を叶えた人がいたぞ。

 学びあい教えあうことで互いに切磋琢磨して実力が伸びた好例だ。しっかり頑張れ!!

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

2017/6/8

観光学大阪城FW下見(5)  授業・HR

 我らがケイオンのリハーサルを終え、野外音楽堂前で解散。その後、夕焼けに染まる天守閣を撮影すべく生徒とは反対方向へ歩く。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 バス駐車場に向かう外国人観光客。 

クリックすると元のサイズで表示します

 ネットニュース「ZUU ONLINE」(6月6日)に以下のような記事が掲載されていた。

 日本政府観光局(JNTO)の報道発表資料によると、2016年の訪日外客数は2400万人、2017年は4月までに既に900万人を突破、4月は前年同月比23.9%増の257万9千人と単月で過去最高を記録した。その背景には航空路線の拡大や寄港クルーズ船の増加などがある。2020年には東京五輪・パラリンピックを控え、訪日外国人旅行者の増加はまだまだ続きそうだ。

 その後、最近の外国人観光客をめぐる問題が記載さ入れていた。

(1)「公道カート」(50CC以下の4輪自動車)を集団走行して観光名所を巡っている。シートベルトやヘルメットの着装義務はないが、日本の交通ルールに不慣れなことや、カートの車高が低いためにバスやトラックなどの大型車両から死角になることも懸念されており、東京では交通事故が相次いでいる。

(2)日本国内を旅行中に不慮のケガや病気により病院を受診するケースが増えている。訪日外国人の中には海外旅行保険に未加入のために、医療費を未払いのまま帰国してしまう人もいる。

 2020年東京五輪・パラリンピックまでに訪日外国人旅行者4000万人という目標が掲げられているが、上記のような問題を克服しつつ、成熟した「観光立国」の実現のためには、ハード面とソフト面のインフラ整備が必要であると、記事はまとめられている。

 先日のケイオンの付き添いで気づいたことだが、大阪城天守閣のある「本丸」では完全に外国人観光客が「マジョリティ」で、それ以外の人が「マイノリティ」であることを実感した。ちまたでよく耳にするマナーの悪さなどを感じることは全くなかったが、実はこのリハの日に、自分が思うベストビューポイントの近くで、「ドローン」を持った外国人男性が警備の制服を着た男性に注意されてドローンを持って去っていくシーンを目撃した。

 大阪城公園内で「ドローン」の扱いはどうなっているか知らないが、もしも「ドローン」が墜落したときのことを考えると何らかの規制はあるだろう。当然、「ドローン」で上空から大阪城を撮影したい日本人もいるかもしれないが、外国人を相手にしたときに問題になってくるのは「言葉」と「異文化」である。

 多くの外国人観光客が来日するのはうれしいが、それに伴って増加する問題を克服できるのはやっぱり「意思疎通」であり、それには「言葉」と「異文化理解」、それに「コミュニケーション能力」が必要である。

 上記の記事のように「ハード面とソフト面のインフラ整備」が必要だ。受け入れる側の体制が追い付いていないのに「訪日外国人旅行者4000万人」が最優先の数値目標となり、たとえ目標を達成できても、その後、「また日本に行ってみたい」というリピーターの獲得は難しいだろう。

 さて、この日、すれ違った無数の外国人観光客は、日本、そして大阪にどういう印象を持って帰国したのだろうか。


 地元の人と思しき親子。夕焼けを受けた長い影が印象的。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 ベストビューポイントにて撮影中、突然背後上空に飛行機雲が出現。あまりの美しさにしばし見とれる。この日、青空の各所に飛行機雲を見ることができたが、飛行機雲が出現しやすいということは湿度が高いということで、次の日に雨になりやすいという。

 撮影日はリハのあった6月4日の土曜日。本番のあった日曜日の天気は晴れ。まあ、こういうときもあるだろう。

クリックすると元のサイズで表示します

 月齢「8」の月が、夕刻ではあるが空高くに見える。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 「京橋口」

 下の「徳川時代の大坂城」の赤丸のところ。これを見ても分かるように、大阪城に侵入する経路のうち、北西を担当する重要な場所。当然、櫓や門があったはずだが、写真のように石垣のみ。

 ちなみに青の「伏見櫓」は、1945(昭和20)年の空襲で焼失した。

 観光学の大阪城FWは、毎回地下鉄の谷四から歩いている。下にもあるように赤の線のルートで、大手門から入城する。

 そこは大手門や多門櫓が現存しており、たとえ大手門を突き破られても、周囲の白壁や櫓から容赦なく火縄銃で攻撃できるようになっており、他の「玉造口」や「京橋口」も同じような防御機能があったはずだ。

 何かの折にこの「京橋口」を訪れた際、目を閉じて周囲に櫓や白壁がある光景を思い浮かべてほしいものだ。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 「京橋口」の石垣の上から外堀と追手門学院の校舎を見る。ここも昔は櫓か城門などの構造物があったのだろう。

クリックすると元のサイズで表示します

 同じ場所からみた「京橋口」。向こうの石垣をみて、なんとなく櫓と城門がこの場所にあったことが想像できる。ここの建物は、1945(昭和20)年のアメリカ軍の空襲で、ことごとく焼失した。

 写真の奥に見える巨石が「肥後石(ひごいし)」。広さ33畳敷きで大阪城内では、すでに紹介した「蛸石」についで2番目に大きい石とされている。

 その名は、肥後(熊本)の加藤清正が工事を担当したからだといわれているが、実際に京橋口の工事を担当したのは「桜門」と同じく岡山藩であった。

 本来なら「備前石(びぜんいし)」というべき石なのだ。この時の岡山藩の藩主(大名・殿様)の池田忠雄は、今頃あの世で「なんでやねん」と悔しがっていることだろう。

クリックすると元のサイズで表示します

 少し北に行くと石垣の上にレンガの壁がみえる。ここが「筋鉄門跡」で、明治初期に両脇の石垣の上にレンガの塀が築かれ「大阪陸軍造兵廠」の正門として使用されていたという。

クリックすると元のサイズで表示します

 さらに入ると、「旧陸軍第4師団司令部」とともにレトロな建物として有名な「化学分析場」がある。大阪城の周辺にあった「陸軍造兵廠」(東洋一の軍需工場)で現存する唯一の建物だ。

クリックすると元のサイズで表示します

 1987年まで自衛隊の施設として使用されていたが、今は閉鎖されたままになっており、今後のことは何も決まっていないらしい。

クリックすると元のサイズで表示します

 後は朽ち果てるのを待つだけなのか。本当にもったいない。

クリックすると元のサイズで表示します

 その後、地下鉄天満橋駅まで歩き、昨年11月に『ブラタモリ』でも紹介されていた上町台地の北端と目される階段を撮影する。

クリックすると元のサイズで表示します

 ちょうど「北大江公園」の北側にある階段で、この公園では毎年10月に「たそがれコンサート」が開催されているらしい。

 月齢「8」の月が、ちょうど南の夜空に煌々と輝いていた。

クリックすると元のサイズで表示します

2017/6/7

観光学大阪城FW下見(4)  授業・HR

クリックすると元のサイズで表示します

 「玉造口」を左に行った地図「A」に「蓮如」関連のモニュメントがある。

 「蓮如(れんにょ)」は、「親鸞(しんらん)」が始めた「浄土真宗」が一時期衰退した1400年代後半に、「浄土真宗」を再興した僧侶。その教えを手紙の形で分かりやすく説いた「御文(おふみ)」を駆使して信者を獲得し、浄土真宗本願寺派の「中興の祖」とも呼ばれる。

 その「蓮如」が、1496(明応5)年に、上町台地の北端のこの地に石山御坊(のちの石山本願寺)を建立。「大坂」という地名を「御文」の中で初めて記したのも、この「蓮如」と言われている。

 「石山本願寺」の周辺には多くの信者が集まり「寺内町」ができる。モニュメントの説明文によれば「御影堂・阿弥陀堂を中心に、六町二千軒におよぶ町家が建ち並んでいた」「たくさんの職人や商人が生活しており、当時の堺とならぶ豊かな都市生活がくりひろげられていた」とあり、現在の大阪の発展を築いたのはまぎれもなく「豊臣秀吉」だが、その前段階として「蓮如」の名前を忘れてはならない。

 やがてその「石山本願寺」は、時の権力者である「織田信長」と対立し、1570(元亀元)年から11年間に及ぶいわゆる「石山合戦」の後、大坂を退去して、最終的に京都に本拠地を構えた。

 その「石山本願寺」跡に、1582(天正9)年、大阪城を築いたのが「豊臣秀吉」である。


 写真の石柱にある「南無阿弥陀仏」は「蓮如」直筆とされる。近くに「蓮如上人袈裟(けさ)がけの松」(要するに蓮如が僧侶の服である袈裟をかけた松)の「切り株」があるが、徳川時代に全部埋めたはずなので、あくまでも伝説とされている。 



 内堀と向こうに見える大阪ビジネスパークの高層ビル。写真左の石垣の上には、銃眼の穴のある白壁が連なっていたはずだ。

クリックすると元のサイズで表示します

 日本一美しいと言われる大阪城の石垣。その様式美にうっとりするが、なにやら石垣の表面に文字らしきものを、地図「B」の「桜門」近くで発見。

クリックすると元のサイズで表示します

 2代将軍の秀忠は、全国の大名を総動員して「2代目大坂城」を作らせたが、そこで「ここは自分らの藩がやったんですよ」とアピールするため、家紋やこのような印が石垣の各所にある。

 天守閣の北に「刻印石」が置かれているので、興味を持った人はぜひ訪れてほしい。

クリックすると元のサイズで表示します

 外国人観光客の往来でにぎわう「桜門」。残念ながら明治維新の際に焼けてしまったが、その後、大阪城を使っていた「陸軍」が再建した。

 この「桜門」の瓦の家紋が、徳川家の「三つ葉葵」ではなく、豊臣家の「桐」というのが興味深い。薩摩&長州が中心の明治政府や「陸軍」からすれば、徳川家の「三つ葉葵」は葬り去りたかったのだろう。

 左が豊臣家の「桐」。右が徳川家の「三つ葉葵」。

 江戸時代初めの1620年の再建時に、豊臣時代の大坂城はすべて地面の下に埋められたので、大阪城にある建築物の家紋はすべて「三つ葉葵」のはず。「桐」ならばそれは明治以降ということになる。大阪城を訪問するときの参考にされたし。

クリックすると元のサイズで表示します

 前回紹介した「玉造口」にも、江戸時代にはこのような太い柱と鉄扉があったはずだ。

クリックすると元のサイズで表示します

 「徳川時代の大坂城」を一部拡大

クリックすると元のサイズで表示します

 門を入ってすぐに目につく巨石。「蛸石(たこいし)」といい、大阪城内にある巨石で一番大きな石だ。ここを担当したのは岡山藩の池田氏で、石材は犬島、沖ノ島、小豆島など瀬戸内海の島々から切りだされた花崗岩が使用されている。

 「蛸石」の広さは「畳36枚=59.43平方メートル」、教室が「73」なので、教室より一回り小さいぐらいか。

 この石の分厚さは「50cm」程度と意外に薄いことで知られている。ドーンと掘り出した巨石を丁寧に丁寧に加工して、厚さ「50cm」で教室より一回り小さな「板」にした当時の技術の高さに驚かされる。

 このエリアは他にも巨石が集中しており、大阪城の巨石ベスト10の半分がここにある。岡山藩の大名(=殿様)の池田氏は、「わたし、こんだけ頑張ったんですよ」「将軍、岡山藩のこと、よろしくたのみますよ」と猛烈にアピールしたことだろう。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 前回のブログで紹介した「旧陸軍第4師団司令部」は現在修復中。9月の観光学FWに間に合うかどうかは微妙。その重厚な姿を生徒に見せたいものだ。

クリックすると元のサイズで表示します

 大阪城 天守閣

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 天守閣の南に鎮座する残念石

 1620(元和6)年から始まった大坂城修復の時、小豆島(香川県)から運ばれた多くの石の中で、残念ながら使用されたなかった石のふたつ。

クリックすると元のサイズで表示します

 これの興味深いのは、石の縁に並んだ歯形のような跡。石を切り出すとき、どのような方法でやったかのヒントになる。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 大阪城の天守閣の南は、土産物屋などがあってたくさんの観光客でにぎわっているが、北は観光客も少なくて案外のんびりできる。地図「C」は「山里丸」とも呼ばれ、5月ごろはキリ(豊臣氏の家紋は桐)が満開となって美しく、「豊臣秀頼・淀殿ら自刃の地碑」「刻印石広場」などがあって、歴史好きには面白い場所である。

 アメリカの空襲で被害を受けたり機銃掃射跡の石垣があるもの天守閣の北である。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 極楽橋

 「石山本願寺」や「豊臣秀吉」時代にもここに同じ名前の橋があったという。大阪城と「石山本願寺」のつながりを今も残す橋の名前だ。

クリックすると元のサイズで表示します

 「極楽橋」を降りて「内堀」沿いを左(西)へ。しばらく歩くと、自分が考える「天守閣ベストビューポイント」に到着する。あまりにも美しいその姿をみて、日本の城郭が世界に誇る建築美に思いをはせる。

クリックすると元のサイズで表示します

 この石垣の上にも白壁と黒い瓦の構造物があったと思われるが、ここだけはさすがに今のままでええかな。

クリックすると元のサイズで表示します

 ベストビューポイントから引き返して、内堀沿いを反時計回りに歩く。大阪城ホールに至る「青屋門」近くで、どこかの若者の団体が「よさこい」か何かの練習をしていた。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 地図「A」に戻ってきて「内堀」の一部の「空堀」を撮影。なぜこのような段差になっているのだろうか。不思議だ。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

以下次号

2017/6/6

子どもの発達と保育  授業・HR

 今日は各々好きな絵本を持ち寄り、「本の紹介」と「読み聞かせ」を行いました。

 小さい頃に読んでいた絵本、この授業がきっかけで初めて知った絵本などなど、持ち寄った理由は様々。

 どちらにせよ、絵本の良さを改めて考える良い機会になったようでした。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します


2017/6/6

観光学 初夏の京都FW 本番 おまけ  授業・HR

 晴れの日はフォトジェニック!! 生徒諸君もスマホだけでなく、将来、ちょっとはましなデジカメを買って記憶に残るような写真を撮影してほしいものだ。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

2017/6/6

観光学 初夏の京都FW 本番  授業・HR

 本日、観光学史上、最高の晴天と言っていい中、初夏の京都を満喫した。

 朝からこの天気。もちろん雨よりはマシだが、あまりによすぎる天気もフィールドワークの時は考え物だ。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 体育館下13時集合。4時間目が12時45分に終わるのでその間わずか15分。過酷な集合時間と思われるかもしれないが、往復800円の電車賃を有効活用するためにはこれもやむなし。参加者全員の意識が高かったのか13時3分に出発。ワンダフル!!

クリックすると元のサイズで表示します

 阪急河原町駅下車して地上に出て、「四条大橋」を渡る。橋の途中で立ち止まって北(上流)を見る。一陣の風を感じてくれただろうか。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 四条大橋を渡って左折。「川端通」を北上して「白川」が流れるところを右へ。京都ならではのファミマとセブンイレブンをみて、いよいよ景観条例の授業で取り上げた「祇園新町」ストリートへ。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 さすが広角レンズ。左が白川沿いで右が「祇園新町」。桜満開の頃、白川沿いはライトアップされてそれは情緒があったが、近年、観光客が集まり過ぎて安全確保ができないと判断してライトアップは中止となったらしい。残念。

クリックすると元のサイズで表示します

 観光学初めてのルートに挑戦。担当者が「Google Earth」で見つけた「路地(ろーじ)」を北上する。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 太平洋戦争中にほとんど空襲を受けていない京都は、このような古い家屋が立ち並ぶ細い道がそこかしこにある。

クリックすると元のサイズで表示します

 ほどなく「三条通」に出る。外国人観光客の口コミサイトで人気が出た「サムライ剣舞シアター」を発見。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 恒例の「懐古庵」見学。もちろん事前に許可をとって見学。「路地」の左にある長屋を長期滞在ができるように内装工事をして、宿泊施設とした。これも外国人観光客の「口コミ」でじわじわと知られるようになり、この日もすべての部屋で宿泊客がいたようだ。

 当然、外国人観光客でない我々も宿泊ができる。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 さすがに疲れたので「二条通」にある「イオン」をめざす。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 やっぱり京都と言うべきか。「イオン」のイメージまるでなし。スマホを持っていない観光学担当者の「Y&S」が下見の時、アイスクリーム休憩のためのコンビニを探すのに苦労したが、この「イオン」を探すのも苦労した。ド派手で道に突き出た看板は、中心部から離れたこの辺でも禁止されているのだろうか。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 琵琶湖疎水の「夷川発電所」の手前にある大きな池でアイスクリーム休憩。はるか向こうに「大文字山」がみえる。8月16日の「五山の送り火」のとき、おそらくこの池の周辺は見物客でごった返しているだろう。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 閑静なサクラ並木に突如「ゴーッ」とうなりをあげて水が噴き出している。どこかの建物でなんらかの原理で水力発電をやっているので、この発電所は関西電力が管理している。

 生徒諸君には、次回、プライベートで桜満開の季節にぜひ訪問してほしいものだ。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 「川端通」を渡って鴨川左岸の河川敷に降りる。いよいよ、観光学FWで毎度計画倒れに終わっていた「飛び石」だ。鴨川の水、あくまでも清く浅い。これならアミティエの2年生男子も渡れるはずだ。京都あるある「地元の人は飛び石を渡らない」。確かにそうみたいだ。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 15時25分ごろ、三条大橋やや北にて解散。

クリックすると元のサイズで表示します

 解散後、狭い道が特徴の「先斗町(ぽんとちょう)」を通って河原町駅をめざす生徒たち。

 先斗町歌舞練場 先斗町で働く舞妓や芸妓が踊りなどを練習するところだ。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 「錦市場」をめざす生徒と一緒に新京極商店街を歩く。アニメ「けいおん」に登場する楽器屋さんのモデルとなった店だ。

クリックすると元のサイズで表示します

 錦市場 なんでもそろっている京の台所 

クリックすると元のサイズで表示します

 その後、自分は7月の祇園祭FWの下見に四条烏丸、四条大宮をめざす。途中、大丸百貨店地下1階で京都の和菓子を研究。本店以外の出店でもしかしたらと期待したが、かの有名な「ふたば」の「豆餅」はやっぱり「完売」だった。

クリックすると元のサイズで表示します

 一昨年の祇園祭FWで集合解散場所となった「四条通」に面している「スマイルホテル」。さて今回はどこを集合解散場所にしようかな。

クリックすると元のサイズで表示します

 四条大宮駅に向かう途中、京都市立堀川高等学校があり、そのすぐ東に「本能寺跡」のモニュメントを発見。屋根を町家風にしたコンビニのすぐ北にある。

クリックすると元のサイズで表示します

 1582年の「本能寺の変」があったのがここ。現在の本能寺は、豊臣秀吉の命令で四条河原町に移転したもの。

クリックすると元のサイズで表示します

 7月祇園祭のFWは、「後祭」に登場する山鉾の組み立てるところを見てもらう予定だ。お楽しみに!!

2017/6/6

観光学大阪城FW下見(3)  授業・HR

 前回のブログで紹介した大阪城野外音楽堂の前にある階段を登って、「玉造口」より大阪城の天守閣をめざす。

 地図をみてもわかるように、階段を登った近くに広い「バス駐車場」があり、団体で来日した外国人観光客の大半は「玉造口」を利用して天守閣に向かう。

クリックすると元のサイズで表示します

 工事中の壁面に貼ってあった「徳川時代の大坂城」の「玉造口」付近を拡大してみた。画面中央やや上にみえる「玉造口」は、櫓などが現存する「大手門」と比べて負けないくらいの防御機能があったことがわかる。

クリックすると元のサイズで表示します

 現存する「一番櫓(やぐら)」を左に見ながら、「玉造口」に向かう。

クリックすると元のサイズで表示します

 残念ながら「二番」「三番」は太平洋戦争の時に、「四番」「五番」は幕末の時に焼失した。

 外国人観光客でにぎわう「玉造口」。当時の想像図と比べて、現在は石垣しか残っていないことが分かる。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 日本の城郭を訪問した時、今は石垣しかない場所に、往時はどんな建物があったかなどを目に浮かべながら歩くことをおすすめする。おそらくこんな感じかな。(黒は瓦や鉄の扉、白は白壁、茶色は柱)

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 白壁の土台にも鉄砲の銃眼があり、写真を見てもわかるように火縄銃を左右に移動することもできたはずだ。

 何かのおりに城郭を訪問することがあれば、石垣ばかりが並んでいる単調な風景の上に、実は白壁や建物などの構造物があったことを想像してほしい。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

以下次号

2017/6/5

軽音楽部 天下統一リハーサル(2)  クラブ

 一昨日のリハーサル報告に引き続く第2弾。

 結局昨日の本番ではめでたく「カヴァー部門大編成の部」で最優秀賞を受賞したそうだ。カヴァー部門大編成の出場校は7校。付き添いを始めてから分かったことだが、どの学校も大阪や関西では強豪で知られる学校で、その中で最優秀に選ばれたのだから自信を持っていいだろう。

 彼女らを見ていて、とにかくうらやましい。「自己表現」という意味では、大半の世の「高校生経験者」がめったに経験できないような、多くの聴衆を前になんと大阪城野外音楽堂でパフォーマンスをしてるんやから。大阪城来訪客の4分の3以上を占めているであろう外国人観光客や家族連れの耳奥に、彼女らの歌声や演奏が残ったはずだ。

 こんな経験なんてほとんどの人間はできずに人生を終える。堂々と「自己表現」をやり遂げた今日の経験は、彼女らの将来の人生の中で何らかの形で必ずプラスとなる。その経験の一翼を、リハの付き添いという形で担えたことはうれしいことだ。おまけにフィールドワークの下見もできちゃいました。

 主催する音楽系の専門学校に卒業したケイオンOG40期生も元気に頑張っていた。

クリックすると元のサイズで表示します

 多くのスタッフに支えられてコンサートは成り立っている。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 カナダから来た青年が登場。観光学で「Youは何しに日本へ」をやらせている手前、一応「どこから来たの」と聞くと、「CANADA」と書いたTシャツを見せてくれた。「どこの高校?」と聞いてくるので「クニジマハイスクール」と答えると、スマホの地図を自分に見せて「Where?」と聞くので、「ここ」と指さした。

 「スマホ」の登場によって、外国人との会話は劇的に便利になったのではないかと思う一幕だった。年齢とか大阪の宿泊場所など、もっと聞いとけばよかったなあ。

クリックすると元のサイズで表示します

 大阪城の外国人観光客は、中国系や韓国系が多くを占めていたが、西洋系の白人やへジャブをかぶったイスラム系もいた。さすがに写真のようなインド系は少なかったなあ。

クリックすると元のサイズで表示します

 リハーサルを終えて家路につくケイオン。背中にギターを背負っている姿は、まさに京都を舞台にしたアニメ「ケイオン」そのものだ。

クリックすると元のサイズで表示します

2017/6/5

観光学大阪城FW下見(2)  授業・HR

 「大阪城」といえば「豊臣秀吉」というイメージが強いが、残念ながら「豊臣秀吉」時代に作られた大阪城の遺構はすべて「土の中」にある。以下その関係年表。

1583 豊臣秀吉、浄土真宗の本山として栄えた石山本願寺の跡地に大坂城の築城を開始。

豊臣時代の大坂城

クリックすると元のサイズで表示します

拡大は右をクリック cimg0630a.jpg

1585 天守閣が完成。その後も築城は続く。
1598 豊臣秀吉が死去。「息子秀頼をたのむ」と遺言を残すが・・・

1600 関ケ原の戦いで徳川家康が勝利。
1603 江戸幕府 徳川家康が初代将軍となる。天下の実権は徳川家康に移る。

1614 大坂冬の陣 徳川家康が豊臣氏を攻撃する。
1615 大坂夏の陣 豊臣秀頼が自害して豊臣氏滅亡。初代天守閣が焼失。

1620 2代将軍徳川秀忠が大坂城を再築

○西国・北陸の外様大名を中心に、64家の大名を動員して「天下普請(てんかぶしん)」として工事が始まる。
○秀忠は徳川家の威厳を示すために、豊臣秀吉が作った大坂城よりも、石垣を高く、堀はより深くするように指示を出す。

1626 2代目天守閣が完成
1629 3代家光の時代に大坂城が完成

江戸時代の大坂城

クリックすると元のサイズで表示します

拡大は右をクリック cimg0632a.jpg

1665 2代目天守閣が落雷により焼失

○これ以降、江戸時代に天守閣が再建されることはなく、昭和の復興までの266年間、大坂城は天守閣のない城のままだった。

1868 明治維新の際、幕府側の一部が放った火によって、大坂城の多くの建物(御殿や外堀四、五、七番櫓など)が失われた。

1868 明治政府(薩摩&長州が中心)が旧幕府が所有していた「奉行所」など大阪城周辺の土地を没収。

○この頃、「大坂」の「坂」が縁起が悪いと「大阪」に変更。
○明治政府のもとで「大阪府」ができる。
○よって、大阪城周辺に「大阪府庁」「大阪府警」「大阪府立大手前高等学校(もと高等女学校)」などがある。
○他の地域もたいていこのパターンが多い。

★明治以降、大阪城の跡は陸軍のものとなり、城内に多くの軍事関連施設がつくられ、市民や観光客が城内に入ることは禁止されていた。

○現在の「大阪城ホール」「太陽の広場」「市民の森」には、アジア最大規模の軍需工場である「大阪陸軍造兵廠(ほうへいしょう)」が作られ、兵器や軍需物資を製造していた。

1928(昭和3) 大阪市長の関一氏が大坂城天守閣の復興を提案。

○大阪市民から寄付金を募ったところ、わずか半年で150万円もの寄付金が集まる。今の貨幣価値に換算すると約750億円ぐらい。

○陸軍は大阪市に天守閣の再建を許可するが、寄付金の一部で陸軍第4師団司令部の建設を条件とする。

○うち25万円は住友財閥からの寄付
○天守閣再建に47万円
○陸軍第4師団司令部に80万円 「うそやろーっ」「天守閣よりも高いんや」
○大阪城の一部公園化に23万円

1931(昭和6) 3代目天守閣が完成。

○当時としては最新の建築工法である鉄骨鉄筋コンクリート造り。内部にはエレベーターもある。 日本では前例のない地上55mの超高層建築だった。

○2代目大坂城は、豊臣時代の初代大坂城を埋めて、その上に再築された。
○そして3代目大阪城天守閣は、徳川時代の2代目大坂城天守閣の石垣の上に、豊臣時代に造られた初代大坂城天守閣をモデルに再建されたと言うことになる。

 建設中の3代目天守閣

クリックすると元のサイズで表示します

 現在、改装工事中の「旧陸軍第4師団司令部」。前々から「この建物はもったいない」「なんちいっても天守閣より高い建築費で建てたんやから」「ホテルにしたら外国人観光客にあの朝のラジオ体操がみてもらえる」などとブログを使用して訴えてきたが、工事関係者に聞くとレストランになるらしい。楽しみだ。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 前期9月に実施する大阪城フィールドワークに間に合うかどうかは微妙だ。

クリックすると元のサイズで表示します

 ていうか、生徒諸君は「陸軍第4師団司令部」と言われてもなんのことか分からないと思うので、以前ブログで紹介した建物の写真を見てもらおう。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 戦後、アメリカ軍によって接収(アメリカ軍が使っていた)された後、大阪市警視庁本部(のちの大阪府警)、さらに1960(昭和35)年から2001(平成13)年の間、大阪市立博物館として利用されたが、閉館後は未使用の状態が続いていた。

 2年前に観光学で訪問した際、1階の一部がレストランとして使用されていたが、外は多くの観光客でにぎわっているのに閑散とした状態で、ほどなく閉店したと思われる。

 とにかくこの建物は大阪城天守閣より高い建築費がかかった重厚かつ威厳に満ち溢れたもので、モデルは北欧ノルマン地方の古城である。しかも市民からの寄付金で建設された。日本が今後「観光立国」を目指すのならば、これを最大限リスペクトして、宿泊・レストラン・パーティー・映画のロケなど有効利用すべきと訴えたい。

 この夏に「レストラン」がオープンするらしいが、なぜ「ホテル」にしないのだろうか。天満橋駅や谷4から専用バスを走らせたら、大阪城のすぐ近くということで観光客が泊まると思うねんけどなあ。

1945(昭和20)8回にわたる大阪大空襲で大阪城も被害を受ける。

○「6月7日」「6月26日」「7月24日」と、軍需工場の「大阪陸軍造兵廠」がターゲットとなった。その中で、大阪城も機銃掃射の被害を受けている。

○本校周辺の「長柄橋」「崇禅寺駅」「崇禅寺」が被害にあったのは「6月7日」。今も「6月7日前後の休日」に、518人の名前が慰霊碑に刻まれている崇禅寺にて「戦災犠牲者追悼慰霊祭」が行われている。

○特に「8月14日」は「京橋空襲」とも呼ばれ、「陸軍造幣廠」に壊滅的打撃を与えた。その流れ弾なのか1トン爆弾や焼夷弾が大阪城の天守閣に落ちて、今もなお石垣にその痕跡がある。

○二番櫓・三番櫓・坤櫓・伏見櫓・京橋口多聞櫓を焼失した。

○現在のJR京橋駅は1トン爆弾の直撃を受け、数百人にのぼる尊い命が失われた。

 焼夷弾の跡が黒ずんで残っている。
 
クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 天守閣の北東側の石垣は、1トン爆弾の衝撃で一部がずれている。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 アメリカ軍は地上の対人攻撃として、グラマンヘルキャットやP51マスタングなどの小型戦闘機で機銃掃射した。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 生徒諸君は、アメリカ軍の機銃掃射跡は毎日毎日見ているはずだ。写真のコンクリートの固まり(地図B)こそ、旧長柄橋の橋脚に残った機銃掃射跡を譲り受けて、1983(昭和58)年8月に反戦モニュメントの一部として利用されたものなのだ。

 「ながら 〜大阪大空襲を語り継いで」より

クリックすると元のサイズで表示します

 創立10周年記念誌より

クリックすると元のサイズで表示します

 ついでに本校のすぐ近くにも機銃掃射跡がある。崇禅寺駅のライフ側の踏切近くのモニュメント(地図A)と、JR京都線と阪急京都線が交差する鉄橋の土台(地図C)にくっきりとその跡が残っている。毎日自転車でここを通っている生徒は、卒業までにはその跡を確認してほしい。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 それと中島総社へいく参道の灯篭(地図D)や柴島浄水場の石垣、阪急崇禅寺駅の梅田方面行ホームの土台が異様に黒ずんでいるが、これも焼夷弾の跡ではないかと勝手に判断している。

クリックすると元のサイズで表示します

以下次号

2017/6/4

後援会 社会見学〜京都  後援会

こんにちは(*^^*)

6月3日、清々しいお天気の中、16人で社会見学(友禅染体験〜新・都ホテルランチバイキング〜伏見稲荷大社参拝〜黄桜見学)へ行って来ました?*¨*?.???

友禅染では各自好きな色々な形の物に体験する事が出来、とても良かったです♪♪♪

ランチバイキングは、種類がたくさんあり、サラダからお肉、デザートまで大満足でした♪♪♪

お腹いっぱいになった後は、伏見稲荷さんへ参拝。道中誘惑の出店がズラーッあったのに、みんなお腹いっぱいのおかげで誘惑にも負けず参拝出来ました♪♪♪

最後に黄桜さんへ〜あまり時間の余裕がない中、13分!の映像を見て、パタパタとした割に、皆さん楽しんでたかと思います(*^^*)お買い物もたくさん出来ました♪♪♪

帰りは20分遅れの出発で学校へ向かったのにもかかわらず、予定時間の4:30に到着し、滞りなく解散となりました!
来年はもっと沢山の参加をお待ちしております♪♪♪

クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します

2017/6/4

野球部キャプテンからの緊急連絡 生徒ブログ  クラブ

こんにちは。野球部です。

今日は京都に行って来て、テスト前の練習試合が終わりました。3年生にとってはいい試合となりました。これから夏まで頑張ります!

さて、今の野球部の部員を紹介させてもらいます。

部員 マネージャー
3年生⇨8人 1人
2年生⇨5人 3人
1年生⇨2人 0人
という状況です。

今の3年生がが引退してしまったら、7人しか残りません。このままだと他校と合同チームとなってしまって、今までやって来た柴島の野球ができなくなります。また、単独チームで戦うことができなくなります。だから、1・2年生でまだ野球に興味がある人でもない人でも野球をしませんか!!

いつでもグランドで待ってるんで来てください!

グランドに来にくい方は、まずは練習試合を見て、柴島の野球を見てください!

その際、3年5組・野球部キャプテンの松本まで言って来てくれたら嬉しいです!よろしくお願いします。

マネージャーも大募集しています。

2017/6/4

軽音楽部 全国大会 最優秀賞  クラブ

大阪城野外音楽堂で開催された「全国高等学校軽音フェスティバル2017」通称「天下統一」、カヴァー部門大編成の部で、最優秀賞を頂きました。

2年ぶりの、王座奪回。

天下統一といえば柴島の時代から、昨年は予選落ちも経験し、みな逞しくなったのでしょう。現地へ来てくださった方、ネットのライブ中継を見てくれた方、応援ありがとうございました。

なお、この大会の様子は、後日、JCOMで放送されます。

クリックすると元のサイズで表示します

2017/6/4

生徒会 体育祭片付け  学校行事・生徒会

体育祭の後片付けを継続中〜。

先日は、今年度の生徒会種目「バラエティ走」で使用したタイヤの片付けを行いました。

紐を取り外した後、泥だらけのものは水洗い。なかなかの重労働で、制服のままで取り組んだことを少し後悔した生徒会メンバーでした。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

2017/6/4

観光学大阪城FW下見(1)  授業・HR

 行き帰りに、9月に予定している観光学大阪城フィールドワークの下見もできた昨日の「天下統一」の付き添い。本日晴天のもと、その本番が実施されているが、演奏の出来はどうだったか、結果はどうであったか気になるところだ。熱中症に気を付けられたし。

 明日の観光学フィールドワークは「日傘OK」。かく言う自分も付き添いがダウンしたら洒落ならんので、「男性」しかも「初老」が「日傘」をさすことはまだまだ日本文化は一般的になっていないが、明日は「日傘」をさして生徒と一緒に京都の町を歩く予定である。


 大阪地下鉄に乗車して森ノ宮駅をめざす。地下鉄車両の下の写真の中に、日ごろ生徒諸君が使っている阪急電車にはないものが写っている。何であるかよく考えてみよう。沿線に小中高大が多い阪急電車は、登下校する若者に配慮して「減収」は覚悟の上で昔からそういう姿勢なのだ。ワンダフル!!

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 地下鉄中央線森ノ宮駅1番出口から地上へ。さっそく明日の「天下統一」「軽音フェスティバル2017」のポスターを発見。

クリックすると元のサイズで表示します

 中央大通りをはさんで向こうに初めて見る「もりのみやキューズモールBASE」なる商業施設を発見。ここはその昔、狭く古ぼけた野球場があった場所で、その名も「日本生命球場=日生球場」といった。

 社会人野球では強豪で知られる日本生命が、戦後間もない時代に自社球場をもつ計画をたて、アメリカの空襲で広大な焼け野原となっていた当地に、1950(昭和25)年、自社球場「日生球場」を完成させた。

 その後、アマチュア野球や今はなき「近鉄バファローズ」(現在のオリックス・バファローズ)の試合が実施されたりしたが、拡張工事をしても収容人数は2万5千人、照明の照度も今一つで徐々にプロ野球の開催試合が減少。

 その後、ドーム球場などの計画もあったが、難波宮遺跡や大阪城に隣接するため、絶対に工事中に遺跡と遭遇、その調査に5年以上の歳月が想定され計画は頓挫(とんざ)。

 また、1997(平成9)年に大阪ドームが完成したこともあり、日本生命はその役目を終えたと判断して同年に球場を閉鎖した。

 その他、「阪急ブレーブス」の本拠地であった「西宮球場」は2008(平成20)年に「阪急西宮ガーデンズ」、「南海バファローズ」の本拠地「大阪球場」は2003(平成15)年に「なんばパークス」、「近鉄バファローズ」の本拠地「藤井寺球場」は2009(平成21)年に「四天王寺学園小学校」やマンションとなった。

 関西学生野球界はここ十数年の間に「日生」「大阪」「西宮」「藤井寺」と4つの球場を失ったことになり、今もなお、試合会場の確保に四苦八苦しているそうだ。「舞洲」や「南港」は交通の便で言うと、この4つと比べるまでもない。

 在阪プロ野球球団がその昔、「阪神」「近鉄」「阪急」「南海」と4つもあった時代を知るものとして、パリーグの3つを次々に失ったとき「なんでもっと試合に行ってなかったんやろ」と後悔はしたが、現在のプロ野球の長期人気低落傾向をみると、これもやむなしと思うのである。

 奇しくも「阪神」「近鉄」「阪急」「南海」は、それぞれ「阪神パーク」(2003年3月閉鎖)「近鉄あやめ池遊園地」(2004年6月閉鎖)「宝塚ファミリーランド」(2003年8月閉鎖)「狭山遊園」(2000年4月閉鎖)という家族向け&ほのぼの系「遊園地」を閉鎖している。「2001年3月31日」にオープンした巨大アミューズメントパーク「ユニバ」の影響をもろに受けた形となったが、レジャーの多様化や少子化もあって、いずれこうなる運命だったかもしれない。

 そんな中、関西大手私鉄5社の中で唯一プロ野球球団を持たなかった「京阪」が運営する「ひらかたパーク」が、「全国の主要レジャー・集客施設入場者数ランキング 2016」(綜合ユニコム)の「遊園地部門」で「116万人」で堂々3位となった。「ユニバ」の「1390万人」には多く及ばないものの、なぜ「ひらパー」が今もなお多くの人から支持を得ているのか検証すべく、観光学の授業でフィールドワークをしたいぐらいだ。 

クリックすると元のサイズで表示します

 とりあえずリハーサルまでまだまだ時間があるので、遠回りして「大阪城公園」の南の正面玄関ともいうべき「JR森ノ宮駅」側から入る。蒼天の空に噴水が見事にマッチしている。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 集合1時間前に野外音楽堂に着いたが、当然のように我らがケイオンのメンバーは誰も来ていない。野外音楽堂の関係者出入口の近くに、村の鎮守の神社にありそうな長い階段がある。そこを多くの外国人観光客や家族連れがふうふう言いながら上り下りをしていたが、地図をよく見ると、この階段は「上町台地」の東端を利用して作られたのではないかと思われる。

 赤の○をしたところに長い階段があり、野外音楽堂に一番近いのが下の写真。

クリックすると元のサイズで表示します

 縄文晩期から弥生前期、今から3000〜2000年前、大阪は下の地図のような地形で、現在の研究では「河内湖」とよばれている淡水の巨大な入り江が「上町台地」の東に広がっていた。

 地図の南北に連なる半島のような陸地を「上町台地」といい、ちょうどその北端が「大阪城」である。その前身の「石山本願寺」時代から、台地の北端は防衛に適していると考えられたのだろう。

 その先に「上町台地」より低い「長柄砂州」が伸びており、そのまた北端がおそらく「柴島浄水場」が建設された本校近辺ではないかと勝手に想像している。「浄水場」は周囲より標高が高いところにつくられるはずだからだ。

 また、1年生「基礎社会」のフィールドワークで「上町台地・天王寺七坂を制覇する」という一番過酷なコースがあるが、「天王寺七坂」は「上町台地」の西端の高低差にある7つの坂のことをさす。

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 大阪市も市内有数の観光地である大阪城の景観に配慮したとみえて、大阪らしくない質素なたたずまいの自動販売機に驚く。

クリックすると元のサイズで表示します

 上町台地東端の高低差を使用して作られた(?)階段にて我らがケイオンの集合写真を撮影する。

クリックすると元のサイズで表示します

 以下次号。

2017/6/3

軽音楽部 天下統一リハーサル(1)  クラブ

 本日、軽音楽部の付き添い。明日行われる「軽音フェスティバル2017」のリハーサルのため、大阪城の野外音楽堂へ。行き帰りに観光学の大阪城フィールドワークの下見もできて、まことに充実した一日となった。

 我がケイオンへのエールの意味を込めて、まずは更新しておきます。続編は明日、乞うご期待!!

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

クリックすると元のサイズで表示します

 明日本番での健闘を祈る!!



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ