2018/1/22

ミライザ大阪城 情景編  授業・HR

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2018/1/22

後期観光学(3年) 最後のフィールドワーク  授業・HR

 本日、あいにくの雨天の中、後期観光学(3年生)最後のフィールドワークで地元・大阪城へ。片手に傘、片手にデジカメ、足先に雨が染み込む最悪のコンディションの中、なんとか予定通りのコース、「谷町4丁目〜大手門〜多聞櫓〜桜門〜ミライザ大阪城〜天守閣の石垣〜極楽橋〜京橋口〜化学分析場跡」を歩いた。

 満を持して用意した単焦点レンズだったが、その素晴らしさをここで思い存分紹介できないのは非常に残念。天気予報では本日のみ雨マーク。その不運を嘆くが、「晩秋の京都」を巡ったときの素晴らしい天気を思うと、これもプラスマイナスゼロということか。

 多くの観光客は本丸天守閣を見学した後、往路と同じコースをたどって谷町4丁目に向かうが、天守閣の裏から京橋口のコースは多くの生徒にとって初めてだったようで、「ここ、歩くん初めてやわ」という声も聞こえた。

 5回に及ぶ「観光学」フィールドワークでは、できるだけ生徒個人では行かないような場所を選んだ。この経験が生徒の「知的好奇心」とつながり、日本や世界の各地を巡って多くの経験と見聞を積み重ねてほしいものだ。


 向こうに建設中の柴島駅の高架が見える。完成予定はあと5、6年先。現在、在学中の生徒はその恩恵を誰も受けないが、彼らの子供たちが高校生になったときは確実に完成している。中には子供と一緒に母校のオープンスクールに来て、あまりの変貌ぶりに驚く生徒もいるだろう。

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 谷町4丁目駅の「1−B」出口から大阪城を目指す。

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 斬新なデザインの「NHK」「大阪歴史博物館」「大阪府警本部」

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 その昔、南外濠に面して7つの櫓が並んでいたが、戊辰戦争やアメリカの空襲で現存するのは写真の「六番櫓」と「玉造口」付近にある「一番櫓」のみ。

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 大阪城の正面玄関「大手口」にある「大手門」。

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 その柱にはあまりにも有名な不思議な継手(木と木を組み合わせたもの)があるが、あいにくの天気で多くの生徒がさほど関心を寄せず通り過ぎて行った。

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 向こうにある重厚な建物が「多聞櫓」。このエリアは江戸時代初期に徳川氏によって再建されたままの構造物が残っているので、城内で石垣だけが残っている場所はその昔はどんな建物が上にあったか想像するのに、非常に参考になる。

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 明治以降に修築された「桜門」の瓦の家紋は、徳川氏の「葵(あおい)」ではなく豊臣氏の「桐(きり)」だった。

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 大阪城内にある数ある巨石の中でも、ここの「蛸石」が一番でかい。高さ5.5m、横幅11.7mで、面積は教室より一回り狭いぐらいか。

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 旧陸軍第4師団司令部跡(現ミライザ大阪城)

 1931(昭和6)年に大阪市民の寄付が150万円(現在の600〜700億円)も集まり、70万円で「天守閣」は再建されたが、その「天守閣」より高額の80万円で新築されたのがこれ。当時の陸軍のご威光がすごかったことが分かる。

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 戦後は「大阪市立博物館」となったが、2001年に閉館してからながらく有効利用されていなかった。一昨年の観光学フィールドワークでは、ここを有効利用していない大阪市(?)に疑問を感じたが、つい最近、「MIRAIZA OSAKA−JO(ミライザ大阪城)」という名の商業施設に変身した。

 「外国人が訪れてくる旅行」を「インパウンド」というが、関空が「格安航空会社」の誘致に積極的に取り組んだおかげで、「ミライザ」の中は中国や韓国からの観光客が大半を占めていた。

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 極楽橋

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 北外濠のこの場所から見る大阪城は最高。

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 京橋口

 1945(昭和20)年8月14日の「第8回大阪大空襲」で、ここにあった「多聞櫓」や城壁などの構造物は焼失した。もしも残っていたら「大手口」と同じような構造物を見ることができたはずだ。

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 何度も言うが、大阪城などの城郭を訪問すると石垣だけが並んでいるような場所があるが、「なんや、殺風景やな」と思うのではなく、往時はここにどのような構造物が建ってたんだろうと目を閉じて想像してほしいと思うのである。



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